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2.後悔



 ――被告、始角(しかく)司綿(しめん)を十五年の懲役刑とする。


 僕の人生はそこで終わった。



  ◆   ◇   ◆



 まいちゃんは姉の泣き声には無反応だったが、僕が呼び掛けたら目を覚ました。

 痩せている二人の幼い姉妹に乳酸菌飲料を飲ませたら、少しだけ元気になった。

 栄養失調の兆候もあるのだろうが、ぐったりとしていたのは軽い脱水症状だったのだと思う。


 彼女らの汚れた顔をぬるま湯で絞ったタオルで拭いてから、もう一度コンビニに行って何か食べられそうなものを。

 戻ってきたところに警察がいた。

 誰かが通報したのだろう。遅まきながら。


 姉妹の体には暴行の後。体のあちこちに、打撲や小さな裂傷。

 騒ぎが大きくなった夜明け前に帰ってきた『ママ』は、まるで娘をかばうような(てい)で見知らぬ僕に罵声を浴びせた。


 ――この変態! 私の子に何したのよ!



 高校もろくに行かず、なんとか卒業だけしたけれど働きもしないで引きこもっていたニート。

 世間からの評判は最低だった。

 子供を虐待、放置するような親よりも信用がない。


 何もしていない。助けようと思っただけだって主張した。何度も、何度も。



 ――君ぃ、そんなこと今までしたことないよね? 始角(しかく)……司綿(しめん)くん?


 そりゃそうさ、初めてだよ。

 こんなこと何度もしている奴がいるなら、その方がおかしいだろ。不自然だ。



 ――ああいう子供に悪戯したいって考えちゃったことは?


 ないよ。僕はそんなこと一度だってない。



 ――君の部屋からねぇ、なんていうのかな。幼女愛好趣味の漫画とかゲームとか、出てきちゃっているんだよね。


 二次元と現実を混同しているのはあんたじゃないか、刑事さん。検事だったかもしれないが。


 ふざけるな。

 ふざけるなよ、本当に。




 ニュースと名のついた卑俗なワイドショーを垂れ流すテレビでも、しばらく話題になったらしい。


 ――犯人は女児向けアニメのグッズなどを所持して。


 ――このような乳酸菌飲料。白く濁ったジュースを飲ませたということですが……どう思いますかコメンテーターのデンナさん。


 ――犯人が登録していたスマートフォン向けゲームアプリのイラスト、このように過度に性的で。


 ――犯人のSNSアイコンのこちら。きわめて低年齢に見えるキャラクターですが、この手の界隈ではロリババアなどと。


 ――世の中変わった名前が増えていますが、シカクシメンなんてね。冗談みたいな名付けをする家庭環境にも疑問を覚えざるを得ませんね。




 卒業アルバムから実際の僕を知る人間のコメントも。小中学の同級生秋基(あきもと)君の声だったと。

 喋る声は小さく、女と付き合ったこともない。挙動不審で同世代以上の女と会話ができないから女児に手を出したんだとか。

 そんな風に言われているらしい。




 ――始角さん、あなたに前科はない。


 弁護士は当たり前のような事実を僕に確認するみたいに言った。

 感情を見せない事務的な態度。非常に不利な裁判で地元の弁護士に断られた。お鉢が回ってきた公選弁護士は早く話を進めたかったのかもしれない。


 ――突発的で衝動的な行動。真摯な反省の姿勢を示せば、減刑や実刑を免れることもできるかと。


 違うそうじゃない。

 僕は犯罪なんてしていないって言っているんだ。


 ――私はあなたの為に最善を尽くすつもりです。どうかご理解と、ご協力をお願いしたい。


 弁護士もまた、僕が悪事を働いたことを前提に話を進めた。

 そして彼の言う最善は、結果として最悪な方向に転んだ。悪意すら感じる最悪。



 強制猥褻致死傷罪。三年以上無期懲役までが科される罪状。

 年端も行かない女児に対してとなればさらに罪は深い。それも二人の被害者。


 世論に押されたせいか検察の求刑は前例がない最大のもので、国民の注目度の高い裁判ということで裁判員裁判の適用。

 ランダムに選定された民間人による裁判。誰だってこんな犯罪を許せるわけがなく、事実の審議よりも僕にどれだけ重い刑罰を科すかだけしか彼らは見ていなかったのだと思う。

 僕の方も、強い憤りの視線に晒されて顔を伏せてしまった。敵意が怖かった。




 全方面が敵だった。

 そんな世界でも、ほんの少しだけ敵じゃないものもあった。



 ――あの子たちは、お前のことジュースをくれたおじさんだって。


 無精髭の刑事は溜息を吐いて首を振った。


 ――よくもまあお前、あんな小さい子に欲情できるもんだな。おい。


 違う。そうじゃない。

 ただ助けたかっただんだ。


 ――わざわざ夜中に遠くまで出かけて物色してたのか? 親が留守の家を。


 どんな状況も悪くしか言われない。

 女児愛好家の変態犯罪者としての扱い。


 ――証言? はっ、ジュースおじちゃんを庇ってくれるとか? ばぁか、子供の証言能力は認められねえんだよ。ふてぶてしいやつだぜ。


 幼児の証言に法的根拠は認められない。

 そういうものらしい。




 まだ他にも、敵じゃないものがあった。


 ――母さんは、入院先から抜け出て川に飛び込んだ。


 兄の顔を見たのは、その面会の時が最後だった。



 ――親父は家を売るって決めた。向こうの夫婦……いや、母親と内縁の夫が民事訴訟するって。それの示談に金がいる。


 その後の裁判や手続きでも父と兄に会ったと思うが、とても顔を合わせられなかった。

 どうしてこんなことに。


 ――俺も、婚約破棄した。された、ってのが本当だな。職場からも辞めてくれって……




 僕だけの不幸だったらどんなに良かったか。

 そう思うくらいに救いようのない、取り返しのつかない馬鹿なことをしたのだと。


 あの夜に帰りたい。

 もう一度あの夜に。そうしたら……


 そうしたら僕は、正しい選択をするのに。

 耳を塞いで家に帰って、もしかしたら匿名の通報をする。そうして二度とあの場所に行かない。正しい選択を。


 どうしてあの時にしなかったんだ。



  ◆   ◇   ◆


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