彼女が乗っていたもの
12月も末なのだが、今年の冬はそれを感じさせない、まるで春先の様な陽気だ。
しかし夜になると流石に冷え込んでくる。自分は一旦は外に出たが、予想以上の寒さにもう一度家にひっこみ、厚手の上着に着替え直した。そういったところで、改めて今は真冬なのだと思い直す。
自分のような就職組や、島崎やマツのようにAOで既に進路が決まった奴らにとっては、今の時期は余裕の冬休みなのだが、世間一般の大学入試組にとっては瀬戸際も瀬戸際、ギリギリの時期だ。
本音を言えば友人数人を誘い、夜風にあたりながらのナイトツーリングと洒落込みたいところ。しかしその友人の殆どが絶賛受験勉強中なのだから、それに水を差すわけにはいかない。
マツや島崎を誘うって手もあるが……。いや無いな。マツはそれどころじゃないし、島崎を誘うとバトルになるのは目に見えてる。
エンジンをかける儀式をしながら、ふとスマホを手にLINEアプリを起動しかけたが、少し考え、再びポケットにスマホをしまう。
いくら寂しくても、アイツを誘うのはやめておこう……。
今日もエンジンは一発始動だ。それに段々とキャブのセッティングも決まってきた為、エンジンの回転も軽い。
排気音、吸気音、エンジンから発せられる様々な機械音が、まるでリズムを刻むかの様に一定間隔で周期している。
目的地は無し。100%気の向くまま。なんの考えも無しに、ギアを叩き込みクラッチを繋いだ。
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『長いトンネルを抜けると雪国であった』訳ではないが、視界一面が白い世界で覆われていた。
これには自分も驚いてしまい、反射的にスロットルを戻す。
白いモノの正体は霧だ。この時期になると川で発生した霧が風で流され、山沿いの道に流れ込む事が多々あるのだ。ひどい時は車のヘッドライトはもちろん、フォグすら役に立たない事もある。
故にこの道は、夜間の単独事故が多い道でもある。
流石にこの霧の濃さでは自分も危ない。身の危険を感じ、近くのコンビニに緊急避難をした。
夜のコンビニと言っても、ここは街中では無く、人里離れた国道沿いのコンビニ。簡単に言うとド田舎だ。
なので不良がたむろしてたり、酔っ払いが店の前でウロついてたりはしない。居るとすれば駐車場で仮眠を取るトラックドライバーと、店内で暇そうにしているジジババの店員くらい。あと鹿と狸、時々猪。
バイクのエンジンを切り、フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。グローブも外し、財布を取ろうとポケットにその手を突っ込んだが、ズボンのポケットは空だった。
少々焦ったが、なんて事はない。バイクに乗る前に財布とスマホを上着の内ポケットに移し替えていた事をすぐに思い出した。
世間では「エコエコ」騒がれてるが、そんなのどこ吹く風で、異様に暖房が効いているのが田舎のコンビニの特徴でもある。お陰でコーヒーを買って外に出ると、身震いするぐらい寒く感じてしまう。
なので買った缶コーヒーは、もっぱら冷え切った手先を温めるために使う。飲む頃にはぬるくなっているのが難点と言えば難点だが……。
駐車場に戻り辺りを見渡した。
それにしても今日はやけに霧が濃い。来た道を振り返ってみたが、視界は200メートルも無いんじゃないだろうか。
その内に霧が何処か流れていくだろう、なんて予想は大外れで、ますます霧は濃くなってきている。
缶の栓を開け、コーヒーを一口含む。液体の暖かさが消えない内に飲み込み、ふうっと吐き出した息は、夜の霧に同化して消えていった。
これ以上走るのは無理だ。しかし今の状況で帰るのもリスクが高い。そう考えれば結局は霧が晴れるのを待つしかないと言う結論になる。
仕方無くコンビニの横に設置されているベンチに腰を下ろした。この様子だと後30分は動けな。しかしその30分で何が出来る訳でもない。
何故だかこういう時に限って時間が経つのが遅く感じてしまう。
夜中の為、道を走る車両は無いに等しい。夏場なら夜でも虫の音や蛙の鳴き声が聞こえるのだが、真冬のこの時間帯は殆ど無音である。
こうやって1人で佇むのは嫌いでは無い。外からの情報を一切シャットアウトして、ゆっくり時間が経つのを待っていると、かなりリラックスできる。まるで外界から切り取られたプライベート空間に居るような気にさせてくれるのだ。
しかしそのリラックス状態も、5分程度で終わりを告げることとなった。
エンジン音がした。恐らく自分が通ってきた道、市内側からだ。
その時点では、自分はなんの気にも留めなかった。そして4〜5分もすれば、その音がこちらに近付いてくる。まあ、一本道なので当然と言えば当然だが。
濃い霧の奥でヘッドライトが光る。HIDの青白い光が1つ、という事はバイクだ。
トンネルを出た瞬間、視界ほぼゼロの濃霧。そのバイクも思わず減速をしたのだろう。
しかしスロットルを閉じた瞬間、普通のバイクでは、いや、改造したバイクでも殆どしないブローオフバルブの解放音が聞こえてきたのだ。
「嘘だろオイ……」
特徴のある物は覚え易い。それはバイクにも当て嵌まる事であり、特に内燃機関で走るバイクや車の場合、排気音やエンジン音、それに付随する様々な音で、車種など、また改造の有無や度合いなども、分かる奴が聞けば分かってしまうのだ。
自分はそこまで耳は肥えていない。しかしこの音は分かる。二輪を改造する上では異端も異端。ターボチューンを施したマシンの音。ほぼ100%アイツのバイクだ。
コレならマツや島崎と峠に出掛けた方がまだマシだったかもしれない。
一番苦手な奴、その顔を思い浮かべながら、「どうかこのコンビニには来るなよ」と切に願った。まあ、願いが叶わなかったのは言うまでも無いが……。