24.冬の思い出_1
「ワシは行かん」
卑金が年末からそう言っていたのを背背羞奨は聞いていた。
それを言うならもう何年も昔から。
「冬の漁港で新年会なんぞ、寒くてかなわん」
「ぜひ来てほしいと言っていましたが」
「毎年盆前には顔を出しとるだろう。冬は行かん」
地方都市のこの町には昔ながらの漁港があり、その近辺で働く人口は少なくない。
県議会議員の卑金餮足の支持団体でもある。
「農協の方に行く。漁協は背背、お前が行け」
「わかりました」
支持団体の新年会に顔を出してほしい。
そういう要望はいつもあるし、卑金本人が全てに参加できるわけもない。
県議の地盤というだけではなく、卑金の父である参議院議員の地盤でもある。父は国政に従事しているのだからその後継ぎである子が顔を出すべき。
父親も七十も後半だ。近く卑金がその椅子に座るのなら、できるだけ地元の票田との繋ぎは強い方がいいだろう。
今回は新年会。
あちこちスケジュールが重なるのも自然な話で、漁業よりは農業従事者の方が人数は多い。卑金の判断が間違いでもないが。
寒くてかなわない。
背背にだってその気持ちはわかる。
真冬の漁港で新年会をする必要があるのか。どこか旅館などではいけないのか。
漁業従事者とすれば、港で魚を焼いて食うのが習わしであり最高のもてなしという気持ちらしく、そこは部外者がどうこう言っても変わらない。
悪くはないのだ。
焚火で魚を炙りながら食ったり、酒が入ってイカを焼いたり。
しかし寒さは堪える。卑金が望んで行くわけもなく、補佐役の誰かが代理で行くのが通例だった。
というか、ここ毎年は背背の役割だ。
何度か漁協回りと面識が出来てしまった為にお鉢が回ってくることに。
その辺はもう諦めた。
せいぜい飲み食いを楽しむくらい。
普段、卑金の送迎を担当する背背は酒を飲まないが、卑金がいないのなら遠慮も不要。帰りは代行でも呼んで経費で処理する。
酒が入って愚痴が零れても、周りは背背よりずっと口の悪いような連中だ。
発言に気を付けるほど上品な場ではない。そう考えると新年の息抜き程度にはちょうどいい。凍えるほど寒いにしても。
背背はもう四十五になる。
大学の時にバイトで卑金の選挙手伝いをしたのをきっかけに、卒業後に卑金の事務所で働くことになった。
早めに就職が決まったのは幸運だっただろう。特別にやりたい仕事もなかったし、給料は思った以上に良かった。
大学時代の知人が、やれノルマがきついだとかクレーマー対応だとか言っていても、世襲議員の卑金にその手の苦労はなかった。
時間外の業務は少なくなかったが、接待で行く女付きの酒場なども背背の出費はない。
うちの若いのを頼むと卑金が言えば、過剰な個別サービスを無料で受けることもあった。役得と言っていいだろう。
世の中は学校で習ったような綺麗事で動いているわけではない。
権力がある人間に頼めば、平らな碁盤を都合のいいように傾けることだってできる。
法だの倫理だの、そういうのは対等な平民同士で交わす話だ。
ひとつ上の世の中の仕組みを知り、そちら側で生きる伝手を得た。
その為に汚れ仕事もする必要があるが、必要な業務なのだから仕方がないだろう。
◆ ◇ ◆




