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38.課題、消化、不良



 深夜を過ぎて帰ってきた詩絵は、予想していたのとは別種の憂いを感じさせた。顔を合わせにくいような。

 なんでもありませんと言うのだけれど、舞彩にも僕にも様子がおかしいのがわかるくらい。

 嫌悪する相手との応対で疲労したというのとは違う。


 後で話しますから、と。

 冷えた体を温めたいとシャワーに入ってしまう。

 干溜埜埜にひどいことを言われたのかもしれない。それ以上は無理に聞き出せなかった。




 翌日。

 詩絵はまた用事で出かけると。舞彩はアルバイトに。

 僕は部屋の掃除をしてから、約束通り何かデザートを買う為に出かけようと部屋を出たところだった。


始角(しかく)司綿(しめん)さん」


 公営団地の出入り口。階段の下から呼ばれた。

 黒っぽいスーツの見知らぬ男が二人。


「あぁ、そんなに身構えないでほしい。警察の者です。小暮です」

「……」


 意味がわからない。警察の雰囲気を感じたから身構えたのに。

 どちらも懐から手帳を出して、めくったところの顔写真を僕に提示した。

 その警察手帳が本物か偽物か判別がつくわけではないけれど、たぶん本当なのだろう。



「なん……ですか?」

「ちょっと話をお聞きしたくて。もちろん任意です」

「……」


 令状などないから断ってもいい。

 そう言われても普通の感性なら、断ればやましい裏があると思われるんじゃないかと不安になるものだ。

 僕だってそうで、実際にやましい部分だってある。


「……何の話、です?」

「ちょっとした事故がありまして、現場にあなたがいたと聞いたものですから」



 一月十日の午前中。晴れていても外はずいぶんと寒い。

 刑事の目は部屋の中で、と促すようだったけれど、警察を部屋にあげるなんてダメだ。特に何かあるわけじゃないにしても。

 出かけるところだったのだからと、そのまま階段を下りて建物の外の駐車場に歩いた。


「事故現場なんて……」


 なんのことだろう。

 あるいは、どれのことだろう。暗に、お前はわかっているはずだと聞かれているのかもしれない。

 違う。考えすぎだ。



背背(はいせ)羞奨(はすす)という男を?」

「……知りません」

「卑金議員の秘書をしていた男ですが、ニュースを見ていないですかね」


 なんのことだ。

 背背の顔も名前ももちろん知っているし、後ろ暗い気持ちも十分にある。

 だけど、ニュースに出ている? 秘書をしていた(・・・・)

 違和感を覚える小暮刑事の言葉に疑問が浮かんだ。



「先日、隣町の漁港にバイトに出かけていますね?」

「一月六日のことです」


 四十半ばくらいの小暮刑事に続けて、彼より少し若い刑事が明確な日付を。

 取り調べをされている気分になる。


「……」

「申し訳ない、ただの事実確認なんで。あなたの過去の事件とは関係ありません」

「行きましたけど」

「レンタルテント等の設営の為に臨時バイトとして。現場をまとめていた鈴木という人から聞いてます」


 鈴木という名前は憶えていないが、たぶんトラックを運転していたバイトリーダーのことだと思う。

 元締めの楽口秋基(たのぐちあきもと)は現場には来なかったから、現場を仕切っていたのはその鈴木。



「片付けて撤収した後、最後まで残っていたのが始角さんと言っていましたが」

「……そうだったかもしれません」

「その時、背背を見ませんでしたか?」

「この男です」


 若い刑事が出したのは見るまでもなく背背の顔写真。

 知らない振りをした方がいいのかどうなのか。



「……新年会をしていた中にいたような気がします」

「何か話しましたか?」

「色んな人が、これを食えとか言ってきたんで……話したかもしれませんけど」


 仕事で行っている僕なんかにも、漁港の人たちは兄ちゃんも食いなと言って焼いた魚などをくれた。仕事中じゃなければ酒も飲んでもらうのにとか。

 お祭り気分で振る舞ってくれる気持ちに悪意はなかったと思う。


「一人ずつ覚えてなんかいません。あの」

「片付けが終わった頃に彼が出歩いていたはずなので、見ていないかと。たまたま始角さんがいたということで念のためですよ」


 たまたま。

 確かに、僕があそこで背背と会話をしたのは背背の気まぐれだった。

 背背の目に付くようにしていたのは事実だけれど、向こうから接近してきたのは偶然。


 しかし、ただの会話だけで取り調べにくるなんて。

 僕はそれほど警察にマークされていたのか。それともこれも背背や卑金の手が回っているのか。

 罠にかけられているような気がしてきて、気分が悪くなってくる。



「……」

「本当にすまない」


 黙り込んだ僕を気遣うように、小暮刑事が謝罪の言葉をやや強調気味に吐いた。


「不安にさせる意図はなかった。こちらで所在地がわかる目撃者が……目撃者の候補が君だっただけで」

「……目撃者?」


 それまでの作ったような丁寧口調ではなくなった小暮の言葉は本心のように聞こえて、代わりに気になったのは別の単語。犯罪者ではなくて目撃者と。

 聞き返した僕に小暮は少し苦い顔で頷いた。



「この男、背背羞奨。彼はあの夜に亡くなった」

「なく……はぁ!?」


 何を言われたのかすぐに理解できずに、頭の中で繰り返してからはっと顔を上げた。

 背背が死んだ。

 僕と話したあの夜に。


 これからどう復讐するかと。どう殺してやろうかと考えていた相手の死を告げられる。

 予想していなかった言葉に思わず大きな声で聴き返してしまった。



「海に落ちて死亡。事件と事故の両面で、とニュースになっていたんだが」

「事故……?」

「知らなかったようだね」


 演技ではない僕の驚きぶりに刑事たちは目線を合わせて小さく首を振った。

 何も知らない。初耳だと。


「議員の秘書ということで、自殺(・・)という疑いもある。何か覚えていることがあれば教えてほしかったんだが」

「……たぶん、魚を釣ったって言っていた人だと」

「なるほど」


 何も知らない振りをするのも不自然かもしれない。

 とにかく今は何がなんだかわからず、どう話せばいいのかわからない。


 このタイミングで偶然の事故死なんてあるのか。

 事件の可能性もあるって言った。だから僕を疑ったのか……それとも、最後に見た可能性があったからだけなのか。



 事件だとしたら。


 もしかして……僕はやっていないけれど、もしかすると。

 思い浮かべてしまったのは詩絵の顔。

 僕の手の甲にまだうっすら残る彼女の爪の痕。

 見られたくなくて左手をそこに重ねて握りしめた。


「ずいぶんと驚かせてしまったらしい」

「……」


 小暮の目が僕に刺さる。

 動揺している僕。そうしたものを見つける仕事をしている刑事なのだから、隠しきれるわけがない。


「人が……あそこで死んだんですよね。慣れていない、ので……」

「……まあ慣れている方がおかしい。こんな仕事をしている自分らでも、なぁ」

「そうですね」


 話を振られた刑事がやや不満げな顔で肩をすくめた。

 人の死に慣れるなんて普通じゃない。動揺して当たり前のはず。



「話をした相手がその日に死んだなんて……たぶん、初めてなんで」

「驚かせて申し訳ない。そういうわけで何か覚えていないかと」

「……」


 交通事故などでも目撃証言を集めることがあるのは知っている。

 海に落ちて死んだとして、突き落とされたのか。自殺なのか。本当にただの不運な事故だったのか。


「ただ落ちたわけじゃ……ないん、ですか?」

「十中八九そうなんだが、違うかもしれないって言うやつもいる」

「殺された、とか?」

「まさか」


 はっと小暮刑事は笑うが、並ぶもう一人の刑事の表情は動かない。

 真顔で僕の内面を見定めようとしているよう。



「……恨まれていたり、するんじゃないですかね」

「あまりよく知らない死人を悪く言うもんじゃないと思うが」

「さっき刑事さんが言ったでしょ。議員の秘書なんてやっているからって」


 だから『自殺』の可能性もあるとか。

 とぼけた顔で頭を掻いた小暮の横で相棒の刑事が、言ってましたよ、と嘆息した。


「いやまあ、そういう例あるというつもりで」

「議員秘書の自殺ってよく聞きますからね。実際は知りませんけど、そういう話なんですか?」

「そうじゃあない。本当にただの転落事故だと俺は思っているんだが」


 わざとゴシップ的な話に興味を持ったようにこちらから聞いてみると、案の定相手が嫌がった。

 事故にしろそうでないにしろ、民間人に捜査情報をペラペラ喋るはずがない。

 僕としては早く話を切り上げたいのだ。だからこそ相手に煙たがられるように。



「酔った事故に見せかけて……」

「いやいや、転落したところは他の人間が見ている。誰かに突き落とされたとかじゃあないんだ」

「その人たちが犯人だとか」

「そりゃあドラマの見過ぎだ。誰の証言にも不自然な点は――」

「小暮さん、ストップです」


 性格的に口が堅い方ではないだろう小暮を連れが止めた。

 とりあえず海に落下したのは本当で、その瞬間を見た人もいるのはわかった。


 僕の仇の背背を、詩絵が突き落としたわけではない。

 できるわけもないのだ。車の中で一緒だったのだから。



「もういいでしょう。始角さん、お時間取ってすみませんでした」

「もし何か思い出すことがあれば、県警一課の小暮宛に連絡もらえれば助かる」

「……わかりました」


 僕から有益なことは聞き出せないと思ったのだろう。

 軽く頷いて去っていく。




 その背中を見送りながら、僕は何とも消化できない気持ちでその場から動けなかった。


「……」


 何かできたはずがない。ただの事故だ。

 そう思う一方で別の考えがぬぐいきれない。

 詩絵が、何か僕の想像できない方法でやったのではないか。こんなタイミングで都合よく背背が死ぬなんておかしい。



 ハッキングなんかとは違う。殺人。

 いずれこの手でと思っていた。やらなければいけないと。僕が。

 それを、まさか詩絵が。それとも舞彩が?

 僕なんかの為に……背背のようなクズを殺して、彼女らの手を汚させてしまったのだろうか。


 いずれ。

 いつかは、準備を進めて、覚悟を決めてやるものだと。

 まるで残した宿題のように思っていたものが、僕の知らないところで片付いてしまう。


 どうにも腹の奥がむずがゆい。収まりが悪い。

 一緒に暮らす部屋に戻る気にもなれず、思い出した菓子店に行く用事に歩き始めたのはずいぶんと経ってからだった。



  ◆   ◇   ◆



「なにか知っていましたね、あれは」

「あぁ」


 知らない人間が死んだにしては動揺が大きすぎた。

 最初は知らないと言っていたが、背背を個人的に知っている。そういう反応だった。


「死んだのは本当に知らなかったみたいですが」

「なんで嘘をつく必要があったのか。それも気になるが、そうだな」


 小暮は険しい顔で目線をやや上に向けながら思案して、ふぅと息を吐く。


卑金餮足(いやがねてつぞく)の秘書、か」


 事故だと決めつけていたが、そういえばそうだ。

 どこかで怨みを買っていてもおかしくないと思えば、やはりただの事故ではないのかもしれない。



  ◆   ◇   ◆


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