「死についての考察」
金曜ロードショウでゾンビ映画が放映された翌日、教室の中には男子ゾンビが溢れていた。
もちろん本物のゾンビなどでは無い。ゾンビの真似をした男子というだけである。
今にして思えば色々とバカだったなぁ、と思う。でもとびきり楽しい日々だった。
僕は、と言うと友人のFと一緒に教室の片隅でゾンビにかこつけて女の子にセクハラしている男子達を羨ましげ・・・いや冷ややかに眺めていた。
「ゾンビかぁ、ゾンビなんて可愛いもんだと思うけどな。」
キャアキャア言いながら逃げる女子を目で追いかけながらボソッと呟くF。
相変わらずコイツは怖いことを平然と言う。
友人のFとは小学校三年生の時からずっと一緒のクラスだ。僕の数少ない友人の一人であり、僕は密かに親友だと勝手に任命している。向こうはどう思ってるか知らないけど。
Fには霊感があるらしい。
幽霊やお化けをたまに見ている。
あまりにも自然に見ているのでどんな風に見えるのか子供の頃に聞いた事がある。そしたら、
「普通の人と変わらんよ。ただ、見ればわかる。変な感じするし。まあ他の人には見えてないからそれでもわかる。」
「なんだそれ?怖くないの?」
「怖くはない。手を出さなければ噛み付いてきたりしないからな。ヤマカガシと一緒。」
と、当たり前のように言われた。幽霊と蛇を一緒にするのはコイツくらいなもんだと思う。言われた当時は怖いなぁと思ったけど今考えると変な話だ。コイツの目には日本の人口が多めに映ってるのか?
そしてそんなFが「ゾンビなんて可愛いもの。」なんて言うものだからどれだけ怖いものを見た事があるんだと、ちょっとだけ興味が沸いた。
Fとの付き合いも長い。元々子供の頃からお化け話が大好きだった僕は今やすっかりFに感化され、立派な(?)オカルトマニアになっていたのだ。
霊感ゼロだけど。
「Fはゾンビが怖くないのか?」
「怖くないね。なんで怖いのかわからん。」
「だって死体だぞ、死体が襲ってくるだけでも怖いだろ?」
はあ、とFがため息をつく。
「死体が動くはずないだろバカ。」
お前に言われたくないわ、この霊感バカ。
と、僕は心の中でだけ反論した。
小学校三年生から今までどれだけの幽霊やお化けの体験談聞かせてくれやがったと思ってるんだコイツは。お前にだけはゾンビを否定されたくないわ。
事実、Fは変なものを沢山見てそれを逐一僕に教えてくれる。おかげで怖がりもだいぶ解消されたんだよこの野郎。
といった内容をネチネチ言うとFは「ふむ。」とあごの下に手を置いて、“考える人”のようなポーズを取った。
「Yは混ざっちゃってるんだな。よしわかった。後でそのモヤモヤをスッキリさせてやるよ。」
そう言うと同時に授業の開始を告げるチャイムの音がして、教室内は別な意味で慌ただしく賑やかな音を立て始めた。
僕も自分の席へと戻る。
なんか嫌な予感がした。
…
放課後、僕はすっかり馴染みになったFの部屋に居た。2代目の黄色いインコもちょっとだけ僕に対する警戒が弱まっていた気がする。
「これから死体探しに行こう。」
僕は嫌な予感が当たったのを感じた。
Fは頭脳派で僕と同じくらい運動神経無いくせに、妙なところで行動力がある。あと我慢強い。運動神経は無いが僕がいつもリタイヤするマラソン大会を毎回完走する根性なんかも持ち合わせていた。要するに僕の自慢の友人だったのだ。
こういう変なところが無ければ────
死体を探すって言ったって、そんな都合よく殺人事件なんて無いだろうし、富士の樹海にでも行けばなんかいるだろうけど自転車で行ける距離じゃないよ、と反論すると、何でもいいんだよ、とFはケラケラと笑った。
実際、死体は簡単に見つかった。
木の根元にセミの死体が転がっていたからだ。
「いやこれ死骸だろ?」
「一緒だよ、死体も死骸も。生きているものの亡骸、そこに違いはない。」
コイツは本当に口が上手い。
「生きてるものが死ぬ。これは当たり前のことだし別に怖いことなんかじゃない。現にこのセミが怖いか?」
「いや別に。」
「だろ?じゃあどこから怖くなるか考えてみようか。」
Fは木の根元に腰を下ろした。
「魚の死体は怖いか?」
「いや?」
「じゃあ鮭の切り身は怖いか?」
「怖いはずないだろ?」
「じゃあ犬の死体は?」
「ちょっと怖いかな?」
「ゾウの死体は?」
「見たことないよ!でも犬と同じくらいかなぁ。」
またFは「ふむ。」と納得したような顔をした。
「全部死体だよ。しかもゾウなんか人間よりかなり大きな生き物だ。でもそんな生き物の死体も実はそこまで怖くない。そもそも大腸菌なんかお腹の中で何億匹も毎日死んでるんだぞ。でも怖くない。」
俺はまた煙に巻かれそうな気配を感じて、しっかりと話に聞き入った。コイツの話は気合いを入れて聞かないと時々理解不能になる。
「俺はじいちゃんが死んだ時、怖くなかったよ。安らかな死に顔だった。」
「それは・・・。」
「人の死体は怖いか?」
「・・・いや。」
そう答えるしか無いじゃん!
僕はFの誘導尋問に引っかかった悔しさを隠しながら答えていた。
「Yは混ざってるんだ。自分の中で怖さと気持ち悪さの区別ができてないんだよ。
死体を触るのは俺だって嫌だ。
だって気持ち悪イもん。
こないだなんて車に轢かれた猫を埋めてやろうと持ち上げたんだけど、アスファルトに張り付いて持ち上げる時に毛が剥がれてベリベリいうんだよ。挙げ句の果てに持ち上げた瞬間「ニャア。」って声が口から漏れて思わず放り出しそうになったぞ。
まあ、肺に残っていた空気が出ただけなんだけど、正直言ってビビった。
でもこれは“怖い”んじゃなくて“ビックリした”って感情。
硬直した死体に触れた時の感情も“怖い”じゃなくて“気持ち悪い”なんだよ。
でも大抵の奴はそれをひっくるめて“怖い”って表現するんだよな。
よくホラー映画でバーンって音で脅かすだろ?あれはホラーじゃなくてショッカーって言うんだけど、人間はその辺曖昧で、ドキドキすればみんな“怖い”に結びつけちゃうんだよな。」
Fの手のひらの上でセミの死体がコロコロと転がっていた。
たしかにFの言う通りだ。じゃあビックリと気持ち悪いを除いた、本当に怖いなんてあるのか?と、聞いたところ、
「ある。」
と、Fは答えた。
…
それは──── と、聞こうとして逆にFの質問で待たされる羽目になる。
「ところでY、死ぬのは怖いか?」
何を当たり前のことを、と思った。死ぬのは怖いだろ?
「そう、死ぬのは怖いよな。俺だって怖い。」
「うん。」
「でもなんで死ぬのが怖いのか、わかるか?」
確かに。そこまで話が進み僕は首を捻った。確かに死ぬのは怖い、言われてみればなんでなんだろうと思う。でもそんな事関係なく理屈じゃなくて死は怖いものと身体に刻み込まれている気もする。
僕はFの横に腰を下ろした。こういう時のFの話は長いと経験上知っていたからだ。
「死ぬのってなんとなくだけど痛くて苦しいイメージがある。」
僕は素直に思った事を口にした。
「そうじゃない死もある、少なくともじいちゃんは安らかに眠りについたようだし、苦しくなければ死んでもいいんじゃないかな?ちょっと死んでみるか?」
「嫌だよ!死ぬの。」
「なんで?」
「だってまだ見たいアニメあるし、やりたい事あるし。途中のゲームあるし。」
「そうだな、周りの人達悲しむだろうし。」
「 ──── うん。」
「それは未練ってやつだ。今お前が言った通り、それは“怖い”じゃなくて“嫌だ”って感情。
死後の世界が無いと仮定して、死んだら何も無くなるとすると残るのはこの未練だけだ。
死ぬのは怖いんじゃ無い、もっと生きていたいという未練、死ぬのは嫌だって事になる。」
Fの演説はだんだんヒートアップしてきた。自分でも考察しながら話しているんだろう。時々考えながら、戻りながら、そして進んで行く。
「死体が怖い、というのは自分の死をイメージした時だ。別にその死体が怖いわけじゃ無い、強いて言えば気持ち悪いだけの死体から勝手に自分自身の死をイメージしてしまうんだな、本当は死ぬのが怖いのにすり替えて死体が怖い、と思い込んでしまう。
錯覚なんだよ。
ゾンビ映画もゾンビが怖いんじゃ無い。襲われるから怖いんだ。襲ってくるのは別にゾンビじゃなくてもいい、サメでもゾウでも銃を持った犯人でもいい。
もしかしたら自分が死んでしまうかもしれない、そう本能が察知した時に恐怖に変わるんだ。
しかも嫌だって感情が怖いにすり替わる、二重の錯覚を起こしている。
だからその錯覚を全て取り払った死体そのものはまったく怖くないという結論になるんだ。」
屁理屈だ、と僕は思った。まだゾンビが怖く無い理由になってない。ゾンビは襲ってくるものだから。
「襲ってこない。さっきも言っただろ、死体は動かないんだよ。
死体って結構重たいんだ。
そして霊は非力だ。そりゃ本当の悪霊なんてものは結構影響力あるって聞くけど、大抵の霊は物を動かすなんて出来やしない。エンピツ一本持ち上げられない奴がどうやって死体を持ち上げて動かすんだ?
百歩譲って取り憑いて動かしたとするだろ?でもその時には死体は腐って自分自身の体を支えきれない。新鮮な死体でも死後硬直起こしてカチカチだ。あんなテレビみたいに元気に歩き回るなんて出来やしないんだよ、本当は。」
僕の中でゾンビのイメージが飾れ去って行く。ああ結構好きなモンスターだったのに。
じゃああらためて、怖い死体ってなんだよ。ビックリでも気持ち悪いでも、嫌だでも無い怖いってどんなものなんだ?
そう聞くとFはちょっと嫌そうな顔をした。
何か嫌なものを思い出した、そんな顔だ。
「なあ、Y。」
嫌そうにFは話し出した。
「さっきのじいちゃんが寝たきりになる前に、さ。人が変わったようになった事があるんだよ。」
僕と出会う前の話か?僕はFの家で祖父や祖母を見たことはない。それとも別なところに住んでいたのだろうか?
「生きている死体・・・ゾンビは有り得ないと俺は思う。でも、なんて言うのかな、死んでいる生体?は、
本当にいたんだ。
あれは怖かった。
死体と呼んでいいのかわからないけど、少なくとも本人はある意味死んでいる。
そのあとすぐにじいちゃんは寝たきりになって意識も戻らなくなったから、アレを知ってるのは俺だけだ。
アレは確かにじいちゃんじゃなかった。
何だったのか?なんてわかんないよ。
体は生きてるから普通に動く。別に襲ってくるわけでもないから危険は無いんだけど、
だんだん、じいちゃんの中身だけが変わっていくんだ。
わけのわからないものに。
ん?
そりゃそうだ、俺でもやっぱりお化けは怖いよ。
死は本質的には怖くないさ。
でも生きていたじいちゃんが生きたまま死んで、中身だけがなんか知らないものに変わっていく。
あれは本当に怖かった。
理屈じゃない、錯覚じゃない、なんとかしてあげたかったけど何にもできない。
自分の力が及ばない未知の存在。
それに人間は恐怖を感じるんだ。」
その時のFはちょっと落ち込んでいるようだった。いつも自信たっぷりで偉そうにしているFのそんな姿は珍しい。
今にして思えばあの時Fが話してくれた現象は怪奇現象でもなんでもなくて、ただの老化による変質だった可能性もある。
でもまだ子供だったFにはそれが理解できなくて、悔しい、とか、わからない、とか不安な気持ちが恐怖にすり替わっただけなのではないだろうか?
僕はあの時、Fにかけてあげる言葉が見つからなかった。でも今ならそれも錯覚なんだと励ましてあげる事ができるだろうか?
そうしたらFは「お前も口が上手くなったな。」とまたケラケラと笑ってくれただろうか?
それとも「お前も理屈っぽくなったよなあ。」と呆れた顔をするだろうか?
余談だが、僕は大人になってだんだんと不可思議なものを信じられなくなっている。まあ霊感ゼロの僕はどんなに信じても実際に見られないのだから仕方ないんだけど、ちょっとツッコミを入れると周囲の人からは「お前って理屈っぽいよなあ。」と呆れられる事が多い。
怖いとか、感じる前に分類してしまうから。
この癖は絶対Fのせいだと信じている。