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17.弁護士事務所_1



 十二月に入れば寒さも増す。夜七時を過ぎれば外はすっかり暗い。


 差詰(さづめ)作論(さくのり)が個人事務所のオフィスから出たのは、暗くなってからのことだった。

 常勤で雇っている事務の女性従業員雑賀(さいか)真理子(まりこ)は、火曜日は私用ということでいつも五時に帰る。

 月曜日に処理した案件の返答が火曜に帰ってくることが多く、その確認と書類作成など差詰自身がやることは少なくない。電話番なども合わせて火曜は遅くまで残っていた。

 代わりに水曜日の仕事は午後からと決めている。



 理由は定かではないのだが、なぜだか弁護士の仕事は冬に増える。

 差詰だけがそうなのかもしれない。あるいは日が短いのでそう感じるだけか。


 十年以上前、弁護士事務所の勤め人だった時はどうだっただろう。

 当時も残業は多かったが、やらされている仕事という記憶が強く残っていてよく覚えていない。


 そのやらされた仕事(・・・・・・・)の中でちょっとした権力者と伝手(つて)が出来て、独立するに至った。今は残業代も出ない立場だが、自分で仕事を選べるだけ良いと思う。



「ふうぅっ、寒いな」


 吹き付けた風の冷たさに首を縮めながら愛車に乗り込んだ。

 十九時四十一分。

 いつもより少し遅い。道路が混む時間だから家に着くまで一時間弱。

 若干の空腹を覚えながら走り出した。



 十数分走ったところで、ポケットのスマホがけたたましい音を立てた。


「しまった!?」


 着信通知の音とは明らかに違う。サイレンのようなというか、まさに警告音。

 慌てて車を停める場所を探す。運悪く中央分離帯のある道路に入ったところだった。


 引き返さなければならないのに。


「ああ、まったく!」


 空腹が余計に苛立ちを募らせた。

 普段なら職務に似つかわしい言動をするよう口汚い言葉は使わないが、愛車の中は自分だけの空間。言葉も荒くなる。

 誰に言ったところで仕方がないにしても、腹に湧いた怒りを吐き出さなければやっていられなかった。



「閉め忘れたか……?」


 普段は曲がらない信号を右折するレーンに入りながら思い返す。

 警告音は事務所の戸締り管理のシステムだ。


 差詰は弁護士。事務所の中に高額な金銭はないが、それよりずっと厄介な個人情報や公的文書等が保管されている。

 そう滅多なことはあるものではないとしても、不埒な輩が盗もうとするかもしれない。

 誰もいなくなったオフィスを施錠すると、数分後から自動で警報装置が作動するようになっていた。



 警報のセンサーが何かに反応して、その通知が自分のスマホを鳴らしたのだ。

 何者かが侵入したりすれば当然。

 しかしそういう可能性はほとんど考えられない。


 過去にも何度かあった。窓を開けっぱなしにしていて、風が吹いたせいで揺れたカーテンに警報が動作したこと。

 それに懲りてから窓はきちんと閉めるようにしたのだが、別の時には日中に開けていた窓から蛾が入っていて、そいつがひらひらとセンサーの前を飛んだことも。


 警備システムは警備会社と連携している。

 オプションで、警報が鳴ったら即座に駆けつけてくれるサービスもあるのだが、くだらないことが続いたのでオプションを解除した。

 一時通報は差詰の電話に。そこから警備会社に連絡すれば向かってもらうことも可能。しかし、たかだか十数分のことで追加料金を払うのも腹立たしい。


 もう家の近くだったり休日だったのなら警備会社に任せただろうが、帰路の半分にも達していない。

 Uターンしてオフィスに戻ることにした。



「窓なんて開けていないな?」


 今日は曇天で日中も温かくなかった。

 自分が開けた覚えはないし、そうすると事務員の雑賀が開けたのだ。閉め忘れたのが彼女なら次に会った時に注意しなければ。

 妻や家族に無用な疑いを持たれないよう、自分の好みと離れた女性を雇っている。注意する言葉が厳しいものになってしまうかもしれない。

 余計な手間をかけさせて、という気持ちがついアクセルを強めに踏ませた。



  ◆   ◇   ◆



「な、なんだこれは……」


 オフィスは二部屋になっている。

 入ってすぐは応接を兼ねた受付で、その奥に社長室風な差詰の執務室。

 まず入り口のハンドルを触った瞬間にその冷たさに驚いた。


 中に入ると冬の屋外よりも寒い。保冷倉庫にでも入ったよう。

 自分の執務室に続くドアの金属部分に、やけにびっしりと結露の粒がついていた。急激な温度差が生じたということになる。


 差詰のオフィス内だけが、さらに季節を進めて真冬の極寒になっていた。

 入り口近くで光っていた警報ランプを止めて進むが、ぞくりと身震いするほど。



「なんだと言うんだ、これは……ええい」


 奥の部屋。自分の執務室に入って理由を理解する。

 壁についたエアコンから凄まじい冷風がこれでもかというように吹き付け、机の上にあったノートをバラバラと捲り、窓際のブラインドも大きく揺れている。

 これらのせいで警報が作動したのは間違いない。


「故障か、あの電器屋め」


 苛立ちをぶつける相手はわかった。昨年買い替えた壁付のエアコンが何かのはずみで電源が入ったらしい。

 表の部屋は天井埋め込みのエアコンなのだが、この執務室は部屋の広さもさほど大きくなく通常の家庭用エアコンだった。

 去年壊れて新品に買い替えた。それが誤動作してこんな有様に。


「外から遠隔操作できる機能なんていらないと言ったのに」


 最新式のエアコンは外出先からでも操作できるものがあるのだとか説明を受けた。

 エアコンに限らず他の電化製品も。炊飯器など遠隔操作できたところで米をセットしていなければ何にもならないだろうに。

 ルーターの設定なども必要と聞いて、このオフィスにあまり余分なものを繋げたくない差詰は不要だと言ったのだ。

 結局、通信機能のない機種を買ったはずなのだけれど、店員の説明が間違っていたのかもしれない。そうに違いない。


 エアコンを止めて部屋を片付けながら、購入した電器店の電話番号にかけてみる。

 何ができるわけでもなくても、文句のひとつも言ってやらなければ収まらない。



 ――せっかくお電話いただきましたが、当店の営業時間は……


「くそっ!」


 乱暴にタップして切る。

 忌々しい。苦情の電話は明日だ。


 もう一度エアコンの電源が完全に切れているのを確認して、窓も確認して。


「私に余計な時間を使わせやがって」


 歯ぎしりをしながらオフィスの入り口に本日二度目の鍵をかけた。



  ◆   ◇   ◆


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