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33.海に沈む日_2



「今日、そこでアイナメを釣ったんだ」

「……」


 声をかける話題としても悪くない。

 世間話のように。


「刺身にするとうまいんだな。知らなかったよ」

「……そうですか」


 ひどく冷える堤防の上だが、酒のせいか別の理由かあまり寒さを感じない。

 背背(はいせ)を横目で見て、ぼそりと一言。



「この辺りの人じゃなかったのかな?」

「ええ……違います」


 知っているが、知らない(てい)で話を続けた。

 居心地の悪そうな始角。本当に、誰も見ていなければ飛び込んだのではないか。

 ただ他人と話したくないだけか。人間不信に陥っていても不思議はない。



「こんな冷たい水の底でも魚がいるものなんだな」

「……」

「私の母は魚が好きでね」


 黙ったままの始角に話を続ける。

 始角のような人間は他人の話を遮らない。話の途中で立ち去ろうにも一対一では去りづらい。


「若い頃はわからなかったが、母は魚料理がうまかったんだな。それが当たり前だと思っていたから気づかなかった」

「……」

「この年になると母の作ってくれた煮魚が懐かしくなる」



 どんな切り口でもよかった。

 母親の思い出話らしいものに繋げられればそれでいい。

 作り話でも始角に聞かせてやれればいいのだから。


「甘塩っぱい味付けはどうやっていたんだろう。もう聞きたくても聞けないんだがね」

「……」


 嘘だ。兄夫婦と暮らす母はまだ存命で、特に病気を患っているわけでもない。

 ただの悪意。


「君も話せるうちに話しておいた方がいい。年長者のお節介だよ」

「……死にました」

「それは……」


 もちろん知っている。

 怒って殴りかかってきたりするかもしれないと思っていたが、そんな気力もなさそうだった。冷たい海風で折れてしまいそうなもろさを感じた。


「僕のせいで死んだから」

「それは悪かったね」

「……」



 始角は、冬の海のように熱のない声で呟いてから背中を向けた。

 わずかに雪の残る堤防のコンクリートを踏みしめながら、なんでもないように歩き去ろうと。


 その背中が震えているのは寒さのせいでなければ、背背との会話が身に染みたから。


 ただの行きずりの相手。なんでもないと自分に言い聞かせているのだろう。

 少し速足になっているように見えたのは気のせいではなかった。



 ずるり、と。


 途中、雪で滑ったのか転びそうになって大きく身をよじらせた。

 慌ててバランスを取り直して、またさらに速足で逃げるように去っていく始角。


 無様でみじめな姿を見送る。

 情けない息子。まさにそう。

 もう少し揺らしてやれば水底に沈むかもしれない。背背の思うまま。


 楽口(たのぐち)に言って定期的に仕事を回すようにしよう。

 わざと失敗させて、楽口を頼らせて。

 そのうち大きな問題を吹っかけてやれば無力感に耐えられなくなるのではないか。



 今年は面白いことになるかもしれない。

 少しずつ、少しずつ。小さなことで苦しみを積み上げて自死に追いやる。

 いい新年を迎えられそうだと思った頃には、もう始角の姿は港の端に小さくなっていた。



「はは」


 気が付けばすっかり体も冷えている。

 細く伸びた堤防から宴会場に戻ろうと歩き出して、薄い雪の中に始角が転びそうになった足跡を見つけた。


 コンクリートの堤防の継ぎ目。

 鉄板が敷かれている場所がある。だから滑ったのか。


 背背が同じ轍を踏むことはない。始角が滑った場所を避けて――



「――」

「うん?」


 何かが聞こえたような気がした。呼ばれたような。

 倉庫のドアが開いている。宴席に戻らない背背を心配して探しているのか。



「あ」


 ぐらりと、大きく揺れた。

 酔いのせいもあったかもしれない。道の端っこを踏んで大きく揺れた。世界が。


「なん――っ?」


 地面が抜けたような感覚の後に、跳ね上がった鉄板が背背の鼻を打つ。


 慌てて伸ばした手の先が淡雪に濡れた冷たいコンクリートを掠め、爪の先から火のついたような痛みが脳天を貫いた。

 背背の体はそのまま、防波ブロックにぶつかり飛沫(しぶき)を上げる真冬の海に――



  ◆   ◇   ◆


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