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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

主はいつもあなたのおそばに

作者: 斎藤 こよみ

供養。。


彼女と出会ったのは、私がまだ三十過ぎたころ。確か、弟子入りしていた師匠に使いを頼まれてアスティール王国の首都ヴェルディアを発って三日ほど経った日の旅の最中だった。


金糸のように煌めく艶やかな髪。アーモンドのように大きな瞳は穏やかな碧で。

修道服から覗く手足は小さく、女性であることを加味しても華奢さが目立った。


そんな彼女は小さな鞄を持って一人、ゆっくりとした足取りで進んでいた。

女性の一人旅は物騒だろうと思い、声を掛ければ、透き通るような笑みを浮かべて礼を言った。


ひょんなことから増えた旅の同行者は至極静かで、それでいてどこか不思議な女性であった。

線の細さから武芸に秀でているようにも見えず、おせっかいであることも理解した上で、過去の旅の様子や、今後の予定について訪ねてみれば、危ない目に遭ったことはないと答えた。

慈愛に満ちた笑みを浮かべ、鈴のような声で彼女はこう言った。


「主はいつも私を見守ってくれておりますから」


……神が見守っているから危ない目に遭わない、と思っているのだろうか?

見目も良く、修道服という侵してはならない背徳的な装いをしているからこそ狙うだろうと、そう言えばゆるく首を振って続けた。


「主はすべてをご存知です。もし私が暴漢に襲われることがあれば、それが私の運命であり定めなのでしょう」


そうして、彼女は花が綻ぶような笑みを浮かべた。


旅路を共にしてから十日ほど経った頃。私が危惧していたことが起こってしまった。

脇道から盗賊たちが現れ、通行料を要求してきた。

それも私の弟分であり、部下でもある男を人質に取って。

仕方なく、手持ちの金子から支払うため一歩前に踏み出そうとした瞬間。不意に緊迫したこの状況に不釣り合いな穏やかな声が響いた。


「主は貴方を見ています」

「あぁ?なんだテメェ!」

「主は、貴方を、見ています」

「見てるからなんだってんだ!クソッタレ野郎が見ていようがどうでも―――」


「  主 は  貴   方  を 見  てい ま   す  」



ゾワリと背筋が粟立った。

清廉で純真無垢なはずのその笑顔は、この場において何か(・・)が異なっていた。

穢れを知らない、大人しくも芯のある貞淑な女性、そんな印象しかなかった。

天の使いと言っても過言ではない純粋さと高潔さを併せ持ったはずの、彼女はその瞬間から自分とは違ったナニか(・・・)にしか見えなかった。


部下を人質に取っていた盗賊はその異様さを感じ取ったのか思わず、といった様子で後ずさった。


「な、にを……」

「主は慈悲深く、救いの手を差し伸べております。その手をとるならば、貴方は救われるでしょう。さぁ、罪を悔い改めましょう?主は、貴方を見ていますよ」

「―――……俺は、俺はッ!」


男はナイフを落とし、その場に崩れ落ちた。

両手で顔を覆い、恐れ慄きに手を震わせ、涙をぼろぼろと溢し、そして―――。


「俺は何も好き好んでやっていたわけじゃないだってそれしか生きる術がなかった小さい頃親に捨てられて生きるために盗みもやったし他人を蹴落としてきたそれでも俺より賢いやつなんで山ほどいたから金はちょろまかされて手元に残るのはその日を生きるのにも足りないくらいの金だけでなのになのに誰も助けてくれない大人も路地裏の仲間だと思っていたやつらですら誰も俺を救っては―――」


「大丈夫ですよ」


天使のように純真で、母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべて彼女はそっと男に近づいた。

崩れ落ち、泣き喚いていた男の薄汚れた頭を撫でながら、彼女は笑みを崩さずに鈴のような声で許しの言葉を口にする。


「罪を悔いた哀れな貴方を、主は許すでしょう。そのためには禊をせねばなりません」

「禊……」

「主の許へ逝くためには、赦しを得てその身に背負ってしまった罪を雪がねばなりません。その方法を、貴方はよぅく知っているはずです」

「神は、許して下さるのでしょうか……?」

「勿論です。己の罪を悔い、真に懺悔する者にのみ、主は慈悲深くその手を差し伸べるのです。貴方がきちんとその身に背負った罪を後悔し、懺悔し、禊ぐのならば、主の許へ至る門は開くでしょう」


清廉な百合のように、華やかな薔薇のように、冬を彩る椿のように。

彼女は男の手を取り、告げる。


「さぁ、主の許へ―――」


男は水を得た魚のような、そんな勢いで、落としたナイフを拾い、そして。


自らその首を掻き切った。

返り血が彼女の頬を赤く染める。


「嗚呼、主よ。またヒトツ(・・・)、尊き魂が貴方様の許へ参りました。その慈悲深き御手で救いを齎し、どうか罪なき魂に安寧を……」


血だまりに沈む死体の前に跪き、両手を組んで祈りを捧げる。

彼女はその小さな唇で、大切な主の、その名を口にする。

恋をする少女のように、待ち人を待つ乙女のように。

「愛おしい」そんな想いを乗せて。



「――――*********様」



それは、徒人(ただびと)が口にしてはならない神の名だった。

その名を口にすれば災いを呼び、聞く者に不幸をばら撒く。そんな神の名を、彼女は躊躇いもなく口にした。そして、本来ならば、周囲に降りかかるはずの災いもまた、この場においてはやってこず、ただそこには神へ祈る乙女の姿だけがそこにあった。


祈りを捧げて満足した彼女は立ち上がると、いまだ残る十数人の盗賊たちへ、その穏やかな碧色の瞳を向けた。


「さぁ、貴方がたも主の御許へ参りましょう」


誰かの喉が鳴る音がした。

遍く救いを齎さんと笑む彼女は、神の遣いそのもので、襲ってきたはずの盗賊たちはまるで、天啓を受けたかのように、自らも彼女と同じ信者であるかのように。

焦点を無くし、けれども己は幸福であると一点の疑いもない、そんな笑顔を浮かべて―――。



私たちを囲んでいた男たちの赤い水たまり。

中心で微笑む彼女の姿。



その日、私は彼女の中に神を見た。




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