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11月1日  運命の人に出会うこと。二

 私立青蘭女学院。

 百年以上続く、伝統ある乙女の花園だ。付属の女子大はそこそこの偏差値ながら、中等部高等部の偏差値は県内トップクラスだ。お嬢様学校の名の通り、古風な制服と古風な校則を有している。


 特に男女不純交際は固く禁じられており、その徹底ぶりたるや校舎のある山には男性は保護者であっても正式な手続きがない限りは足を踏み入れることすら出来ない。鉄壁のガード。文字通りの(物理的に)狭き門。


 校舎も戦前に立てられた煉瓦造り。

 国だか県だかの文化財にも指定されているらしい。

 特に校門のある東校舎に這う蔦は雰囲気抜群で、秋になれば蔦が黄金色に染まる。そこに夕日が差す様子は、卒業生達が口々に「青蘭の思い出」として語るほどだ。


 そんな東校舎から南校舎への渡り廊下を歩きながら月ヶ丘祈子の足取りは軽かった。ボクの手をぶんぶん振り回して、あどけない少女のよう。


 まったくもって、可愛い。

 こういう子が愛される女の子なのだな、と世界中が認める可憐さだ。


「素敵な校舎ですね」

「古くさいだけだよ」

「ふふ、マコトちゃん。そういうのは時代が付いているっていうんですよ?」

「オブラートが分厚いね……祈子、さん」

「祈子でいいですってば」

「……。……祈子」

「はい!」


 名前を呼ぶだけで。こんなに嬉しそうなんて反則だ。

 初対面のハズなのに、距離が近いったら、近いったら、本当に近い。

 パーソナルスペースっていうものがないのだろうか、この美少女は。


 祈子は飛び跳ねるたびに、石鹸と薔薇の花の匂いを周に振りまいている。

 早朝の校舎には、独特の匂いがある。

 歴史を含んだ埃っぽい空気が床に沈殿してくれて、凜と澄み渡るのだ。早朝にしか嗅げない匂いがする。かつてこの校舎で青春を過ごしてきた先輩達の残り香みたいだと思う。

 そんな朝の空気に祈子のふりまく甘い香りが混ざって、くらりとしそうだった。


 ボクはふるふると頭を振って、雑念を追い払う。

 今は、祈子にお願いされて校舎を案内している最中だ。

 教室に立ち寄る暇もなく、ブレザーも学生鞄も持ったままであちこちを歩き回っている。


 東校舎は、大職員室や会議室などがある事務所的な校舎だ。

 保健室以外は、ほとんど素通りした。

 西校舎は、理科室や音楽室などの特別教室棟がある。

 その最上階はフロアごと図書室になっていて、県内最大級の規模らしい。書架の間に身を潜めることができるので、ボクのお気に入りの場所だ。


「まぁ、すごいわ!」

「十万冊蔵書があるらしいけど、開放書架にあるのはこれだけ。あっちの古いパソコンで検索できて、大学図書館からも本を借りられる」

「マコトちゃんは、よく図書室を利用するの?」

「まぁね」


 とりわけ本が好きなわけじゃない。

 でも、女子しかいない気安さからお嬢様というにはハシタナイ格好をしたりしている同級生のなかで過ごすよりは、物言わぬ本に囲まれているほうが心穏やかだ。


「知的なのね、マコトちゃんは」

「別に、そんなんじゃないよ」

「……照れてます?」

「照れ、てない! ですっ!」


 相変わらず、距離感のバグっている。

 ボクを覗き込んでくる祈子の翡翠がにじむ瞳が、目の前にあった。

 本当に、見とれてしまうくらいの美少女。


 高校二年の秋だなんて妙な時期の転校生だけれど、彼女が誰にも穢されないようにと堅牢な女子校に入学させたいと願う親の気持ちはわかる気がした。


 思わず勢いよく後ずさると、祈子は目を丸くした。


「すごいバックステップね……」

「ご、めん。つい……その、急に、近くて」

「……そう。ごめんなさい、私ったら、ついはしゃいじゃったみたい」


 祈子は申し訳なさそうに、形のよい眉を下げる。ボクが本当にどぎまぎしていることを察したのか、祈子はそれ以上は馴れ馴れしくはしてこなかった。


「あとは、北校舎は高校三年生のものだから」

「そこは案内してくれないの?」

「北校舎は『三年塔』って呼ばれててさ。受験まで一年間、最高学年のお姉さま達が誰にも邪魔されずに勉強するために下級生は近づかないことになってる」

「まぁ……!」

「彼女たちも、他の校舎には基本的にはやってこない。行事も夏休み以降は一切ないし、伝統ってやつかな」


 ボクは肩をすくめて見せた。

 この学校には、伝統というものが多すぎるのだ。

 体育祭も文化祭も合唱祭も、すべて夏休み前に終わってしまう。それ以降は浮かれた全校行事は行われないのだ。


「……こんなもの。もしわからないことがあったら、周囲に訊くといいよ。生徒も先生も、お育ちのいい人が多いからさ」


 良くも悪くもね、という言葉は飲み込んだ。

 祈子は控えめにコクと頷いて、ボクの目をじっと見つめた。

 いつもなら他人の視線を感じたらすぐに目を逸らしてしまうのに、そうはできなかった。


「じゃあ、マコトちゃんに訊いてもいいかしら?」

「……ご、勝手にどうぞ」


 どうぞ、の「うぞ」あたりはゴニョゴニョしてしまった。

 美少女に面と向かって小首を傾げられるのは、ボクにはハードルが高すぎたのだ。


 すでに登校してから一時間ほどが経ってしまった。

 運動部や吹奏楽部の朝練組の気配で、校舎に灯がともってきている。

 澄み渡っていた空気は温められて、いつもの校舎の匂いがもどってきていた。


 ボクはそろそろ、どこかに身を潜めたい。

 人間は、苦手だ。

 高校二年生にもなって同学年の生徒の顔と名前すら、あやふやなレベル。


 そんなできそこないのボクに、祈子はくったくなく笑いかける。

 やめてくれ、と叫びそうになる。ボクに祈子の笑顔はもったいないし、眩しすぎる。


「やった! それじゃあ、私は職員室に行きますね。またあとで!」


 長いスカートをひらめかせて、職員室に向かう祈子の後ろ姿を見つめる。

 ミルクティ色の髪がふわふわと揺れている。後ろ姿すら天使だ。


「……はぁ」


 ボクは学生鞄から、あるものを取り出した。

 唯一の友人である冷徹女──やたらと顔の広い、青蘭女学院の理事長の孫。

 彼女から押しつけられた、奇妙なノートだ。


 『予言者日記』。

 その一ページ目には、こう書いてある。




 十一月一日。

 五時四十五分。

 運命の人に出会うこと。




 同じページに、通学路の並木道へ向かうようにというメモがある。

 ボクはこの日記にあるとおり、早朝の並木道を歩いた。

 それはいつものことだから、いいとして。


 本当にいたのだ。

 運命の人、が。

 月ヶ丘祈子と、ボクは出会った。



 一目惚れの甘美な酔いとともに、酷い罪悪感がボクを苛む。




「……騙すなんて、最低だよね」


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