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49.何もない男の決意



「つ、つかわ、た……んっ」


 きゅうぅっと詩絵が身を縮めるようにして震えた。

 その後ろ髪におでこを埋めて、詩絵の首筋を唇で吸う。跡が残るくらいに。

 少しの時間そうしてから、すぐ反対にある舞彩の顔に頬を寄せて、今度は舞彩と唇を重ねる。



「あたしも……そういう跡、残してほしい……」

「バイト先で見られちゃうからって」

「言ったけど……むぅぅ」


 はぁはぅと荒い息の詩絵の隣で拗ねたように尖らせた舞彩の唇に、もう一度そっとキスをする。

 真冬の布団の中でもぞもぞと動いて、詩絵と密着していた体を舞彩の肌に重ね直す。

 柔らかくて暖かい。舞彩の肉の感触。


「ん……」

「ごめん、舞彩が後回しに」

「ううん、いい……うたちゃん見てたら、あんまり可愛くて……切なくなっちゃっただけ」


 うたちゃん。子供の頃の名残なのだろう、時々舞彩は詩絵をそう呼ぶ。

 詩絵の吐息を傍で聞きながら、順番を待つ舞彩は自分で少し熱くなってしまったらしい。すっかり(とろ)けて。


「そっち?」

「ふふっ、そっち……」

「……やめてください、ばか」


 柔らかく溶けるような舞彩の温もりを感じながら、横からの詩絵の小さな罵声に顔を合わせて笑う。

 最高の温もり。

 こんな寒い夜なのに。こんな寒い夜だから。



「司綿さん、って……姉さんには噛んだりする、よね」

「してる? かな?」

「あたしにも……見えないとこなら、いいよ……」


 いいよ、というのは。

 たぶんしてほしいって意味なんだと思う。

 あまり意識したことはなかった。舞彩にはとにかく優しくしないとって思っていたけれど。

 年下とは思えない詩絵に対しては気持ちに余裕がないのかもしれない。


 服で隠れる場所なら。

 しっとりと濡れた舞彩の肌に強く吸い付いた。



  ◆   ◇   ◆



 僕にとっては舞彩と詩絵が初めてで。

 詩絵と舞彩も僕が初めてだそうで。

 最初からこうだったので、他がわからない。普通じゃないことはわかるけれど。


 普通じゃなくても最高の幸せだということは疑いようがない。

 疑ったら罰が当たるだろう。僕みたいな何もない人間が、こんな可愛い二人を……


 幸せな時間。

 刑務所にいた時には想像もできなかった。

 正直な話、刑務所に入ってからは精神的な問題で男性機能が不十分になっていて。


 今が人生で一番の幸せ……のはず。

 だけど、違う。

 違うのだと確かに感じる。この暖かさは痛み止めのように不確かなまま。



 詩絵と舞彩の根底には復讐を果たす為という意思がある。

 幼少期から虐待を受け、何も信じられずに育ってきた姉妹。彼女らにとって生きた時間の大半が理不尽な恐怖に苛まれてきた人生。

 その原因となった人間に対しては容赦のない攻撃性を示す。


 差詰弁護士をやり込めた時は、僕も素直に楽しいと思った。

 けれどその後、差詰の娘がSNSに吐き出した心情を目にして、僕の気持ちが揺らぐ。

 父への恨み言や父の職務に対する否定や嫌悪。それらを書いては消して、次には自分自身への攻撃的な書き込み。

 人間が病んでいく過程を短時間で見せつけられた。


 差詰の娘は僕の復讐と直接関係のない人間だった。だからそう感じるのだろう。

 楽口は違う。

 彼は面白半分に僕や僕の家族を中傷して、そのことを反省もしていない。そういう男だ。

 謝らせてやりたい。僕の手で。


 まずは接点を持つところから。

 そうして顔を合わせたのが、絶対に許さないと誓った相手。背背羞奨(はいせはすす)。母の仇。



 絶対に許さない。殺してやる。

 母のことを聞いた時にそう思ったのも事実なのだ。なのに。

 いざその男を目の前にしたのに、なんでか僕の心に湧き上がる殺意がなかった。

 ひどく冷めた気持ちで背背の話を聞いた。


 ただの男。汚くて狡くて卑しい人間かもしれないが、悪魔のごとき特別なものではない。ただの悪い人間。

 背背の不幸は願う。ろくでもない孤独で陰惨な死に方をしてほしいと思う。

 だけどあの時、飛びかかれば殺せただろうタイミングでも、そんな風に気持ちが動かなかった。



 後になって背背が死んだと聞いてから、僕は少し安心してしまった。

 僕の手じゃなくて勝手に死んだ。

 よかった。って。


 だから余計に動揺した気持ちもある。

 こんな都合よくいくわけがない。誰かが手を下したに違いないって。

 詩絵が? それとも舞彩が?

 アリバイ的にそんなことはない。考え過ぎだと信じたけど。



 ――見て下さい、司綿。


 動画を再生しながら心から嬉しそうに言う詩絵を見て、怖くなった。

 楽口が……知っている人間が、わかりやすい暴力で壊れる光景。

 それを楽しそうに話す詩絵と、良かったねと僕に同意を求める舞彩。

 彼女らが壊れているのを思い知った。いまさら。


 どうしてこんなに無邪気に人を傷つけられるのか。

 世間からの理不尽ばかりを見て生きてきたから。


 浮抄(ふしょう)淇欠(きけつ)の行いを知れば、彼女らの気持ちもわかる。

 本来なら守るべき人間が、守るべきルールを踏みにじっている。

 汚く歪んだ欲望の為に。


 浮抄への攻撃は正当なものと言ってもいいだろう。

 何もかも失くすことになるだろうが自業自得。詩絵や舞彩だけではない、他の性被害者の少女たちも浮抄の欲望なんかに使われていいわけがない。



 残っている中で、一番の問題。

 娥孟萬嗣。

 動画を見ただけで舞彩が青褪めるほどのトラウマ。


 こいつは、こいつだけは生かしておけない。

 何かの間違いでも、舞彩が娥孟に会えばどれだけ怯えるか。今も心の奥底で怯えて過ごしているかもしれない。

 どこかで鉢合わせることがないとは言い切れない。娥孟が生きている限り可能性がある。


 差詰や浮抄のように社会に立場がある人間ではない。

 失うものがない男。

 人を殴ることにためらいがなく、舞彩の足の付け根に焼き印などを残した暴力性も最悪だ。

 その時の娘が美しく成長したと知ればどう考えるのか。


 娥孟萬嗣を殺す。

 僕を助けてくれた詩絵と舞彩の為に、何もできない僕ができること。それだけは僕がやらなければいけない。

 母の仇ではないけれど。


 こうして散々、彼女らの温もりを貪り、甘えた。

 安らぎと幸せを与えてくれた彼女たちに恩を返せるのなら、本当の犯罪者になったって構わない。



「……娥孟は、僕が殺す」


 眠る二人の傍でそう誓った。

 今度こそ、自分で決めたことを貫くために言葉にした。



  ◆   ◇   ◆



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