18.弁護士事務所_2
車に戻る。
戻ったところで、愛車の脇から出てきた背中に意識が向いた。
グレーのコート、目深にフードを被った女性。
左足をほんの少し外側に蹴りだすような癖は見覚えがある。というかよく見ている。
雇っている女性事務員。雑賀真理子だ。
「雑賀くん!」
速足で立ち去ろうとするその背中に声をかけた。
なぜこの時間にここに。今、差詰の車近くから出てきたが何をしていたのか。
もしかしてエアコンは誤動作ではなく、雑賀がつけたのか。何のためにかわからないが。
誤って警報を鳴らしてしまったからごまかそうとした。そう考えれば辻褄は合う。
思ったより差詰が早く戻ってきたから車の影に隠れていた。
だとすれば彼女はもしかして、持ちだすべきではない何かを――
「待ちなさい! 待て、雑賀くん!」
聞こえているだろうに無視して進むのを追いかけて、逃げ出そうとする女の肩を掴んだ。
――パアァァッ!
眩しい光が差詰を飲み込んだ。
車のヘッドライト。雑賀を追いかけて交差点に入ったところで、いきなり横からハイビームの洗礼を受けた。
「ひっ!?」
轢かれる、と。
思わずコートを引っ張りながら身をすくめた。
「っ……」
思ったほどスピードは出ていなかったらしい。車は一度停止してから、交差点の途中で立ち尽くした差詰たちを避けながら曲がっていった。
「……離して」
「いや、君は……君は、誰だ?」
「はあ?」
差詰が引っ張ったせいで脱げかけたコートの下は、制服だった。おそらくどこかの高校の。
袖を掴みコートを脱がした格好になる差詰は、暗がりで女の顔を見て呆然としてから、自分の間違いに気が付いた。
知らない少女。女子高生。
「……痴漢なら、大声出しますけど」
「あ、いやっ……すまない。知り合いと間違えたんだ」
慌てて手を離し、後ずさりして交差点の端に寄る。
事務員の歩き方と似ていたことと、似たようなコートを着ていただけ。
予定外の無駄足に苛立っていて完全に見誤った。少女の言う通り、痴漢だと叫ばれても仕方ない状況だった。
「本当にすまなかった。その……」
「……」
不審そうに差詰を見る少女だが、ふっと笑った。
年齢に似つかわしくない艶やかさを感じさせる笑み。
「ん」
手を出す。
特に何を言うでもなく、手の平を差詰に向けて。
まさか手を繋ごうというわけでもあるまい。
「あ、ああ……いや、そうだね。怖がらせて悪かった」
「……」
差詰の言葉に応えることはなく、ただ軽く手を振る。
仕方がない。実際に間違えたのは自分なのだし、こんなことで妙な問題になっては仕事に差し障る。
「迷惑料として、ね。これでご飯でも食べてくれ」
「……ん」
財布から万札を一枚出してその手に渡すと、少女は小さく頷いてそれ以上は何も言わなかった。
どこの誰だとか聞くこともなく、これきりで終わり。これで解決。
無駄足に加えて余計な出費だが、それもまた仕方がない。
少女にとっては思わぬ小遣いだろうが差詰にしてみれば大した痛手でもない。信用を失うことと比べれば比較にならない。
下手をすれば強迫されても仕方がない失態だった。
どこかで少女が見張っていないか視線を気にしてまた十数分を無駄にしてから、改めて帰路に着いた。
本当についていない日だ。
◆ ◇ ◆




