11月1日 運命の人に出会うこと。五
どうしよう、とボクは思った。
可愛い。
月ヶ丘祈子が、あまりにも可愛い。
◆
座席というのは、端的に学校内での序列を表現している。
もちろんファミリーネームのはじめの文字やくじ引きなどの要因に左右されることの多い座席。けれども、与えられた座席とクラス内での立ち位置は結局のところリンクする。
ボクの席は廊下側の一番後ろ、教室と廊下を隔てるドアの目の前。
保健室登校の人間にはありがたい、誰の注目も集めずに出入りできる席をあてがわれていた。
祈子の席は、通路を挟んで斜め前だ。
ボクは顔も認識していないけど、隣の席が学級委員の人格的にも学業的にも優れた生徒らしい。
一時間目が終わった休み時間。
「月ヶ丘さんは、どこ住みですか?」
「月ヶ丘さんは部活はどうするんですか?」
「ポッキー、食べますか。月ヶ丘さん」
好奇心と、遠慮と、敬意。
天使みたいに美しい転校生に、クラスメイトたちはよそよそしくも優しく接している。
もとは顔見知り以上の関係にも関わらず、名演技といってもいい。
誰も馬脚を現さない。
ボクはといえば、クラスメイトたちの顔も名前も声も認識せずに、今日もクラスの片隅で肩を丸めている。クラスメイトとボクの人としての格の違いを噛みしめながら、えんぴつを肥後守ナイフで削る。シャーペンもボールペンも使わないのが、ボクのどうでもいいこだわりだった。バネやら何やらの繊細な部品を備えたシャーペンは壊れるけれど、鉛筆は壊れないのが好きだ。面倒くさいものは、信用できる。
サリ、サリ、コリリ。
機械的に手先を動かす。
肥後守ナイフの切れ味がちょっと鈍いような気がした。
「月ヶ丘さん、よかったらお昼一緒に食べな、せんか?」
クラスメイトの誰かが噛んだ。
さわさわとした含み笑い。
間髪を入れずに、澄んだ声が響く。
「誘ってくれて、ありがとう」
祈子は微笑む。
聞き覚えのある台詞だ。
月ヶ丘祈子は、この誘いを断る。
屋上でお昼をひとりで食べるためだ。
そうして、ボクは彼女とお近づきになるというわけだ。
当時のボクは、彼女の言動をまるで気にしていなかったんだけれどもね。
先の展開のわかりきった連ドラを楽しむみたいな、ちょっと神様じみた気分でボクは祈子と顔も覚えていないクラスメイトたちのやりとりに耳を澄ませていた。
──それなのに。
月ヶ丘祈子の言葉は、予想の斜め上の二軒隣のドアを叩いた。
「でも、よかったらマコトちゃんも一緒でいい?」
マコト、ちゃん?
誰だそれは、と一瞬戸惑って、思い至る。
「マコト……って、えっと、大神さんのこと?」
だよね。
ボクだよ、マコトは。
いぶかしげなクラスメイトと同じ顔で、ボクは思わず祈子を見つめた。
……マジで?
「うん! 今朝、お友達になったの」
祈子は満面の笑みで頷いた。
「え、お、ぅあ……あ、イッテ!」
肥後守ナイフで、ちょっと指先を切ってしまった。
そりゃあ、手元も狂う。
◆
それからの時間は気が気じゃなかった。
どうして?
前のときと、あまりに違う。
タイムリープものの陳腐な青春SFじゃあるまいし、ボクと祈子との関係が以前と同じ序章をなぞるわけもないのにボクはそれを受け入れられずにいる。
昼を祈子と過ごせるのはいい。
だけど、どうして、クラスメイトも一緒なのだ。
向こうだって気をつかうし、ボクだって嫌だ。
私立青蘭女学院高等部に入学してからというもの、ずっとずっと、クラスメイトの顔も名前も覚えないことをちょっとしたポリシーとしてきたのに。今更どんな顔で、仲良しこよしをすればいいというんだろう。
祈子の誘いを断れるはずもないんだけれど、でも。
(……でも、これはちょっとさ。予想外すぎるよ)
ボクは一心不乱に肥後守ナイフで鉛筆を削りながら時間を過ごした。
マクロファージもボニファティウス8世も、もはやどうでもよかった。
◆
それにしても、祈子である。
めちゃくちゃ可愛い。ボクは黒板そっちのけで、彼女に釘づけだった。
マクロファージもボニファティウス8世も鉛筆削りには敵わないし、黒鉛の芯をパキパキに尖らせる作業の心安らかさは祈子の魅力には勝てない。
まず、その背中が可愛い。
前に座っている生徒の背が高すぎるのか、ちょっと黒板を見るのに難儀しているため一生懸命背すじを伸ばしてしているのが可愛い。
仕草だって可愛い。
持ち物は甘やかな容姿に反して、簡素なものだ。筆箱は無地のデニム生地で数本のペンしか入らない大きさ。筆記用具も日本のあらゆる場所で手に入るであろう無個性なシャーペンと赤ペン、それから二色マーカー。消しゴムのパッケージは青黒白。
それらの筆記用具を正しく使って勉学に励み、けれど時折あくびをして、窓の外に気をとられたりする。世界史の時間には眠気に襲われたらしく、ほっぺたをぷにぷにとつねっていた。見ていて飽きない、小動物感。
そして。
祈子はことあるごとに、斜め後ろのボクの席を振り返る。
ボクに、意味もなくヒラヒラと手を振ってくるのだ。
ちょっと、はにかんだような、笑みを浮かべて。
座席というのは、端的に学校内での序列を表現している。
もちろんファミリーネームのはじめの文字やくじ引きなどの要因に左右されることの多い座席。けれども、与えられた座席とクラス内での立ち位置は結局のところリンクする。
ほらね。
ボクは、ボクの斜め前にいる祈子から目を離せない。
そうして、四時間目。体育の時間。
ボクは授業を休んだ。