第11話
第11話
◇古書喫茶『ClamPon』、サギリの自室
(………………ヴァルゴ)
先の戦闘、その後に判明した、黒いヴァニタスの真の名。
「ヴァルゴ、か……」
ヴァニタスに酷似した、しかし金属製の装甲を纏う何者か。本人によれば、その目的はヴィリディアンの殲滅にある。
「名前だけ分かってもなぁ……」
今の所、敵対する意思は見られない。だからと言って、完全に信用することなど出来ようはずもない。どのような人物が、どのような信念のもとあのような凶行に走っているのか、少なくともそれが分からないことには。
(とは言え、だ)
戦力としては申し分無いのも確か。中級ヴィリディアンを相手取り、終始優勢に進められる実力は得難い。――孤立無援で戦う覚悟をしていたあの頃からすれば、今の自分を取り巻く環境は想像できないほど恵まれている。
「サギリお兄さーん、ご飯だってー」
階下から自分を呼ぶ声がする。最も恵まれていると感じる瞬間の訪れだ。
◇豊吾小学校
夏休みが明け、ナツキの通う小学校にも常の賑わいが戻っていた。子供時代の時間の流れはとてもゆっくりしたもので、それは発見と驚きに満ちていたからだなどと大人は言う。しかしそれは相対的な尺度で、当の子供達はと言えば、短すぎる夏休みに物足りなさと名残惜しさを覚えていた。
「ほら、朝の会はじめるよー」
開始時間を少し過ぎた頃、担任の女教師がそう言いながら教室の扉を開けた。ヒマリ達と談笑していたナツキは、急いで自分の席へと向かった。
「急なお話ですが、今日からこのクラスに新しいお友達が加わりまーす」
「転校生?!」
「マジで?」
「え、もう秋じゃん」
「男子? 女子?」
途端に沸き立つ教室。担任もこの反応は当然想定済みだったのだろう、少し苦笑して収まるのを待っている。
「転校生だって! ビックリしたー」
「ねっ! どんな子かな?」
前の席に座る女子が身を捩り、ナツキに話しかけてきた。仲良しグループのユメだ。快活な性格で、この間の料理教室では、醜態を晒した後にも拘らずサギリに良く話しかけていた。以来、ナツキの中では物好きというレッテルを貼っている。
「ほらほら、そろそろ静かにしてー! ……それじゃあ、入ってきていいよー」
いつまでも止まない喧騒を、少々声を張って収束させる担任教師は、恐らく扉の向こうで待っているのであろう転校生へと入室を促した。
「ハイ」
一瞬、教室が静まり返る。転校生は金髪碧眼の少女だった。
「え、がいじんじゃん!」
「すごい本物だ!」
「お人形さんみたい!」
「にほんごしゃべれるのかー?!」
静寂も束の間、堰を切ったように再び騒がしくなる教室。いつも温厚な担任教師も流石に見かねたのだろう、手に持ったバインダーで教卓を叩き、何とかその場を収めようとする。そんな努力も虚しく、子供達が落ち着きを取り戻すのには、それから数分を要したのだった。
「えと、クリスティナ・エケベリア・ヤエガシと、言いマス。クリスと、呼んデクダサイ」
転校生のクリスは、丸くて大きな瞳、スッと通った鼻筋を持ち、髪はふんわりと柔らかそうに膨らみ光を浴びて輝いていた。先程誰かが言っていたが、正しく西洋人形のような容姿をしていた。
「にほんごわかるのかー!」
「あ、grandmaがニホンジンなのデ、しゃべるの、ちょっとデス」
「ヤエガシって八重樫さんってこと?」
「あ、ハイ、grandmaのおうちがコチラにあるのデ」
「まー、じゃなきゃこんな田舎こねーよなー」
「クリスちゃんカワイー!! あ、クリスちゃんって呼んでいい? 友達になろ! わからないことあったら何でも聞いてね!」
「えと、アリガトゴザイマス。うれしい、デス」
「ちょっと、男子はあんまり近づかないでよねー」
クリスは一躍人気者となった。朝の会が終わると同時にほぼ全員に囲まれたクリスは、次から次へと繰り出される質問に律儀に答えていた。
話を総合すると、両親の仕事の都合で、祖母の生家であるこの街にやって来たということらしい。ただ、滞在期間はそんなに長く無く、今年一杯で帰国の予定だと言う。
「……一番騒ぎそうなのに、静かだね」
ナツキが声を掛けたのはレオウだ。意外にも人集りから距離を置き、あまり興味無さそうにしている。
「ん? ああ、いや、あんな質問ばっかじゃ、なんかかわいそうじゃん」
「へー……」
意外な一面、という奴だ。いや真相はもっと単純で、ヒマリ以外には興味がないだけなのかもしれない。
「いつも言ってるけど、もっと優しくしてあげないと、ヒマリちゃんと仲良くなれないよ?」
「え、いきなりなんだよ。てか別に仲悪くねーだろ」
小学生男子の基準では仲良しらしい。あれだけ泣かせているのに、何とも思っていないということだ。ナツキはあからさまな溜息をついた。
「そんなことよりさ、なんか最近、行方不明が増えてるらしいぞ。……お前、こういう話好きだったろ?」
「別に好きってわけじゃ……」
この勘違いは、恐らく以前問い詰めたことが原因だろう。誤解を解くにはサギリに関する説明が必要で、つまりそれは不可能ということだ。ナツキはミーハー扱いという不名誉を甘受しなければならなかった。……帰ったら、アイスでも奢らせよう。
「あれ、そういう話、興味あるんじゃねーの?」
「……まあ、あるってことでいいよ。それで?」
「なんだよそれ」
レオウは少々訝しんだ後、気を取り直して話はじめた。
「いやさ、父さんの知り合いが勤めてる会社で、社員が何人もいなくなったらしいんだよ」
「えっ……ブラック企業?」
「ちげーよ。多分。……その人が言うには、いなくなったのは仲の良いグループらしくてさ。週末どこか遊びに行くって話してたらしいんだけど――」
「――月曜日に全員そろって無断欠勤、ってこと?」
「そうらしいぜ」
行楽地で狙われる。キャンプ場と同じパターンだ。
「で、遊びに行ったのってどこなの?」
「え、聞いてないけど」
「そこがじゅーよーでしょっ?!」
肝心な情報の抜け落ちたレオウの話に、ナツキは大いに呆れた。
◇古書喫茶『ClamPon』
夕刻。帰宅したナツキは、早速今日あった出来事を披露しはじめた。目玉はなんといっても海外からの転校生だ。
「それでね、すっっっごく可愛いの! 今度家に遊びに来てって誘っちゃった!」
「そっか、楽しみね。でも、この時期なんてホント珍しいね」
「なんかおうちの人のお仕事の都合らしーよ」
ナツキが帰ってくると、古書喫茶は途端に賑やかになる。ナナは口数が少ないわけでは無いのだが、仕込み、清掃、在庫チェックといった店の業務に従事している時間が長く、暇ができれば新作料理の研究に勤しむためゆっくりする事があまり無いのだ。業務に関しては、サギリも出来る範囲で微力を尽くしてはいるのだが、大部分はナナの担当だ。あの細い体のどこに活力が眠っているのかと疑問に思うのだが、そもそも飲食業というのはこのくらい体力が無いと成立しない職種なのだろう。
「転校生かぁ。そう言えば中学生の頃、突然転校しちゃった子がいたなー。鈴谷君って言う、ちょっと浮世離れした雰囲気の男の子でね」
ナナが昔を懐かしむように目を細める。
「その人、もしかしてお姉ちゃんの初恋の相手とか?」
「ううん、あんまりお話したことも無かったよ。……当時は色々あって、学校お休みしてたから、転校したって聞いて驚いたっけ。挨拶くらいの関係だったのに、居なくなってちょっと寂しかったのを覚えてる。私でさえそうだったんだから、本人はもっとだと思うな」
「……じゃあ今度の料理教室に、その子呼んでいい?」
「もちろん!」
恒例の料理教室にナツキの友人達と共に招くと言うのは、慣れない環境に戸惑っているであろうその子がクラスに少しでも馴染めるようにという、ナツキなりの配慮だ。
それにしても――
「転校生、か……」
そう呟いたサギリの脳裏に、かつての情景が浮かぶ。
それは、サギリがまだ幼い頃。周囲には同い年の子供が殆ど居らず、ただでさえ内向的だったサギリには友達が居なかった。そんなある日――
(『転校生を紹介します。ほら、自己紹介!』)
一人で草をいじって遊ぶ、孤独な毎日に変化が訪れた。この限界集落には極めて珍しい、転校生という存在。家の都合で、都会から越してきたらしい。
(『……杉森アヅサ』)
(『杉森エンジュです』)
二人は一歳違いの兄妹だったが、二学年が一つの教室で授業を受ける複式学級のこの学校では、同じクラスに加わることになった。
ド田舎に連れてこられたせいだろうか。最初の頃、兄のアヅサはいつも不貞腐れた様子だった。対照的に、妹のエンジュの第一印象は、大人しいお嬢様、というものだった。
(『はやく登って来いよ、サギリ!』)
(『ま、待ってよ、アヅサ兄ちゃん』)
(『サギリくんはホント運動神経ゼロだよね』)
幼い頃のエンジュは、そのお嬢様然とした外見に、お転婆な本性を隠していた。ある日などは、兄と一緒に校庭にある一番髙い木に登った上、サギリにも同じ事をするよう要求した事もあったほどだ。
そんな二人と仲良くなったキッカケは何だっただろうか。いや、キッカケなんて無かったかもしれない。性格は全然違っていたけれど、何となく気が合って、気付けばいつも三人で遊んでいた。
(『……登ってこれるなんて思わなかった』)
(『サギリは見かけによらず根性あンだよ! なっ!』)
本当に意外だったのだろう。エンジュは虚を突かれた表情をしていて、それがすごく印象的だった。一方のアヅサは無邪気に笑っていて、本当に嬉しそうだった。
木登りなんてしたのは、その日が初めてだった。先生に禁止されていたから。なにか悪いことをしているという高揚感や、友達と同じ事をしているという充足感も手伝っていたからだろうか。初めて見る木の上からの景色は、見慣れていたはずの光景なのにすごく輝いていた。あの日見た景色と、二人の笑顔は、今もよく覚えている。
……その後、先生に見つかり、三人揃ってこってり絞られたのも、良い思い出だ。
二人との関係は、併設された中学校にアヅサが上がった後も続いた。一歳とはいえ、年上だったアヅサが持ち前のリーダーシップを発揮し、サギリとエンジュをいつも引っ張っていった。遊ぶ時はいつも一緒。良い事も悪い事も沢山した。
(『もう本当に弟になっちまうか! なー、エンジュ?』)
(『もー! お兄ちゃん!!』)
アヅサにはたまに、そうやってからかわれた。当時は気恥ずかしかったし、エンジュにどう思われているのか不安だったこともあって、正直鬱陶しかった。だけど、アヅサはあの頃から自分達の気持ちに気付いていて、彼なりの不器用さで背中を押していたのかも知れない。
何てことの無い、平和な毎日。しかしそれは――
(『――ない……から』)
屋敷の前には、仮面の悪鬼に腹を貫かれた恋人が――
「サギリ君どうしたの?」
ナナの気遣う声が聞こえる。両の掌には爪が食い込み、わずかな痛みを返す。知らぬ間に立ち上がっていたらしい。座っていたはずの椅子が、後ろに倒れている。
「あ、いや……なんでも、ないです」
「…………ならいいけど」
楽しかった頃の記憶は、必ず地獄の記憶へと帰着する。いつもこうだ。理解しているつもりだが、溢れ出る思い出に蓋をすることはできなかった。
「……そうだ! クラスの子が言ってたんだけど、遊びに行ったきり帰ってこない人が大勢いるんだって」
怪しくなった空気を払おうとしてだろうか。そう切り出したナツキの声は、努めて明るく、といった様子だ。こんな小さな子にまで気を遣わせてしまったと、内心情けない気分になる。
「そう……場所は?」
「それがアイツ、肝心なところは抜けてるの。でもね――」
ナツキはそう言いながらスマートフォンを取り出した。
「”flaっと”で検索すれば……ホラ、このアカウント。毎日あった投稿が止まってる」
「ナツキすごーい。探偵さんみたい」
「これくらい誰だってできるよ」
そう言って肩を竦めるナツキ。手に持ったスマートフォンの画面には、『会社の同期と遊びに行く』という投稿を最後に、更新が止まったアカウントが表示されている。
「その子が言ってた人達かまでは分かんないけど」
「ううん、ありがとう」
可能性があるならば、調べる必要がある。それが例え、どのような場所でも。
◇県内、大型遊園地
「大人一枚」
サギリは、例の会社員らが来たと言う施設に訪れていた。朝一である。
(平日なのに、意外と人がいるな)
休日ほどでは無いのだろうが、それでも多くの人で賑わっている。獲物は選り取り見取りな一方で、こう人が多くては発覚のリスクも高い。そう考えると、襲撃可能な場所は限られるか。
(……休日の方が良かったか)
当時と同じ混雑状況の方が、どこが人目を避けられるか明確になったはずだ。
(来てしまったものは仕方ない。一通り回ってみるか)
脇道もあるため、徒歩でただ巡るだけでもそれなりに時間がかかりそうだ。都会にある有名なテーマパークは、”シー”と併せるとここのニ倍はあると言う。広さだけで言えば、同じ系列の遊園地はここの十倍なのだとか。もはや想像もできない。
『キャアァァァァアァァアーーーーーーーー』
園内には定期的に悲鳴が響く。ただしそれは喜色の混じった、極めて平和な悲鳴。この施設最大の目玉と言える、世界に誇るローラーコースターだ。下から仰ぎ見ると、なるほどかつて頂点を取ったという威容が聳え立っている。
(……人気のアトラクションは、人が途切れることが無いだろう。もっと人気の無さそうなエリアや施設の裏手、関係者以外立ち入り禁止の場所。後はトイレも怪しいか)
かつて一度だけ、サギリもここを訪れたことがあった。それはエンジュとの最初のデート。想像以上の混雑の上、着いたのはお昼過ぎ。アトラクションには片手で数えるほどしか乗れなかった。
絶叫マシンのせいなのか、故郷では考えられない程の人混みに酔ったせいなのか、無様を晒し介抱された苦い思い出が蘇る。
――やめよう。過去に囚われるべきではないと、そう自分に言い聞かせる。しかしそれは、向き合うことからの逃避だ。心の底では分かっている。清算もせず、目を背け続けているのが今の自分だ。心の底では、そう分かっているのだ。だが、直視できるほど、自分の心は強くない。
サギリは頭を振って、沈みがちな想念を振り払う。昨日、ナツキの学校の話を聞いてから、どうも本調子では無い。少しリフレッシュが必要だ。ただし、本来の目的を忘れるわけにはいかない。ならば――
(高いところから観察して、当たりをつけるのが有効だな)
◇アトラクション『Mt. FUJI』
並ぶことニ十分。サギリの番が来たようだ。
周囲は友人同士やカップルなど、基本的に複数人のグループだ。と言うか、見回してもソロはサギリだけのようだ。少なくともこのアトラクションでは。
「ねえあの人、一人なのかな」
「さすがにないでしょ(笑)」
「友達が絶叫系苦手なんじゃない?」
そんな会話が漏れ聞こえる中での二十分は、実際よりも長く感じた。遊園地に来た高揚感で周囲の事など目に入らないだろうと甘く考えていたが、する事の無い待ち時間は人を人間観察に駆り立てる。そして、人間の、異常を察知する能力というのは侮れない。それは、野生動物の持っていた原初の本能の名残か。
「ねぇ、ちょっと話しかけてみない?」
やめて。
サギリは、丁度真ん中あたりの車両に座ることになった。アトラクションの担当スタッフは、ソロのサギリにも顔色一つ変えず対応する。プロだ。
安全バーの確認が済み、いよいよその時が訪れる。発進だ。揺れと共に車体が前方に進んで行く。屋外に出た直後、少し左にカーブ。そしてすぐに上昇が始まった。
かつては身体が耐えられず、一時的な拒絶反応に見舞われたこともあったこのアトラクション。だがヴァニタスとなり、竦むような高度や空気の壁を感じるような速度など、日常となった今は、何という事もないだろう。
上昇が続く。建物の屋根が邪魔でよく見えない。前後のグループのテンションは最高潮を迎え、最早サギリの事など頭に無いだろう。
上昇が続く。視界が開けてきた。景色が良い。このまま行けば、園内を広く見渡せそうだ。人の密度が低い所や物陰など、まずはリストアップする事で効率化を図る。
上昇が続く。左手前方に、このローラーコースターの名前の元となった霊峰が聳え立つ。何だか自分が同じ高さに位置しているかのようにも感じるのは、遠近感の狂いか。体勢のせいだろうか、やけに重力を感じる。
上昇が続く。……まだ上るのか? もう結構な高さだ。このくらいでいいんじゃないだろうか。というかこのレール、少し錆びてはいないだろうか。メンテナンスは大丈夫なのか?
上昇が続く。いや、高い高い! この高さは危険だ! 落ちたら一溜まりもない! 生身でこんな物に乗るなど、正気か?!
上昇が続く。思わず、サギリの左手がベルト左端のポケットに伸びる。ダメだ! 人の目がある。それに、今変身したら、体格の変化に耐えられず安全バーが外れる可能性もある!
上昇が、止まる。身体が水平に戻り、一時的に重力から開放された感覚に陥る。注意事項だろうか、何らかのアナウンスが流れているようだが、内容が頭に入ってこない。僅かな加速、直後に前方から悲鳴。前に座る二人の頭部が視界から消――――――
◇大型遊園地、園内
「マジッ最高ッ! もっかい並ばね?!」
「連続はちょっと……一旦休ませて」
「後ろのグループの人、滅茶苦茶叫んでたな」
サギリはアトラクションから降りていた。足元が覚束ず、果たして自分が直立しているかどうかも怪しい。戦闘直後のような疲労感は、精神的なものだろうか。ただ、嘔吐していないということは、それだけ成長したということだ。これは克服したと言っても過言ではないだろう。
たっぷり十分程ベンチで休憩した後、サギリは園内の散策を再開した。結局、諸般の事情により怪しい場所を見つけるという当初の目的は達成できなかったが、元々は歩き回るつもりだったのだ。人気の無さそうなエリア、地図によると、園の奥の方が怪しそうだ。
絶叫系の並ぶエリアから少し離れた場所に到着した時だった。横を通り過ぎるグループの会話が耳に入った。
「あのお化け屋敷、なんか本当に”出る”らしいよ」
「またまたぁ~」
「それ私も聞いた! 噂だと、入ったきり出てこない人もいるんだって……」
「そーゆー設定でしょ?」
アトラクション内! その可能性を失念していた。特にお化け屋敷など、ただでさえ暗い上に、異形が紛れ込んでも気付かれにくい。絶好の狩り場と言えよう。
「……」
そのアトラクションには殆ど人が並んでいなかった。今なら待ち時間無しで入場できそうだ。サギリは入口に歩を進め、建物を注視した。薄汚れた廃病院をモチーフにしたこのお化け屋敷は、世界最大級の長さを誇り、踏破するのに一時間近く掛かるという。
「……」
追加料金まで払ったのに、早々にリタイアしたかつての記憶がフラッシュバックしかける。もし今回もそうなったら、無駄足どころの騒ぎではないだろう。だが、よくよく考えてみれば、中に入ったところでそう都合よくヴィリディアンと邂逅できるわけでも無い。暗い中、脅かし役のスタッフの目を掻い潜って手掛かりを探すのも、およそ現実的とは言えない。そもそも一人では入れてくれないかもしれないし、驚いた拍子に変身でもしたら大騒ぎだ。
「……」
サギリは合理的判断に基づき、建屋裏手に回ることにした。
向かって右手方向に進むと、「関係者以外立入禁止」の表示とフェンスが目に入った。建物の裏側には、これらを突破する必要がありそうだ。
ここまで来るとさすがに喧噪も遠い。だからだろうか。微かな物音が、風に乗って耳に届いた。
『……!』
それはまさしく戦闘音。先んじて、既に戦っている者達がいる……!
◇アトラクション『叫喚魔境』裏手
お化け屋敷の建屋裏手に回ったサギリが目にしたのは、腕を突き出した緑の異形と、腰の高さほどの物陰に身を隠す黒いヴァニタス――ヴァルゴの姿だった。敵の弾丸は非常に鋭い針のような形状で、物体と衝突しても大きな音が発生せず、静音性に優れている。
「人間ッ?! 見られたからには……」
「……面倒な」
異形はこちらに狙いを定め、攻撃に移ろうとする。ヴァルゴはそれを防ぐため、物陰から身を乗り出す。
「……変身」
『Igni』
「「!!!」」
サギリは炎の形態へと身を転じた。動揺する敵の機先を制するため攻勢に移るサギリだったが――
「ちょっとこっちに来い」
ヴァルゴと名乗る黒い異形に腕を掴まれ、先程まで彼が身を隠していた物陰に引き込まれた。
「何を――」
「よく聞け。俺は遠距離攻撃手段を持たない。奴の弾はヴァルゴの装甲を貫く。よってお前が何とかしろ」
「はぁっ?!」
攻撃の機会をフイにされた挙げ句、まさかの丸投げ宣言。普段は温厚なサギリも、このような扱いは看過できない。
「勝手な事を言うな! 大体、君は何なんだ! 何故ヴァニタスと同じ格好をしている! 死体を持ち帰ったり……意味が分からない! そもそも、その中身は人間なのか? まさかヴィリディアンってわけじゃ――」
「俺がッ、ヴィリディアンだとッ!!!」
次々と、口を衝いて出た疑問。その一つがヴァルゴの何かに触れてしまったらしい。激昂した彼は立ち上がり、サギリに掴みかかろうとする。
「馬鹿め!」
その隙を見逃す敵ではない。遮蔽からはみ出したヴァルゴの上半身に向かって無数の針が放たれる! 装甲に直撃!
「ぐぁッ!」
咄嗟に蹲るヴァルゴ。マスク越しで分からないが、恨みがましい雰囲気を纏いつつ、先程攻撃を受けた箇所を指しながらヴァニタスに告げる。
「…………見ろ。相性が悪い。この前助けただろ? 借りを返せ」
「……」
端的かつ一方的な要求だったが、一応筋は通っている。前回の戦闘では、彼の乱入が無ければ危なかった。
加えて、敵の攻撃手段。氷の形態でも十分対処可能と判断できる。
「分かったよ、そこでじっとしてて」
サギリはそう言うと、ベルト左端のポケットを探る。
「形態チェンジ」
『Glacies』
吹雪を身に纏い、氷の戦鬼が顕現した。大型の盾を前面に構え、敵の下へ突進する!
「……便利なものだな」
その後ろ姿を見ながら、ヴァルゴはそう呟いたのだった。
氷の大盾は敵の攻撃を防ぐ。だがそれも万全ではない! 鋭い弾頭が楔のように打ち込まれ、発生した幾筋もの亀裂が限界の近さを雄弁に語っている。
「一気に勝負をつけるしかないか!」
サギリは前傾姿勢を深めて加速。足の裏と接触している地面に、瞬間的に氷を形成していく。それはあたかも、氷上を滑るが如き高速移動法。機動力で劣る氷の形態の弱点を補う、新たな戦術だ。サギリの前傾はより深く……今や掌が地面と接触するまでに至る。これに伴い、大盾もその形状が円錐様に変化。全身を一本の武器とした、氷のランスチャージ!
「なん――」
ジリジリと後退しつつ射撃を続けていた敵ヴィリディアンは、突然加速して飛来した氷槍に対応できず、直撃を受けた。胴体に空いた大孔から、槍の先端が突き出ている。まだ辛うじて息があるようだ。
「とどめだ」
氷槍から溢れる凍気が、傷口周辺から敵の身体を凍らせていく。ものの数秒で氷像と化した敵は、静かに事切れた。
「冷凍か。助かる」
いつの間に接近していたのか。ヴァルゴはそのように言いながら、凍った敵の右手首を持ち、肘関節に手刀を放った。氷が砕ける音と共に右前腕が切断される。
「……それ、どうする気?」
堪らずヴァニタスが問いかける。考えられる使い道はそう多くない。猟奇的な目的以外ならば、尚更だ。
「…………生体サンプル、と言った所だ。奴らが擬態を解いた際に発生する化学物質や電磁波から、活動場所を割り出している。精度のためには、サンプルが多いに越したことはない」
「なっ――」
ヴィリディアンの探知装置! それがあれば、不確定な情報を頼りに調査する必要も無くなる!
「これで、最低限実用に耐えるものが出来るはずだ。……お前のような嗅覚を持ち合わせているわけでは無いのでな、こんなものに頼らざるを得ない」
半ば自嘲的に放った後半の言葉に、サギリは一瞬息を詰める。今の自分に、そんな便利な”機能”は無い。
ヴァルゴが右手を耳に当て、一言二言指示らしき言葉を発すると、どこからか彼の駆る漆黒のバイクが駆動音と共に姿を表した。そのシートには誰も座っていない。自動操縦だ。バイクはヴァルゴに接近して停止。”サンプル”収納用のボックスが自動的に開いた。
彼、ヴァルゴの正体は依然として謎のままだ。だが、先程の戦闘。敵の前に生身を晒した際、自分を守ろうと飛び出した姿を、確かに見た。人を守護し、敵を屠るという目的を同じくする存在であることは確かだ。聞きたいことはまだ山程あるが、今後も共闘の機会があることを考えれば、その前に少しくらい距離を縮めても良いはずだ。
「……ねえ!」
サギリは、この場を去ろうとするヴァルゴに声を掛けると。
「――乗ってかない?」
最寄りのアトラクションを親指で示しながらそう言った。
「は??」
ヴァルゴは果たして、心底呆れたような声でそう返すと、振り返ること無く走り去って行った。
「……」
後に残されたサギリの後ろで、凍った敵の死体が地面に倒れた。
◇???
薄暗いトンネルを、一台のバイクが往く。漆黒の車体に跨るのは、漆黒の異形。速度を緩めたそれが、非常口と書かれた扉の先に侵入する。少し進んだ先には分かれ道。一方は正式な出口に通じ――もう一方は閉ざされている。
『認証 シマシタ』
電子音声と共に、その閉ざされた道が開く。バイク一台が通るのが精々といった狭い道だ。
「解除」
音声入力によって出された指示に従い、バイクの機能がはたらきはじめる。ヴァルゴが纏った漆黒の装甲が、背中、肩、胸などから、パーツ毎に折り畳まれるように外れていき、車体に格納される。最後には、頭部につけた仮面だけが残された。
バイクは暫く進んだ後、道の脇に現れた小部屋のような空間で停車した。ヴァルゴの装甲を脱いだ男は降りたバイクを押し、小部屋の壁に向かって歩く。
『認証 シマシタ』
再度の電子音声。壁が左右に開く。
壁の中は、工場のようとも研究室のようとも形容できる、独特の様相を呈していた。用途の不明な機械のパーツが積まれた棚。乱雑に絡み合うケーブル類。液体に満たされたガラス容器にはヴィリディアンの腕が保管され、数台のデスクトップPCは今も何らかの計算を続けている。
男はその一角にバイクを停め、被っていたヘルメットに手を掛けるとこれを外した。酷薄とも神経質とも言えるような男の顔が顕になる。滝のようと言うほどでは無いが、それなりの量の汗を掻いている。ヘルメットを座面に置くと、袖で汗を拭う。
(……明日でいいか)
男はバイクを一瞥し、そう考える。正確には、見ているのは格納されたスーツだ。思わぬダメージを負ってしまった。攻撃手段と言い、まだまだ改良の余地がある。
(……)
暑い。大分改善したとは言え、冷却機構にもまだ難アリだ。早くシャワーを浴びて汗を流したい。
(……)
作業場の奥の扉を開け、現れた階段を登る。一階に上がればそこは、見慣れた我が家。市内を走る地下通路とここが繋がっていることを知る者は、最早自分一人になった。
(……)
戦闘と運転による疲労で全身が怠く、今すぐにでも眠りにつきたい。だが、こんな姿のまま”聖域”に入ることは許されない。
洗面所に入る。手を洗い、うがいをする。着ていたものを洗濯機に放り込む。そうしたなら、待ちに待った浄化の時だ。外界で受けた汎ゆる穢れを取り除くため、全身を隈無く洗浄する。聖域に穢れを持ち込むわけにはいかない。納得の行くまで洗い続ける。
バスルームから出て、聖別された布で身体を拭く。自室への扉を開き、中へ。部屋着に着替える。床には人が一人入れるほどの大きな箱。その中には、ヴァルゴと同じパワードスーツが横たわる。ただし、その前面は古代の拷問器具のように開放されており、空洞になった中の様子が見えている。
(……)
男は躊躇う様子もなく箱に入り、スーツに身を委ねた。
「……おやすみなさい」
『オ休ミナサイ イツキ』
スーツの前面が閉じる。程なくして、中からは穏やかな寝息が聞こえ始めた。
第11話 「心の迷宮」
次回―――
「私は鷹山。元、刑事です」
「良い読みだ、ヴァニタス」
「映画やゲームじゃないんだ。そんな物、使えるのか?」
「――冷凍してもらえると、有り難いのだが」
「折角だし、一緒に帰るのは……どうかな?」
(『ヴィリディアンを……滅ぼせ……最後の……一体まで……』)
第12話 「燻る呪詛」