協奏曲
瑠璃也達は合流した後、一言も言葉を交わすことなく家に戻った。そして、別れ際に重三、深琴が『ごめん(と思う)』と一言言って去っていった。武国と千利は無言で去り、遠士郎と綾埜は『失礼します』と一言。
正直に言えば、今でも戸惑っている。なぜ緋音を誘拐した敵に対し、こんなにも親近感と信頼を抱いているのかわからない。それも、どうやら自分だけが感じているもののようで、なおさら分からなかった。しかし、いっそう分からなかったのは。どうしても理解できなかったのは、『黒』と呼ばれる存在全てが緋音と同じ脳波をしていたということだ。勘違いなどあり得ない。『黒』に抱えられていた緋音と同じ反応だったからだ。
もし敵が自分の脳波を触れている存在および近辺の存在の脳波と同じにするという能力を持っているのだとすれば黒藤家のガードロボットの敵視を回避できたというのも納得できる。ただ千差万別の脳波を他者と同じにするということに現実味がないのだ。それは、性別も性格も経験も親もなにもかもが同じという同一存在がいるということだ。そんなものありえるはずも…いや、ある。にわかには信じられないが、人類史上最大の禁忌を犯したとすれば、侵したとしすれば…冒したとすれば。『クローン』という存在は、同一存在足り得る。もし『黒』という名前が緋音の『クローン』という意味ならば、これほど皮肉なものはないだろう。
ならば。本当に予想通りならば、和也と未稀は『黒』を作った存在に何かをされたか、もしくは『黒』を作った張本人かのどちらかだ。――真実を、見極めなければならない。
「さて、俺も修行をするか」
「そう…うん?修行?」
○◎●
「そう…うん?修行?」
唐突になにを言い出すんだと言わんばかりに二度見をした翠沙。本当に意識外からでてきた言葉なのだろう、瑠璃也が修行をするということを、心底信じられないといった様子だった。
「修行って、何をするの?」
「超能力の領域拡張だ」
つまりは、人間を辞めると。そう言っているのと同じことだった。超能力とは人間としてのリミッターが外れた能力。ただでさえ常人ではたどり着けないような境地にいる瑠璃也が、これ以上リミッターを外したら本当に人間を辞めることになるだろう。たとえそれが『地球の使徒』という権限によるものが大部分だとしても、人間としての存在を星側に寄せるという意味だった。
さすがにそれは看過できない。翠沙としても、『月の使徒』としても。
「どうしてそこまで」
「だって、家族なんだぜ?」
「……」
だって、家族なんだぜ?
そう言ってはにかむ瑠璃也を、翠沙はいまだかつて見たことがなかった。いままで何も言わずに動いてきた瑠璃也が、初めてモチベーションを語った。その事実に翠沙は絶句してしまう。だがなんとしても止めなければならない。緋音だからとかじゃない。家族なんだからと言った。緋音個人に向いてればいいが、家族という集団に向いてしまうのなら止めなければならない。
――じゃないと、じゃないと。重三達も救う対象に入ってしまう。大を捨て小を救わなければ、この勝ち目のない戦いに勝利はない。だけど、だけど!!
「愛してる、翠沙」
「――っ!!?」
伸ばした手を止めてしまう。消えてしまいそうに儚く笑う瑠璃也を繋ぎ止めようとした手を―鎖を繋がず。繋ぎそびれた手は空を切り、力なく落ちた。
止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。止めなければ。
いくら天才だ逸材だと言ったって、所詮人間なのだ。人間には、いや。生物には越えてはならない一線がある。それを瑠璃也は越えようとしている。修行だなんて聞こえの良いことを言ったって、それは誤魔化せない。止めなければ、瑠璃也は生物としての一線を越えてしまう。でも、でも!!
愛してるだなんて、卑怯だ。卑怯で卑屈で――ああ、そういえば。そういえば、自分から言ったこと、なかったな。
「うん、私も。私も愛してるよ、るーくん」
堂々と歩いていく瑠璃也の背中を翠沙は涙を流しながら見送る。
いつだって堂々と歩くるーくんの背中を見て育った。そんな景色がふと、脳裏に過る。これまでも、そしてこれからもそうだ。いつだって、これまでだって、これからも。私はるーくんの背中を見て、背伸びして。そんな私をるーくんは軽々と越えていく。そんなるーくんに見合う女になりたくて、また背伸びして。そしてるーくんは。でも、今回はそうはならない。背伸びしたって届かない。私は、もう限界を越えているんだ。るーくんに追い付くために限界を越え続けて、そんな私にるーくんは余裕でついてきて。そして今度はるーくんが限界を越えると。敵わない。敵いっこない。だって、私は凡人で、るーくんは天才なのだから。
――ドクン。ドクン。
うるさい。お前に頼らないと敵わないことなんて分かってる。
――ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
うるさい。私だってお前に頼りたくなんてない。怖い、怖いんだよ。でもるーくんを止めるためならって、そう思ってる。
――ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。
そう、私を受け入れればなにもかも上手くいく。否定するな、私を。私はお前で、お前は私。なぜなら――
「――私は白江翠沙。お前の負の捌け口なのだから」
ああ、光と闇が反転していく。綺麗事ばかりを並べて暗い景色を消失点へと追いやって。そうしてできた綺麗な『白江翠沙』が私で、度重なる世界で薄汚れた翠沙があっち。だから私から言うことなんてなかった。るーくんに愛してるだなんて、言えるはずもなかった。ああ、眠い。眠い。いまはもう…
「ゆっくりとお眠り。そして、後は私に任せな」
『月の使徒』による侵食はかなり進んでいる、か。情緒が不安定になったせいで、もって数分、持たなくて数秒ってとこか。これはだらだらしてらんないな。綺麗事ばかりじゃぁやってらんない。
私は空を掴み、弓を手に取る。狙うは大腿。一直線に目標を貫き、動きを封じる。番う矢は二本。それは迷いなく狙った場所へと吸い込まれていき――
「――っ!?」
消えた。まさか、もうここまで来てるとは。だが逃がすわけには――っ!!?
唐突に振り向いた瑠璃也が、音を発さずに何かを言った。そしてそれを正しく理解してしまった。『ちゃんとお前も愛してる、翠沙』だなんて。
この一瞬でどれだけ人間を辞めたのだろう、あの人は。一瞬でも戸惑ってしまった私の隙をついて、虚空に姿を消してしまうほどには人間を辞めてしまっている。もう手遅れだ。私のほうも、手遅れだ。『月の使徒』に犯され、侵され、冒され、オカサレ――
「あァ、私も愛してるよ、『地球の使徒』」
さぁ、星に帰ろうか、還そうか。
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