20.一歩ずつ
「差詰の娘が私と近い年齢だったのは幸いでした」
翌朝に改めて画像と動画へのアクセス傾向を見て息をつく。
目的の相手に届いただろうと確信を深めて、詩絵の肩が溜息と共に下がった。
ひとつ片付いた、と。
「SNSにもいくつか種類がありますが、こうして友達とリンクしていくタイプのもの」
実名で登録した場合に、同じ学校出身の誰か、近くにすむ誰か。そしてその誰かとリンクしている誰か。
友達の友達と繋がっていくタイプのSNSがある。
中にはまるで知らない人間も輪に入っていたり。
「私の作ったアカウントは小動物や草花などを載せていますから。友達かもしれないと表示された時に好まれやすいように」
「うん」
「差詰の娘本人ではなくてもその知人と繋がればいい。そのリンクの中に、別のアカウントから画像を流す」
毒を垂らす。
同世代の女性が見て不愉快で、だけど興味を抱くようなものを。
「どこでという情報も添えて」
「自分の生まれ育った土地に近い地名。気になって当然か」
「昨夜のうちに本人が目にするとは、うまく運びました」
差詰の画像、動画に娘のアカウントから反応があったことも確認できた。
あとはどうなるのか。まあロクなことにはなるまい。
ふんふん、と朝ごはんを作っている舞彩の背中。こちらも機嫌が良さそう。
「舞彩も頑張ってくれました」
「歩き方のチェック、司綿さんにしてもらったもん」
前もって下調べをしていた。
差詰の事務所で働く女性従業員の行動パターン。衣服と歩き方の特徴。
撮影済みの動画を確認しながら、舞彩がうまく真似られるよう一緒に練習した。背格好が完全に同じではなくとも夜なら判別できないだろう。
「海外製のマルチリモコン。出力をいじれば屋外からでもエアコンを操作できたことも幸いです」
「そういうのどこで勉強したの?」
「いろいろですが」
様々なメーカーのエアコンを操作できるリモコンがある。
普通でも隣室から意図せず動作してしまうことがあるが、買ってきたリモコンを改造してより強い電波が出るように調整した。
エアコンのメーカーは室外機を見ればわかるのだから、周波数はそれで合わせられる。
一番低い温度で、最大の風量で。
首振りもさせるとブラインドが大きく揺れるのが外からでもわかった。後は差詰が戻ってくるのを待つだけ。
正直、少し手間取ったのだ。もっと早く動作させるつもりだったのだが、強化させたとはいえ電波がうまく通らなくて。
車の窓から身を乗り出してやっと室外機が回りだしてほっとした。
差詰が戻ってくるかどうかは半々。
戻ってこなければ仕方がないと詩絵は言ったけれど、まあうまくいったのだからそれでいい。
「娘は関係ないと思ったけど」
「もっと無関係で無実なあなたを陥れ、あなたの家族を不幸にした一家です。今日までのうのうと暮らしていたことさえ不相応ですから」
「ああ」
社会的な地位がある弁護士の父が児童買春。
言い逃れもできない証拠を目にした娘は、どれだけ辛いのか。
法学部に通っていると聞いた。父の後を継いで弁護士になるつもりだったのかもしれない。
この一件だけで差詰が逮捕されたりすることはないと思う。おそらく。
詩絵も写真と動画を流しただけで、差詰作論だと言ったわけではない。そこまですれば今度は捜査がこちらに伸びてくるかもしれない。
ただ、この家族には埋めようのない傷を残した。元通りにはなるまい。
場合によれば流れた画像から、差詰の今後の仕事に支障が出ることも十分に考えられる。
「娥孟のように失うものがない人間と違って」
最初の一歩がうまくいったと確信したのか、詩絵は舞彩が入れてくれた紅茶を啜って頷いた。
「差詰には、自分がこれまで積み上げてきたものが崩れていくのが何より堪えるでしょう」
「そうだね」
復讐する相手が一番苦しむところを責める。
これが娥孟のごときチンピラ等であれば、こんな動画のひとつやふたつでは大したダメージにならない。
経歴に傷などついても関係ない。妻や娘から嫌われようと痛くも痒くもない。
差詰は違う。
社会的地位や名誉。誇りある経歴と理想の家庭。
そうしたものが崩れる。失われる。差詰作論という男が二十年以上かけて築いてきたものが。
「元より、弁護士という仕事を倫理観ではなく自尊心でやっていた人間です。司綿への弁護に手を抜いた時から、この男の築いたものなど虚像でしかありません」
「偽物のお城ね」
「家族を失い、仕事も失い。今まで大事にしてきた自尊心を守れないとしても、全てこの男の招いた結果です。これでもまだ生ぬるいかと」
「いや……ありがとう、詩絵」
僕一人では絶対にできなかった。
復讐すると言っても、せいぜい闇討ちして死傷させるくらいしか考えつかない。
こうしてみればわかる。差詰にとって今の状況ほど混乱することはないだろう。
品行方正なはずの自分が児童買春を疑われ、確信され、家族が離れていく。
この動画はネットを介してどこに出回っているのか、どこまで知れ渡っているのか。
次に鳴る電話は、クライアントから契約解除の電話だったりするのではないか。あるいは警察だったり。
違うと叫んだところで不利な状況証拠しかない。
自分ではないと言い張ることも考えられるが、少なくとも妻も娘も差詰本人であることを見間違えたりしないだろう。差詰の職場のすぐ近くの道路であることも見ればわかる。
――どうしてこんなことになったんだ。
その気持ち、司綿にはわかる。よくわかる。
司綿だから誰よりもよくわかる。
誰にも信じてもらえない。誰もが自分を性犯罪者だと確信して蔑む視線。
返してやった。
司綿と家族が受けた不当な不利益のひとつ。それをもたらした当人に。
「……」
渇いた喉に一口の水。
そうして、まだ渇いていることに気づく。
「次は……」
「その前に司綿」
飢えを感じる司綿に語り掛ける詩絵の声は静かで、添えられる舞彩の手は温かい。
「明日は警察署です」
「……」
「この地域の保護司面談は居宅か警察署。放置して変に勘繰られても面倒ですから」
「うん……」
相変わらず詩絵と舞彩以外の他人は苦手。
それでも彼女らと触れ合うことで、少しずつマシになってきている。顔を合わせたとたんに目を背けるほどではない。
しかし警察署となれば気持ちが怯む。
「私が付き添います……明日は私を妻と言って下さい。あなたを支える妻だと」
保護司は敵ではない。
出所した人間が平穏に社会に溶け込めているかを確認し助言をする役割。
僕が結婚したなどと聞けば驚くだろうが、頼る相手がいない出所者というよりは安心できるかもしれない。
出所者が問題を起こしたりすれば保護司も面倒が増える。
仕事が円滑に進む。誰だってそれが一番望ましい。
僕の復讐も、このままスムースに進むといいのだけれど。
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