装飾曲
だがいかんせん、手がかりがない。居場所を突き止めたとはいえ、ここは月。…いや、正確には月だと思われる場所ではあるが、目前に広がる光景、つまりは地球の大きさから察するに距離的に月で間違いないだろう。そして、月は衛星だ。星である。腐っても人工衛星のようなものではなく、天地創造から発生した正真正銘の天体であるのだ。故にここに翠沙がいるとは分かっても、例えるのならユーラシア大陸のどこかに翠沙がいるということと同義。しかも月には手がかりすら、もっと言えば手がかりを掴む手がかりすらないときた。証言を得られる人がいない。目がいない。ならば、自身の眼で探すしかないのだろう。そうと決まれば、あとは簡単。索敵探索はお得意だ。
念力の塊を手のひらで作り、それを思い切り地へと投げつける。そうすると波が広がっていき、地下地上上空全てに対して索敵ができる。要はソナーだ。――だが。
「っ!?な、なんだこれは!!」
見つけたのは人影。状況から察するに、何らかの人影を察知できたのならそれは翠沙のものだと思っていた。だが実際に見つけたのは人間の身長を遥かに越える人影、人間と同じ大きさだが姿が大きく違う人影、人間の赤子のような人影。それらが、多数。夥しいほど、月面より下に敷き積まっていた。しかしどうやら活動状態ではなようで、現状は首の皮が一枚繋がったような状態だ。
下手に刺激すればこれら未知の存在がどのような行動をとるのか分かったものではない。どうにかして翠沙を探したいが、今回はここで一旦打ちきるとして、一度帰宅しよう。次回までになにか方法を思い付いて置かなければ。
瑠璃也自身、こんなにも手付かずなのは初めてだ。実際これほどまでに状況が詰まったことのある人間などそうそう居ないだろう。欠けがえのない存在の失踪、そしてその記憶を喪失。いざ居場所が分かれば今度は衛星をくまなく調べなければならないと知る。しかしやみくもに探せば未知の存在を起こしてしまうかもしれない。その上猶予がどれほど残っているかも分からない。手詰まりだ。チェスで言うチェックをかけられている状態と言っても過言ではない。どうしたものか…
「どうしたの?るーにい」
考え耽っていたせいか、緋音の接近に気づかなかった。そんな緋音は隣に座ってこちらの顔を至近距離で見てくる。…いや、こちらの瞳の奥を覗き込んでいるようだった。癖なのだろう、いつもの通りなので普段は気にしないものだったが、いまは状況が状況だ。少し、目を逸らしてしまった。そんな瑠璃也に不信感を懐いた緋音はさらに問い詰める。
「なにかあったの?」
緋音に打ち明けるか思い悩む。一学年違うとは言え、瑠璃也と緋音は双子だ。ただ学年の移り目を挟んで生まれてきたというだけで年の違いにあまり変わりはない。だがしかし、やはり個人差というものがあった。瑠璃也は家系、血筋的に出来が良い早熟な人間だった。対して緋音と言えば普通。本来黒藤家で産まれるよりも一般家庭で産まれるべきであった人間だ。そしてそのことを瑠璃也は理解していて、緋音も感じていることだろう。なんせ比べられるのだ。瑠璃也はああだ。対して緋音は。別段苦に思ったことはないが、むしろ尚のこと緋音は瑠璃也への尊敬の念を募らせているが、それでも羨望の思いが含まれていないということはなかった。
だからこそ言い澱む。緋音に打ち明けて良いものなのだろうかと。そう逡巡してる瑠璃也に気づいてか、緋音がもう一言、声をかける。
「大丈夫だよ、るーにい」
その大丈夫の意味をはかりかねた。言っても大丈夫。記憶を失って不安に思っているところの大丈夫。なんとかなるよの大丈夫。他にも意味があるのかどうか分からないし、あったとしてもそれこそ詮索する意味はないだろう。ただ一つ、大丈夫ということばがあるだけで。
「聞いてくれるか、緋音」
「うん」
結局、話すことにした。本来なら余計な心配をかける必要もないと話さなかった。しかし今回緋音に打ち明けたのはきっと、瑠璃也自身が思っているよりも心に来るものがあったからなのだろう。手詰まりで、どうしようもなく。もしかしたら誰かに打ち明けたいという心があった可能性もある。
今までのことを全部話した。記憶喪失のこと、目に見えない橋と扉のこと、月に行ったこと、月の内部に多数の生命が存在したこと、月に翠沙がいるだろうということ。全て話した。どうしようもなくて困惑していることも、全て。
「そっか…それって全部1日のうちに起きたことなんだよね?」
「…ああ」
「だったら1日のうちに手が余るほどの大きなことがいっぺんに来たってことでしょ?それなら整理できないのも無理ないよ。整理するためにも一旦寝た方がいいよ」
「一理ある、か。そうだな、そうしよう」
寝る暇もないと思っていたが、寝る必要があるとは。確かに理屈では理解できていなくてもとりあえずそう理解しておこうと言った事柄が多すぎた。整理できていないというのもその通りだ。 つっかえをとるためにも、寝るのが良いだろう。
そうして瑠璃也は夕食、風呂を済ませて寝ることにした。いまはまだ緋音とは同室で、ベッドも一緒だ。故に緋音と共に寝ることになる。そしてそれが偶然にも、彼ら彼女らの運命を大きく変えた。
△▼
…ん?見まれぬい天ひゅい?首のもうように動かい…寝たぐいえた?考えがうなくなとまらぬい…どゆと?よぱらて?
その疑問の答えは直ぐにわかった。ぬっと顔を出したのは母親の未稀だ。しかし最近見た顔よりも若干若く見える。その上、なぜか大きくなってる。そして決定的だったのが、口につっこまれた異物…これは、まさかと。
どゆと?こははくちゅむ?なんでわたが、あーちゃんに?
戸惑う。感覚のある夢。最後の記憶といえば、私はるーにいと一緒に寝たはずなのだ。しかし、なぜこんなにも明瞭でリアリティのある感覚があるのだろう。体の不自由にしたって、考えが上手くまとまらないことにしたって、流石に夢にしてはやりすぎだ。なぜ、寝たら赤子になっていて、それに母親の母乳を飲まないといけないのかと。まぁ夢なのだからいつか覚めるだろうとたかをくくって、しばらく役になりきっておこう。
…長すぎる。流石に一週間を過ぎた頃から疑惑があったが、もう考えもまとまるようになって、母乳からも離れ、立って歩いて話せるようにもなって早三年。るーにいは四歳児にしてもう中学生レベルの勉強をしている。どういう事だろう?これは本当に夢なのだろうか。
五感もしっかりあって、現実のように日々が過ぎ去っていくこれはもはや夢ではない?もしかしたら体内チップが誤作動を起こして仮想世界を作り出しているのかもしれない。現実の私は植物状態になっているのかも…。とにかく、この世界は夢のような現実で、ちゃんとした人が暮らしてるということ。現実と大差ない世界だということはわかった。しかしどうやったら抜け出せるのか、そもそも抜け出せるのか、現実の私がどうなってるのか。分からないことだらけだ。
「緋音ちゃん、おじいちゃんからお話があるっていうけど、なんだろね?」
みーねえも変わりがないようだった。
疑問に思う日々が続いて来てたけど、今日突然、竜也おじいちゃんから話があると家族全員が呼び出されている。
竜也おじいちゃんの一言は全てにおいて最優先。財閥を解体しろと言われればそうしないといけないし、一言死ねと言われれば喜んで死ぬのが私たちだ。まぁ喜んで、は大げさだし、竜也おじいちゃんがそんなことを言わないとは分かってはいるけれどそれほどの影響力があるということだった。竜也おじいちゃんが来いと言えば黒藤財閥の者は全てを投げ出してでも行かなければならない。そんなおじいちゃんが一つ、私、みーねえを呼び出したのが今朝のこと。
しかしお母さんとお父さん、るーにいが呼ばれているのならともかく。お父さんお母さんるーにいは全く呼ばれてなくて、みーねえのお母さんとお父さんやその他財閥の重鎮までもが呼び出されているのだ。かなりの大事だとは思うけれど、話の内容がまったく予想できない。
とあれこれ考えながらも指定された場所へと行く。今回は家族だけでの集合ではないためある程度の正装をしてきた。この場所は例えるならば宮殿。奥におじいちゃんがでーんと座っていて、ものものしい雰囲気を出している。
いつもなら重鎮達は手前に整列して、私たちはおじいちゃんの横で話を聞くけど、今回は机と椅子が用意されてあった。指定された席に全員が座ると、いつの間にかおじいちゃんも同じ机を囲って座っていた。その瞬間に、ものすごいプレッシャーがかかる。ごくりと生唾を飲み込みながら、次に聞こえる音を文字通り一生懸命聞き覚えようとする。そして、おじいちゃんが口を開いた。
「儂は夢を見ている。夢見る世界を見ている」
びくり、と体が反応してしまった。まさか、おじいちゃんも、と。だけどまぁ、疑問に思うことはない。おじいちゃんなら当然かと。しかし、やっぱり他の人たちは意味がわからずぽかんとしている。
「ふむ、なるほどな。よし、話は以上だ。緋音、翠沙。お前らは残れ。話がある」
…?私はともかく、なんでみーねえも?
その疑問は解消される。またも指定された違う場所へみーねえと一緒につくと、おじいちゃんが破顔してたかいたかいしてくるが、本題はこれではない。
「さて、翠沙と緋音よ。お前ら、この世界が夢だとは気づいておるのだろう?」
「うん」
「えっ、みーねえも?」
なるほど、まさかみーねえもそうだとは思わなかった。全然そんな素振りは見せなかったし、おじいちゃんが夢を見ていると言った時も疑問を浮かべた顔をしていたのだ。そのことを聞いてみると、納得のいく答えが返って来た。
「あのときは緋音ちゃんが周りとは全然違う顔をしてたから、もしかしてって思ってたんだよ」
まだまだポーカーフェイス力が足りないようだった。