14.貶めた者たち
「ハイエナ、そしてフクロウの正体はわかりません」
舞彩が夕食を作る間、モバイルノートを開きながら説明してくれた。
「どちらも県内……近くにいるのは確かです」
「その呼び名は?」
「フクロウと名乗る者がそう呼んでいるので」
中二病なのだろうか。妙な呼び名を使う。
「過去の冤罪事件や冤罪が疑われる事例。そしてあなたの事件の担当刑事や弁護士を調べて卑金の裏を探ろうとしていたら、フクロウからメッセージが届きました」
「向こうから?」
「ええ、私が迂闊でしたが」
詩絵は悔しそうに唇を結んで首を振った。
いつから調べているのか知らないが、詩絵が小中学生の頃なら正面からアプローチしていたこともあるかもしれない。グレーゾーンを越えて。
アクセス記録やIPなどから詩絵を特定する人間がいたとしても不思議はない。
「興味本位で首を突っ込むな、と」
「……」
「迷惑だとも言われました。内偵の警察や何かなのかもしれません」
警告された。
素人が冤罪事件や不正疑惑を暴き立てようとしている。
下手なアプローチで警戒が高くなれば仕事がやりにくい。そういうことなのだろう。
ブン屋という可能性も口にしたのは、ゴシップ誌かフリーの記者。あるいは卑金などと対立する誰か。
そういった系統の人間が同じように臭いところを嗅ぎまわっていて、ちらつく詩絵の影を察知して警告を。
「恩人の無実を証明したいだけと返答したら、URLが送られてきました。ネット通信の偽装方法の初歩を説明するサイトと、そこからさらに踏み込んだ海外のアンダーグラウンドなサイトです」
「……」
「卑金の父親は代議士……参議院議員です。親が引退したら地盤を継ぐ予定ですが、それの敵と考えるのが妥当でしょう」
卑金餮足は世襲議員。親が引退するまでは県議会議員としての経歴を積み、国政参加への箔付けにするはず。卑金一族はこの地域で特に強大な権力を持つ。
だからこそ逆に敵も存在する。
フクロウというのはそうした側のエージェントか何かで、迂闊なちょっかいを出しそうな詩絵に気づいて警告したと。
「決して味方とは言えませんが、利用できるかと思いました」
「なるほど」
「向こうも何か思惑があるはず。少しはネットの裏側を学んでから今度は私がメッセージを出しました。フクロウが気づくように」
警告されたからと退くわけにはいかない詩絵。
復讐の為に学習意欲も高い彼女だから、その成長がフクロウの興味を引いたのかもしれない。
「卑金に直接接触しないこと。変化に気づいたら情報を提供すること。そうした条件で彼の知る一部も提供してもらっています」
「それがハイエナ?」
「ハイエナはもう何年も卑金の動向を探っています。何月何日何時に、どこで誰と一緒だったか」
「あの近くにいたってことなんだね」
なるほど。
詩絵や舞彩だけで敵の動きを網羅することには無理がある。
フクロウとハイエナもまた目的があって卑金周辺を探っていて、邪魔にならないのなら協力者に。
お互いに顔も名前も知らない。
「ハイエナからの報告と私の見たことが合致すれば、情報の精度は高くなります」
「そうやって行動パターンを絞っているわけか」
「卑金の行動についてはフクロウのSNSアカウントで……他の人が見てもわからないよう符牒で記録しています。教えてもらったわけではありませんが、私の記録と照らし合わせてだいたいの意味は読めるようになりました」
「なんでSNS?」
「ハイエナや他の協力者との共有だと思います。過去と照合して推測しているようですから」
「かなり本気みたいだね」
何年もかけてと言うならスパイごっこなんてものではない。本格的な密偵。
警察の内偵とか公安。反対に体制側ではない団体の可能性も。国政に関わる議員一族ともなれば現実にマークされていても不思議はないのか。
詩絵の言う通り、それが味方とは限らない。しかし利用はできる。
「卑金についてある程度任せることが出来ましたから、他に時間を割くことが出来たのも有益でした」
「他……」
「元公選弁護人の差詰作論。娥孟萬嗣の他に」
詩絵がファイルを開く。
知っている顔……よりは年を増しているが、覚えている。この髭面はよく煙草を吸っていた。
「刑事浮抄淇欠」
「……こいつも?」
「ずいぶんとあなたを責めたと聞いています。事件の後何度か会いました。私たちに安心するようになどと……この屑が司綿を責める資格などないのに」
台所の舞彩の背中に目をやり、忌々しそうに下唇を噛んだ。
「この刑事が何か?」
「浮抄が私たちを見る目がどういうものなのか、何度か見て気が付きました」
よく言われる。女は男の視線に敏感なものだと。
子供だったにしても女に違いない。詩絵は周囲の人間に強い警戒心を抱いて観察していたのではないか。
「どれだけ訴えても聞くはずもない。この男は『性被害にあった女児』としての私たちに興味があったのですから」
「……」
「司綿、あなたとは真逆。そんな男が担当刑事としてあなたを責め、理由をつけて私たちを見に来ていた。おぞましい」
思い返してみれば、詩絵の言い分が僕の記憶に噛み合う。
強い敵意。どんな行為をしてどんな気分だったのかとしつこく聞かれた取り調べ。
ぎらついた瞳は正義感による怒りではなく、浮抄淇欠本人の欲望。
僕に対して、性犯罪をしたと決めつけた。
詩絵と舞彩に対して、性被害にあったと決めつけた。
この男の歪んだ性欲が事実をそうだと思い込ませ、そうあってほしいと己の汚い願望を事実として塗り固めた。
「……糞野郎」
「まさにそれです」
刑事としてこの手の仕事に携わるうちにそうなったのか、最初からそうだったのか。
「中学時代にもいました。私や舞彩の境遇を知ると妙に親切な顔をする教師など」
「……」
「全員がそうだとは言いませんが、中にはいるんです。接する機会の多い女児に獣欲を抱く男が」
昔から絶えない犯罪。
ダメなことはわかっているはずで、けれど必ず存在する。
多くの人間は自制するはずのことに手を伸ばしてしまう男がいる。女でもいるのだろうけれど。
「さすがにその教師までどうこうしようとは言いませんが、この浮抄は許しません」
「うん」
「次は……彼のことは私よりご存じでしょう」
詩絵が次に進めた顔写真には覚えがあった。
卑金の選挙ポスターのようなぼんやりしたものではなく、知った顔。
「秋基くん……楽口秋基」
「小中学校の同級生でしたね。事件の後、司綿のことをなんでも知っているように吹聴していました。悪し様に」
「そうらしいね」
「お調子者の目立ちたがり屋。だけかと思いましたが、この楽口と背背に接触があったので気が付きました」
「背背?」
次のファイルに進めようとカーソルに手を伸ばしかけた詩絵だったが、その手を止めた。
迷うように僕を見て、鋭い印象の目を下に向ける。
「お願いがあります、司綿」
復讐への意思は固い詩絵が躊躇う。
前もって僕に釘を刺さねばならないくらいの何か。
「これを聞けばあなたはきっと激しい怒りを覚えるはずです」
「いまさら――」
「今までとは別です。きっと、比べ物にならない」
ここまでも散々な復讐相手を見せてきたのに、それすら別格だと言う何か。背背とは何者なのか。
詩絵の様子に息を呑む、
「司綿さん……」
料理の火を止めた舞彩が来て僕の左手を取った。
詩絵もまた、右手でPCを、左手を僕の右手に重ねた。
よほど心配されている。それだけの理由があって、今まで言えなかった何かが。
◆ ◇ ◆




