装飾曲
事件は昨日。昨日に翠沙を見たという者たちの話と潜入場所を聞いてみたところ、翠沙の家と目撃場所の直線上にちょうど俺が倒れていたのだと分かった。このことから翠沙は一直線にどこかへと向かっていたのかと予測できる。そしてそれがなにか、と言うのが問題だ。記憶のなかでは、大したものと言えば進化期に建てられたという新興宗教のかなり大きな社で、国内なら日本支部、海外も含めるならば本山も直線上にある。偶然かとは思うが、一応調べておいた方がいいだろう。
という訳で。
「いやはや…黒藤財閥の御曹司様が社会見学で我らが祭壇を見学なさるとは…嬉しい限りでございます。事前に申し付けてくだされば手厚い歓迎ができたものですが、貧相なものとなって申し訳ございません」
「結構。では」
「はい。あ、そちらは祭壇とは真逆の方向で」
「結構と言ったはずだ。用は済んだ」
「…はい?」
瑠璃也は園児の頃から超能力の扱いに長けていた。そして多用してもいたのだ。高校生になった瑠璃也でこそ落ち着いたものだが、中学生の頃にあったある事件の前まではそれを過信していたのだ。つまりどういう事かと言うと。
「もうよろしいので?」
「ああ、内部の全てを把握した。そこに百単位の警備があった。アポ無しで行った事を考えると常駐しているのだろう。よほど大事なものを隠しているように思えるが、最奥にあったのは言っていた通り祭壇だけだった。特殊な細工をしていた形跡はなかったが、一応警戒しておこうか」
「かしこまりました」
世界地図を見ただけでまるで世界を見てきた気になる。本を読むだけで実際に体験した気になる。これはそういう類いのものだ。傲慢極まりないだろう。だがそれでも余りあるほどの才能を持っていたことは事実で、傲慢になるのも無理はない。
「この分だと日本支部と同じようだとは思うがな、総本山も。だがまぁ一応足を運んでおいて損はないだろう」
「かしこまりました。それでは少々飛ばします」
案の定、かつてアジアと呼ばれた地域の最西端に位置した小さな国があった場所にぽつりと構えてあった総本山にも翠沙にかかわると思われるものはなかった。
さて、ここまでくると完全に手がかりを失った。となれば、新しい手がかりを自分で引っ張ってくるしかあるまい。といっても、手がかりを得るための手がかりが乏しいのだ。そう簡単な話ではなかった。
もう一度地図を見てみるか。スタート地点、つまりは翠沙の家と、翠沙の目撃位置、そして俺が倒れていた場所。…だめだな。
「だめだ…さっぱりわからん」
「瑠璃也お坊ちゃんが分からないことなど、いままでなかったですものね」
「ふむ…そういうセバスは分からないこと、挫折したことはあるのか?」
「そりゃあたくさんありますよ。例えば、そうですね。お坊ちゃんがいまよりもずっと小さい時、私にはわけのわからない行動をよくされていました。なぜそのようなことをしたのだろうと考えて考えて、とりあえずその時その場所で何があったのか、なぜそんな行動をするきっかけができたのかと思い、その状況を完全再現したのです。そうすればお坊ちゃんの行動をヒントに、考えを理解することができます」
「つまり、完全再現のシミュレーションをしてみろということだな?」
「ええ。ですが今回は規模が広く、頼りの記憶もございません。できる範囲のことでよろしいかと思いますが」
「…そうだな、良いヒントになった」
実際、手がかりを得るための手がかりが乏しかった瑠璃也にとって、手がかりを得るための手がかりを得られる状況を作れと言われたのは行幸だった。どうやら先を急ぎすぎていたみたいだ。焦りが出ているのかもしれない。
ふむ…と少し深く考えてみる。セバスの言うことをヒントにすれば、今回は全世界のことをシミュレーションしなければならないが、いまの俺には無理な話だ。とりあえず事件が起きた周辺のこと、人員、天候、財閥の動き…あとは――
「そういえば先日は太陽の動きが非活発的で、世界各地で地震が起こっていたそうですね」
「ほう」
――それだ。すぐさま情報部へと問い合わせ、地震があった場所を入力…これだとメルカトル図法の周辺地図だけでは足りないな。地球儀で演習を…ん?これは。
最近の地球儀はリアルタイムで月の動きも着いている優れものだ。だからこそ気づけた。翠沙の進行方向が赤道と白道の交差点、交点へとまっすぐ向かっていたのだ。そう、俺らは東だ東だと言っていたが、実際には東南であった。微妙な差であっても、これからはこういう事も正確にしていかなければならないな。
「セバス、俺が指定した地点をナビに送る。その地点まで飛ばしてくれ」
「かしこまりました」
「…翠沙はここを目指して、何がしたかったんだ?ここになにかがあるとでも…いや、翠沙がここを目指していたという確証は無かったか」
周囲を見回しても、特にこれといったものはない。広がるのはただの大海原だ。いくら見渡しても特別なものは…ん?
「セバス、高度を限界まで落としてくれ」
なにかが見える…あれはなんだ?なにか透明な…橋、か?
「セバス、あそこになにか見えないか?なにか、橋のような」
「…?私にはなにも見えませんが」
セバスには見えない、か。セバスの身体能力はかなり高いため、あれは常人の目には見えないものなのだろう。そう、一旦は理解しよう。…さて。
「それじゃセバス、俺はあの橋に降り立って来る」
「え、いかがなさったのですかお坊ちゃんご乱心ですか」
「相変わらず失礼だな、セバス。まぁいい、行ってくる」
「それではお先に戻ってますね。お坊ちゃんなら水上歩行くらいできましょう?」
「流石にセバスみたいなことはできない。一番近くの島に降りたって待っててくれ!」
まずは薄い膜を張るよう気圧を地上と同じに調整し、窓を開け一息に飛ぶ。次に体全体を覆うように硬い殻を楕円形に展開し、体を保護し、あとは念力で降り立つ場所を微調整する。初心者の降下技術だ。初心者といっても成人した大人でも難しいとされる難易度だが。そして上級者にもなると自在に空も飛べると言う。瑠璃也も今は上級技術を練習している最中なのだ。
「…人が乗れる強度かどうかは賭けだったがどうやら問題ないようだな。一見ガラスのような素材に見えるが…幅はそれほどないな」
始まりはどっちで終わりはどこだろうか。透明な橋は限りなく続いているように見える。…だが。
「見つけた」
光学迷彩か?それとも、信じがたいことだが認識阻害か?どっちにしろ、瑠璃也でなければこの橋のように…いや、それ以上に見つけられないものだったろう。かなり集中しなければ気づかなかったかもしれない。だが瑠璃也は気づいた。気づいてしまった。気づかなければ楽なものだったろう。いずれ翠沙を失ったことを喰われ、翠沙を喰われ、何もかもを喰われ、そして朽ち果てる運命だった。だが見つけた。数多の苦しみを背負い、そして唯一救われる可能性がある紅蓮に燃え滾る茨の道を。その世界に続く、不可視であるはずの扉を。
「なんだ…これは?扉?」
恐る恐る手に触れる。すると、一瞬で世界が暗転。…いや、これは違う!
瑠璃也は吐き出そうとしていた息をすぐさま口をふさぐことによって防ぐ。そして一息深呼吸。さらに、着地(?)してからも続けていた防殻膜をさらに強固にした。そこまでしたのは眼前、いやいま自分がいる場所に問題があった。広がる暗闇。点々とする仄かな光。そしてなにより、目前の灰色の星。そう、ここはまさしく月面だった。
意味が分からない。だが二つ、分かったことがある。それは、翠沙が間違いなく、さっき触れた扉を目指していたということだ。そしてここに翠沙がいるということでもある。まずは一つ、大きな手がかりだ。




