不穏な動き。
ーーー翌日の昼食時。
食事を終えたタイミングでシドが人に呼ばれて場を辞すると、ムーアがニコニコと話しかけて来た。
「陛下ぁ〜、お話があるのですがぁ〜」
「何かしら」
ゾゥラが口元を布で拭いながら応じると、彼女が言葉を重ねる。
「シドルフス殿下が不審な動きをなさってますけどぉ〜、放っておいてよろしいのですかぁ〜?」
「不審……?」
食器を下げる侍女らの向こうに立つムーアに目を向けると、彼女は桃色の瞳をくるりと回して、『不審な動き』の内容を口にした。
「そうですぅ〜。どうも、元・ドラグロ王国の宰相であるアジィルさんと、コソコソしているみたいですねぇ〜」
ムーアは、そこで笑みの種類を変えた。
人懐こいニコニコ笑顔から、どこか酷薄さを感じさせるそれへと。
「内容はぁ〜……女帝陛下の暗殺について、だとかぁ〜?」
ゾゥラは、その言葉に目を細めた。
ドラグロ王国に属していた者達……中でも幹部だった男性陣は、元々ここに攻め入ろうという愚行を承認した連中である。
あの侵攻を主導した者達は処分した。
アジィルはシド派であり、表立ってそれに賛同したというわけではないと聞いたので見逃したのだけれど。
どうやら、しばらく大人しくすることで機会を虎視眈々と伺っていたのだろう。
あるいはシドの意見が通らないことで業を煮やしたか。
「放っておきなさい」
ゾゥラがそう告げると、ムーアは一瞬笑みを消して目を細めたが、それ以上何も言わない。
「仰せのままにぃ〜」
すぐに笑みを戻した彼女が頭を下げたので、ゾゥラは立ち上がる。
ーーー問題はありません。
ゾゥラは、内心でそう呟いた。
それはシドを信頼しているから、では、決してない。
ーーーあの方がその道を選ぶのであれば、受け入れるだけのことです。
ゾゥラは、シドのことを愛している。
けれど二人の関係は、外で言われているような不仲でもなければ、身近な侍女らが目にしているような触れ合いが真実というわけでもなかった。
ゾゥラとシドは、利害が一致している……本来は、そう呼ぶのが、正しい関係なのである。
どのような理由で、何に関して。
そうした点は、二人以外に誰も知らないことだった。
※※※
一方。
ーーー面倒だね〜。
『呼び出し』を受けたシドは、アジィルが宮廷の方から足早に王配宮に近づいてくるのを眺めながら、内心でそう呟いた。
ゾゥラとの団欒を過ごす為の隠し通路がある部屋が存在するこの宮は、表向き王配が住まうには少し狭い、王宮の端にある離宮である。
その部屋を望んだのはシド自身なので、不満があろう筈もないのだが。
「殿下」
「何でしょうかねぇ?」
アジィルは、大柄な肉体を持つ白髪混じりの老人であり、胸元まで届くような長い髭を蓄えている。
かつてドラグロ王国の宰相を務めていたこの男は、実は大叔父……シドの祖父である先代国王の弟だった。
かつて行われた『女性国アマゾニア侵攻』に関して、中立の立場を保っていた。
また、実際に侵攻の指揮を取った第二王子派ではなく、王太子シド派だったことで粛清の憂き目に遭うことなく生き長らえた。
ーーーま、あくまでも表向きの話だけどねぇ。
実際のところ、『アマゾニア侵攻』の主導をしたのはこの男である。
黒幕というのは、人を動かして表には出てこないから黒幕という。
好戦的で好色だった父王も、その脳筋さからアジィルに執務をほぼ丸投げしており、ドラグロ王国で最も権力を持っていたのは目の前の老人だった。
当然、『アマゾニア侵攻』の理由として父王や兵士らに伝えられていた『見目の良い女性が多い国である』という下卑た理由も、士気を鼓舞する為の建前である。
「……この数年で、女帝の信頼は、十分に得たかと思われますが」
アジィルの真の狙いは、女性国アマゾニアの秘密。
流石に攻め入った挙句に返り討ちに遭って併呑されることまでは予想外だったようだが、最初から、アマゾニアに存在するという『女神の加護』が彼の狙いだった。
故にシドは、最早ドラグロ王国の滅亡が確定的、という段階で、アジィルに囁いたのである。
『僕が女帝と交渉しますよ〜』と。
その際にアジィルに提案したことは二つあり、一つは『ドラグロの国民の不満を抑えるために、自分を王配としないか』という旨をゾゥラに伝えること。
もう一つは、『そうして数年掛けて女帝の信頼を得、アマゾニアの秘密を探る』というものだった。
アジィルはシドを侮っていたが、その提案には乗った。
仮にその交渉失敗したところで、アマゾニアへの使者として赴いたシドが……『何の役にも立たない』と後ろ指刺されていた王太子が死ぬだけのことであり、大勢に影響がなかったからだろう。
そうして今、なのである。
ーーー老先短いもんねぇ。そろそろ焦ってるのかな?
シドは、彼の狙っている『秘密』の中身とその理由も把握していた。
アジィルの狙いは、不老長寿と強大な魔力を与える《女神の加護》だ。
アマゾニアがまだ国ですらなく、住んでいた地を追われた女性の逃げ込み場所であった頃から『女神の神域』と呼ばれていた理由。
それが、この地の地底深くから齎されていることを古文書などの記述から知ったアジィルは、その力を求めた。
生きることへの執着。
死への恐れ。
人として当然の感情ではあるものの、アジィルはとみにそれが強いのである。
親族を売り渡してでも生き残り、国が滅ぼうとそれを諦めない程度には。
女性しか受けられない加護、と言われているのに、その秘密を解き明かして、自らがその恩恵を受けることを望む程には。
「既に十分な期間をお待ちしましたよ、殿下」
「そうですねぇ」
敬語でありながら、その実、命令口調のアジィルは昔から変わらずシドを舐めている。
実際、彼の提案を悉く適当に言い換えては却下させていたこちらへの信頼など一つもないだろう。
「実際、信頼は得ましたよ。為政者としてではなく、男女としてねぇ」
ヘラヘラと答えたシドは、チラリと遠くへ目を向ける。
ゾゥラが住む、中央宮の方へと。
「幾度もお聞き致しましたよ。そろそろその『信頼』を活かしていただきたいものです」
それも言い訳だと思っているのだろう。
ーーー潮時かなぁ。
実際、アジィルは政治に関しては有能である。
国の根幹に関わる提案に関しては退けていたが、行政に関する部分では元・ドラグロの地域は戦争による疲弊から立て直され、徐々に力を蓄え始めていた。
「良いですよ」
シドは、彼の言葉に小さく頷いた。
「神域に至る入口の鍵を開けるのはゾゥラだけですが……場所も知ってますし、上手いこと丸め込んで開けさせましょう。兵を整えて準備をしておいて下さい」
意外だったのか、軽く眉を上げたアジィルに対して……やはりヘラヘラと、シドは言葉を重ねる。
「鍵さえ開けば、ゾゥラは用済みでしょう? 好機ですから、ついでに始末してしまえば良いんじゃないですかねぇ?」
「……確かに、仰る通りですな」
「でしょう? 彼女の力は危険ですからねぇ。万一にも兵の裏切りにあわないよう、精鋭を揃えていただけますかねぇ?」
「元より、我が私兵以外を用いるつもりはありませんよ。では、これで」
最後に念を押すように、ジッとこちらの目を見つめてから、アジィルは軽く頭を下げてから去っていく。
十分に離れて彼の姿が見えなくなると、シドは軽く鼻を鳴らした。
「……まぁ、その力を手にするのが貴方とは限らないですけどねぇ?」




