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28.アンフィット



 押し入れの隅っこで舞彩(まい)が話している。

 ぼそり、ぼそりと。過去の嫌な思い出を。嫌いな相手に。


 司綿(つかわた)は、その手をずっと握っていた。

 最悪な気分だろう舞彩。だけど必要だからやると言って。


 個人が特定されるような決定的なことは言わない。

 干溜(ひだまり)埜埜(しょの)娥孟萬嗣(がもうばんじ)。この二人が舞彩にどんな仕打ちをしたのかだけ。


 詩絵(うたえ)は、薄暗い部屋でずっとモバイルPCに向かっていた。



  ◆   ◇   ◆



「やはりフクロウは優秀です」


 通話を終えた舞彩の背中を撫でている司綿に、詩絵は下唇を噛みながら頷く。


「フィットーク起動中は特定のポートが開く。通信相手のデータを引っこ抜くことが出来ると」

「そんなハッカーみたいなことを?」

「向こうがドアを開けている状態ですからね。IPやMACアドレスもアプリ起動中はわかりますから」

「僕にはよくわからないけど」

「私だって、フクロウから教わっていなければできません。先に舞彩の端末でも練習しましたが……そうですね、フクロウはいわゆるハッカーなんでしょう」


 はぁ、と詩絵が深く息を吐いた。

 とりあえずうまくいったらしい。


「舞彩が引き延ばしている間に、バックグラウンドで行っていた操作は全て元に戻しました。直近のアプリ使用履歴を見ない限り、浮抄(ふしょう)が気づく心配はありません」


 映画なんかで見るハッカーなら、相手が防護しているコンピューターの中に入ったり乗っ取ったりする。

 現実にそんなことが出来るのかと聞かれても司綿にはわからない。

 よほど大規模な設備があればできるのかもしれないが。



「海外アプリに限りませんが、脆弱性と言われる穴があるそうです。通信の為にはどうしたって戸を開けて繋ぐ必要があるのだとか」

「ポートってやつ?」

「ええ、フィットークでは通話している相手のIPも調べられる。起動している間はポートを通して端末を覗ける。端末に記録されている情報を」


 コンピューター内の情報が流出するなんて事件もある。

 大抵が、外部から無理やりこじ開けられたわけではなくて、使用者本人が不注意で開放した状態にしているのだとか。

 今回、舞彩がそれをさせた。浮抄の手で信頼性の低いアプリをインストールさせ、起動させた。



「名演だった……でしょ?」

「無理しなくていい」


 笑う舞彩だけれど顔色は良くない。

 嫌う相手、浮抄と直接会って話をした。

 その上で、アプリを使用させる為にゆっくり二十分くらい話した内容は、思い出したくない過去のトラウマ。


 真実味はあっただろう。事実なのだから。

 浮抄も無理に舞彩の個人情報を聞き出そうとはせず、ただ内容を聞いていた。とりあえずセクハラ的な発言もなく。



「後で浮抄は調べると思います。過去の虐待事件で舞彩の話に該当するものがないか」

「調べられたら……?」

「どれだけ探しても出てきませんよ。似た事例はあるかもしれませんが」


 舞彩が特定される心配がないか。

 詩絵はきっぱりと首を振って否定した。


「警察の記録では、私たちへの加害者は司綿になっているんですから。内縁の夫ではなく」

「……そうか」


 浮抄が過去に担当した中で、舞彩の年齢の子が家庭内暴力の被害者として記録された事件。

 そうではないのだから、調べても正解に辿り着かない。

 娥孟萬嗣には辿り着かないし、当然舞彩のこともわからない。



「ん……」


 舞彩がふらりと立ち上がったかと思うと、PCに向いたままの詩絵の背中に寄り添った。

 僕が思った以上に精神的に堪えたらしい。

 舞彩の背中をもう一度撫でると、舞彩は小さく首を振った。


「違うんだよ、司綿さん」

「うん?」

「姉さんの方」


 舞彩が通話中、ずっとPCで作業をしていた詩絵。

 真剣な様子だったし、今もそのまま表情は強張っている。


「いやなことを思い出してつらいのは、姉さんも同じ」

「……そうだな」


 舞彩の手を握っていた僕は詩絵から離れていた。PC操作の邪魔になってはいけないと思って。

 ハッキングをしていた詩絵の耳にも舞彩の話は聞こえていたのだ。共有する記憶。


「よくわかるんだな」

「だって」


 頭を撫でる僕の手を、詩絵は何も言わずに受け入れる。

 その様子は本当に疲れている。さっきの溜息はPC操作ではなく精神的な原因だったのか。


「あたしと姉さんは同じだもの。姉さんの気持ちはあたしの気持ち」

「……そうですね」



 つらく苦しい幼少期を共に過ごした異父姉妹。

 とはいえ、詩絵に対する舞彩の傾倒ぶりは常軌を逸しているような気がしなくもない。

 母に育児放棄されて、母の彼氏に虐待を受けた少女たち。頼れるのは互いのみ。その境遇から考えればこんなこともあるのかもしれないと思っているが。


「……風呂、入ってくる」


 なんだか割り込めない空気を感じてその場から離れた。




 青いタイルに水色の浴槽。古いアパートマンションでは典型的な色彩の浴室。

 狭い浴槽の中で膝を抱えて考えてしまう。


 あまりに強い二人の絆。依存と呼ぶべきもの。

 依存が悪いというつもりはない。司綿こそが彼女らに依存しているのだから。

 舞彩が生きるのに詩絵は絶対に必要な存在だっただろうし、詩絵だって舞彩がいたから頑張れたのだと思う。



 ただ、少し怖く感じた。

 小学生なんかが他人をからかう時に言うように。


 ――お前、姉ちゃんが死ねって言ったら死ぬのかよ。


 そう聞かれたら舞彩は、うんって平然と答えるような気がして。なんだか怖くなった。



  ◆   ◇   ◆


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