三話:二人で迷宮へ
思い立ったが吉日。
マーティとミューリはその日の放課後、早速探索の準備をしに買い出しに出かけていた。
次の探索は二日後。まだ少し余裕があるが、早すぎるということはない。
「ねえ、マーティはいつもどれくらい準備していくの?」
何気ない口調のミューリは、特に深い意味でした質問でないのだろう。会話の糸口を探っているだけのようにも見える。
だが、その質問はマーティにとってやや答えにくいものであった。端的にいえば、非常識なのを自覚しているので恥ずかしいのだ。
「パン屋で買える一番安いパンと、カンテラと包帯」
うんうんと頷きながら続きを待ったミューリは、それからマーティが口を閉ざしたことに疑問を持つ。
「……他には?」
「ない。それだけ」
あまりの荷物の少なさに、ミューリは愕然とした。
トップクラスの成績のパーティは荷物運び専用のかばん持ちがいるのが普通だし、以前ミューリが所属していたパーティも、出来る限りの備えをして迷宮に潜っていた。
「えっと……地図は?」
迷宮探索において、地図はなくてはならないものである。本来では自分たちで迷宮を少しずつ踏破して作成していくものだが、学園迷宮においては例外的に地図を販売している。
だがそれはいわゆる貴族や裕福な平民向けで、素寒貧なマーティが買える値段ではない。
「高過ぎて手が出ない」
正直にマーティが白状すると、ミューリの笑顔が引き攣った。
そこまでお金に困っているのかと、慄いてしまったのである。
「じゃ、じゃあマッピング道具とかは?」
「お金が足りなくて全部揃えられないから買っても意味ない」
ミューリの瞬きの回数が増えた。予想外の事態に動揺しているのだ。
貴族でも裕福でもない探索者のために、ペン、インク、方眼紙などが売られているものの、やはりマーティが買おうとすると、それだけで探索資金はマイナスだ。
現実は非情である。
「モ、モンスター対策に、煙幕玉とか刺激玉は?」
「欲しいけど、買い込んだら赤字になるから諦めてる」
もはやマーティ自身も、恥ずかしさと情けなさで身を丸めていた。
資金難であることはミューリも承知していたが、ここまでのものとは知らず、ミューリはあんぐりと口を開けた。
「そりゃ、低層から抜け出せないわけだよ……」
胸の前で腕を組み、ミューリは重々しく頷いた。
早くもミューリの中で選択を誤ったと思う気持ちが湧いてきたが、よく考えればここで別れたところで、ミューリもまたソロ探索を強いられることに変わりない。
どちらにしろ、一蓮托生なのだ。
そのことを自覚して、ミューリは長いため息を吐いた。
「分かった。今回のお金はわたしが出すから、ちゃんと揃えよう」
「何か、ごめん」
落ち込むマーティに、ミューリは慌てて手をひらひらと振った。
「いいよ。パーティを組もうって言い出したのはわたしなんだし。気にしないで」
ミューリはマーティの手を引き、歩き出す。
「行こう。こっちに、わたしが行き着けにしてる道具屋さんがあるの」
外に出ようとするミューリに、マーティはきょとんとした顔で問いかける。
「……学園の購買で買わないの?」
マーティはいつも購買で探索道具を揃えている。購買なら必要なものは全て一通り揃っているし、一定の品質が保障されているので外れがないからだ。
「購買は不良品を掴まされることはないけど、その分値段が割高だから。個人運営の道具屋なら、品質にばらつきはあるけど、ずっと安い価格で手に入るよ」
今まで没交渉で強制ソロ探索地獄に陥っていたマーティは、個人運営の道具屋があること自体知らなかった。
おそるおそるマーティはミューリに問いかける。
「もしかして、購買って皆あんまり利用しないの?」
「貴族の人たちはそうでもないけど、お金に余裕が無い人はあまり利用しないみたい。わたしもあんまり利用したことはないかな。もったいないし、目利きは出来るから、購買で買う意味ってわたしにはあんまり無いんだ」
事も無げにミューリはさらりと告げる。
さすがは豪商の娘といったところか。
しばらく歩いたミューリは、足を止めて後ろのマーティを振り向く。
「ここよ、ここ。チャッカ道具店」
ミューリが足を止めたのは、一見すると民家にしか見えない建物の前だった。
よく見ると、表札の代わりに営業中の札が吊るされている。
慣れた様子で扉を開けるミューリに続き、マーティも戸惑いながら中に入った。
カランコロンと来客を告げるベルの音が店内に響く。
「いらっしゃい」
ベルの音を聞きつけて、カウンターの奥から店主が出てきた。
横幅の大きい中年女性だが、客商売であるからか愛想が良く、闊達な笑顔を浮かべている。
「おや、ミューリちゃんじゃないか。今日は何が入り用だい?」
「いつもの見切り品見せて貰えますか?」
「そこの箱に纏めて入ってるよ。どれでも一つ30エルクだ」
中年女性は、カウンターの隅の床に大量に積み上げられた木箱を指差す。
「ありがとう、叔母さん」
「こらこら、営業中に叔母さんって呼ぶんじゃない。店主と呼びなさい」
笑顔で礼を良い、木箱の中身を物色しに行くミューリを店主は苦笑いしながら見送った。
ミューリについて歩くマーティは、木箱の中身を物色するミューリを手伝いながら、ミューリに尋ねる。
「……知り合い?」
「父方の叔母さんよ。私が入学する前から、ここでお店を開いてるの」
動かす手を止めずに、ミューリは答える。
吟味する目は真剣だ。マーティの疑問に答える時も、品物から目を離さない。
「このフックつきロープはまだまだ使えるわね。この地図は購買のと同じね。改定前の古い地図みたいだけれど、手書きで訂正しておけば問題ないわ。この回復薬は……。あー、使用期限が切れてるわ。怖いからこれは除外、と」
マーティの目の前に、どんどんミューリが選別した物品が積み上げられていく。
「お、刺激玉がいっぱいあるじゃない。どれもしけってる感じがしないし、持てるだけ買っていきましょう。松明は布を取り替えればいいか。ちょっと錆びてるけど、このつるはしもまだ持ちそうね」
今まで持ち込んでいたマーティの荷物とは比較にならない量になりそうで、マーティは途中からぽかんとした顔でミューリが選ぶ様子を眺めているだけだった。
商人を親に持つせいか、掘り出し物を探すミューリの表情は、水を得た魚のように生き生きとしている。
全て選び終わった頃には、ミューリが選んだ品は小山のようにうずたかく積みあがっていた。
「全部で千二百六十エルクだけど、いっぱい買ってくれたから千二百エルクぽっくりでいいよ」
在庫が大量にはけたことにほくほく顔の店主の言葉を聞いて、ミューリはぱあっと笑顔を浮かべた。
「えっ、本当? 叔母さんったら太っ腹!」
いそいそと懐から財布を取り出すと、ミューリは代金をカウンターに置く。
途中からほぼ蚊帳の外状態だったマーティは、店主の告げた金額に二重の意味で度肝を抜かれていた。
一つは量に対しての金額の安さに。
もう一つは、一度の探索で千二百エルクもの大金を躊躇無く出せるミューリに。
千二百エルクといえば、マーティが普段の探索で生還した時の報酬とほぼ同じである。
ミューリにしてみれば、準備にこれくらいの金額をかけるのは当たり前なので、選ぶ間も払う時も行動に迷いが無かった。マーティならきっと、散々迷った挙句に品物を半分以下に減らすだろう。そうしなければ日々の生活にすら困るからだ。
改めて、マーティは自分の困窮具合を思い知った。
肩に下げていた小さな鞄に、ミューリは品物を詰めていく。
不思議なことに、何度品物を入れても、小さな鞄はパンパンに膨れたりはしなかった。
「どうなってるの? その鞄……」
まじまじと鞄を見つめるマーティの視線に気付き、ミューリはマーティの眼前で鞄を掲げて見せた。
「魔法の鞄よ。中の空間を広げてあって、一部屋分くらいの収納量があるから、これ一つあれば持てない荷物が出ることはほぼ無いわ」
もちろん、どんな便利アイテムであっても、欠点というものは必ず存在するものだ。
例えばミューリのアイテムバッグならば、収納口に入らないような大きさのものは入れられないし、収納した品物の重さは誤魔化せない。下手に重いものをしまうと、その場で動けなくなってしまう。
「重くないの?」
「平気よ? ほら」
何気ない手つきで渡されたアイテムバッグを反射的に受け取ったマーティは、ずしりと手に圧し掛かる重みにふらつきそうになるのを、辛うじて堪える。
「う、うん。軽いね。ははは」
「でしょ?」
やせ我慢をしたマーティが若干震える手で返したアイテムバッグを、ミューリは軽々と受け取った。
筋力の差をまざまざと見せ付けられたマーティは、内心凹みながらも表面上は何でもない風を装う。
「……高いんじゃないの? それ」
「そうね。私はパパに入学祝に貰ったけど、普通に店で買ったら五万エルクくらいするんじゃないかしら」
「ごまっ……!?」
装いはすぐに剥がれた。
文字通り桁が一つ違う金額に、マーティの意識がフラッと遠のきかける。
見るからに驚いているマーティを見て、ミューリはもっと性能が良い物だと、さらに桁が高くなるという事実については言わないでおくことにした。
全ての品物を鞄に収めたミューリは、鞄の掛け紐を肩にたすき掛けし直し、立ち上がる。
マーティならば重いと思うような重量でも、ミューリにとってはたいした重さではない。
「ありがと、叔母さん。今回の探索が終わったら、また来るね」
「ああ、そこの彼氏も良かったらまた連れてきなよ」
店主の言葉に、ミューリはぽっと頬を赤くした。
「やだ、叔母さん、何言ってるの。彼とはそういう関係じゃないわ」
「そうなのかい? わたしゃてっきり、ついにミューリにも春が来たのかと思ってたよ。今までは一人で来てただろう?」
店主とミューリのやり取りを聞いて、マーティは少し意外に思った。
どうやらミューリは、この店に前のパーティメンバーを連れてきたことはなかったようだ。
今回に限って自分を連れてきた理由をマーティは考えたが、よく分からない。
理由に気付く前に、マーティの胸にミューリの悪意の無い言葉のナイフが刺さった。
「確かにそれはそうだけど、彼が普段学園の購買で買ってるっていうから、もったいないなって思っただけ。本当よ? 毎日私が負担するんじゃさすがに私も辛いし、無駄使いは控えて貰いたいの」
言い募るミューリに、落ち込むマーティ。そんな二人に、店主はニヤニヤしながら一瞥をくれる。
「まあ、理由はどうあれ、店に買いに来てくれるんならわたしゃ大歓迎さね。またおいで」
ひらひらと手を振って見送る店主を背に、ミューリはマーティの手を引いて外に出た。思わずマーティが、ミューリの顔を見る。ミューリはマーティを振り返って、申し訳なさそうに苦笑した。
「ごめんね。迷惑だったでしょ?」
初めて女の子に手を繋がられたことにドギマギしていたマーティは、恥ずかしそうに一歩引いたミューリの態度に我に返った。
「ううん、全然迷惑じゃないよ」
「……なら、良かった」
恥ずかしそうにはにかむミューリの笑顔は、体格に似合わず可愛くて、マーティはしばし見とれるのだった。
■ □ ■
そしてマーティにとって、今年に入って初めての迷宮探索の日がやってきた。
いつもより早く目覚めたマーティは、手早く身支度を済ませると、買い置きのパンをもそもそと食べて朝食を済ませる。店で食べてもいいのだが、外食は高いのでマーティは一番安いパンを大量に買い置きしていた。最後の方は硬くなって、水でふやかさなければ食べられないのが玉に瑕だ。
マーティは服の上から木製鎧を着込むと、木製剣を腰に携えた。他の道具類はまとめてミューリが魔法の収納鞄にしまっているので、マーティの持ち物はいつものように小さなパンとカンテラに、包帯が一つきりだ。
準備を終えたマーティが迷宮に向かうと、入り口ではすでにミューリが待っていた。
ミューリはマーティの姿を見つけると、手を振ってこっちへ来いと手招きしてくる。
「おはよう、昨日は良く眠れた?」
「うん。よく眠れたよ」
肯定すると、ミューリは大げさに驚いてみせた。
「意外ね。君のことだから、遠足に行く幼年学校の生徒みたいにワクワクしてあまり眠れてないんじゃないかと思った」
どこか残念そうな顔のミューリだが、そもそもマーティが生まれ育った村には幼年学校などというものはなかった。早熟な子どもなら、物心ついた頃にはもう親の仕事の手伝いを始めている。村では子どもも立派な労働力だったのだ。
「そういう感覚は、ぼくにはよく分からないな」
「わたしが幼年学校に通っていた頃は、行事の前日は興奮してなかなか眠れなかったけどね」
しばらく雑談を楽しんだ二人は、きりの良い所で話を切り上げて本題に入る。
「迷宮に入る前に、軽く打ち合わせしておこうよ。基本はわたしが前に出て前衛を務めるから、マーティは背後の警戒とカバーをよろしくね。マーティから、何か注意しておいた方がいいことはある? 二人じゃソロとほとんど変わらないから、マーティの方がそういうことには詳しいと思うの」
「うーんと……、やり過ごせるモンスターとは絶対に戦わないことかな。まともに戦ったらどうしても時間がかかるし、その間に物音を聞きつけてどんどん増援がやってくる。そうなるともう攻略は無理だから、隠れてやり過ごせるモンスターはなるべくやり過ごして、それが出来ない場合は不意を突いて短時間で倒す。まあでも、一人と二人でも勝手が変わってくるかもしれないから、参考程度に留めておいた方がいいと思う」
疑問に思ったのか、ミューリが首を傾げてマーティを見た。
「一人と二人じゃそんなに違うの?」
「そりゃ違うさ。隠密って意味では一人よりは厳しいけど、戦う時は一人の方が辛いし。何より、いざとなったらお互いのカバーに入れるのがいいよね」
「確かにそれもそうね。じゃあ基本はそれで行きましょう」
打ち合わせを終えると、マーティとミューリは顔を見合わせ、どちらともなく頷くと迷宮の中へと入っていった。
■ □ ■
迷宮の中は相変わらず暗く、じめじめとした空気と、どこかかび臭い臭いに満ちていた。
先を進むミューリが立ち止まってマーティを振り返る。
「カンテラを用意してくれる? わたしの松明はモンスターを燃やすのにも使えるし、まだ温存しておきたいの」
「分かった。ちょっと待ってて」
マーティは手持ちのカンテラに火を灯し、ミューリの前方を照らした。暗闇が晴れ、うっすらと苔だらけの地面が見えるようになる。
見渡せる範囲は狭いが、灯りがあるというのはそれだけで心強い。ミューリの背中が見えて、一人じゃないことを確認できる。
分岐路に差し掛かると、ミューリは迷わず片方の道に進もうとした。
「ちょっと待って。聞き耳立てるから」
先に行こうとしたミューリを呼び止め、マーティは精神を集中して聞き耳を立てる。
片方の道からモンスターの足音が聞こえた。距離は遠く、モンスターたちにはまだ気付かれていないようだ。
「右からモンスターが近づいて来てる。たぶんゴブリンだ。どうする?」
「え? え、ええ、ちょっと待って。今地図を確認するわ」
単独探索の苦行の果てに鍛えられたマーティの聞き耳の精度は、かなり高い。
少し慌てた様子で地図を取り出したミューリは、カンテラの灯りを頼りに道を確認する。
「左もずっと道が続いてるわ。左に行く?」
「うん。そっちは敵の気配は感じられない」
方針を決めたマーティたちは、モンスターを避けて左へと進む。
伊達にソロで迷宮に潜っていたわけではないようで、マーティはモンスターの気配にとても敏感だった。僅かな足音や臭いを見逃さず、モンスターの気配を感じ取る。
そんなモンスターに対するマーティの鋭敏な反応に、ミューリは少し戸惑っているようだった。
「ちょっと待って、ミューリ」
しばらく進むと、マーティが前を歩くミューリを呼び止めた。
「どうしたの?」
前方に注意を向けながら、ミューリはマーティを振り返る。
「ミューリの前の空間の天井付近に何かいる。たぶんスライムだと思う」
「えっ!? 灯り貸して」
慌ててミューリがマーティからカンテラを受け取り、暗闇を照らす。
「うわ、本当にいる……。よく気付いたわね」
照らした先の天井には、緑色のスライムが二匹、へばりついていた。
暗くて見え難いだろうに、見逃さないマーティの注意力に、ミューリは舌を巻く。どうやって気付いているのか、疑問に思うほどだ。案外臭いなども嗅ぎ分けているのかもしれない。だとすれば、動物並みの嗅覚である。
マーティはカンテラを持つミューリに問う。
「やり過ごせると思う?」
「もうちょっと通路が広ければいけるわ。でも、狭いからどうかしら。駆け抜ければいけるかもしれないけど、タイミングを合わせられたら目も当てられないことになりそう」
少し考え込んだミューリの返答に、マーティは頷く。マーティも同意見だった。
「じゃあ、落として火で炙ろうか」
「それがいいんじゃない? わたしが松明を使うわ」
持っていたカンテラをマーティに返し、ミューリが鞄から松明を取り出す。カンテラの火を移して松明を着火させると、ミューリは一歩一歩慎重に歩みを進めた。
じりじりと進むミューリの頭上目掛け、一匹目のスライムが落ちてくる。
スライムを注視していたミューリはすばやく一歩後退し、紙一重でスライムの落下を避けた。
ぼとっとやや重たげな音をして着地するスライムを、ミューリは手に持っていた松明で炙る。
火で炙られたスライムは、苦しげに激しく蠢いたかと思うと、見る間に水分を失って干からびていく。
同じ要領で二匹目のスライムも危なげなく始末すると、ミューリは松明の火を消した。
「先に気付けて良かった。不意打たれてたら危なかったかも」
松明を鞄に戻したミューリは、緊張していたのか長く息を吐く。
同行する仲間が少ないということは、一人にかかる負担が大きいということでもある。
前のパーティでは今よりももっと深い階を探索していたのに、ミューリの顔にはすでに疲れが見え始めていた。
「ごめん、マーティ。ちょっと休憩させて」
「うん、いいよ。ぼくも疲れたし、休もうか」
聞き耳を立てて近くをモンスターがうろついていないことを確認すると、マーティはその場に腰を落として中腰になった。ただし、完全に座り込みはせず、いつでも動けるように片膝を立てている。
一方でミューリは完全に腰を下ろして座り込み、取り出した布巾で汗を拭っていた。
「……もうちょっとリラックスしたら?」
ミューリの肩に力が入っているのを見て、マーティはミューリを気遣った。
「できればそうしたいんだけど……。前に一人で潜った時のことを思い出すと、どうしても緊張しちゃって。マーティは何ともないみたいね。やっぱり凄いわ」
褒められたマーティは、僅かに顔を赤くしてそっぽを向く。
ずっと単独で迷宮に挑み続けていたマーティは、賛辞されるということに慣れていなかった。こういう時、どう返せばいいのか分からなくなってしまう。
緊張による気疲れが大部分だったようで、数分休んだだけでミューリは元の調子を取り戻した。
「ありがとう、もう大丈夫。先に進みましょ」
「今のところモンスターの気配は感じられないけど、念のため天井には注意して」
二人は立ち上がり、探索を再開した。
■ □ ■
地下一階、地下二階を無事に突破し、マーティとミューリは地下三階に繋がる階段に到着した。
階段を下れば地下三階だ。地下三階からは、新しいモンスターが現れるようになる。
ゴブリンとスライム以外に、吸血蝙蝠という新顔が出てくるのだ。
今回はまだ戦闘になっていないが、ゴブリンは群れで襲ってくる。それと同じように、吸血蝙蝠も群れを作る。ゴブリンとは違い、身体が小さく空を飛んでいるので、攻撃を当てにくい。集団で血を吸われたら、失血死する危険性もある。
聞き耳を立てながら、マーティはミューリを振り返り、小さな声で話しかけた。
いざとなったら階段を下りればこの階のモンスターは追いかけてこないが、警戒するに越したことはない。
「一応降りる前に確認しておくよ。吸血蝙蝠の対処法は?」
「パーティを組んでた時は、わたしが注意を引き付けている間に、皆が普通に武器で倒してくれたけど……。他に方法があるの?」
ミューリは訝しげな顔でマーティを見る。
「考えてみて。ぼくたちがその方法で吸血蝙蝠の群れと戦ったらどうなるか」
「……マーティが一匹一匹倒してる間に、失血死するね、わたし」
「うん。だから基本的に、吸血蝙蝠とは戦わない。でも、あいつらは音に敏感だから、ミューリの方がぼくよりも気付かれやすいと思う。どうしても戦わなきゃいけなくなった時は、火で追い払おう」
逃げることを前提にマーティは話すが、ミューリはそれが気に入らないらしく、不満そうな口ぶりでマーティに言い返す。
「わたしなら少しくらい血を吸われても平気だよ?」
「空を飛んでいるし、動きも素早いから攻撃を当て難い。少しじゃ済まないと思うよ」
パーティを組んでいた時の尺度が抜けていないミューリは、ようやく気付いたようで、はっと顔を上げた。
「そっか。二人しかいないし、よく考えたら飛び道具ないもんね……。失敗したなぁ」
がっくりと肩を落とすミューリを、マーティが慰める。
「あのお店にも売ってなかったし、そもそもこんなに暗くちゃろくに狙いもつけられないから仕方ないよ」
カンテラが照らす範囲は明るいが、外側に行けばいくほど薄暗くなり、暗闇が濃くなる。カンテラの灯りが届く範囲はそれほど大きくはなく、かなり近付かなければ当てるのは難しい。
「ねえ、マーティ。蝙蝠の急降下に合わせて、攻撃できる?」
「できないことはないけど、当たるかどうかはまた別。ソロの時は出会ったら結局死んでたし」
その時のことを思い出し、マーティは顔をしかめる。
あまり良い記憶ではなかった。奴らは暗闇に適応していて退化した目の代わりに鋭い聴覚を持っている。おかげで先手を取って察知することが難しく、気付かれれば逃げることはほぼ不可能だ。
飛んでいるので動きが早く、全力で走っても振り切れず、運よく振り切ることができても、索敵範囲内で音を立てればまた追ってくる。
試験の時に地下四階まで降りられたのは、吸血蝙蝠に出会わなかったおかげといっていい。十分な人数でパーティを組んでいるなら大した脅威ではないが、少人数でしかも駆け出しにとっては、とても危険なモンスターだ。
「時間がかかるけど、慎重に索敵しながら進もう。先に気付いて、じっとしてれば気付かれないから」
動けば鎧の音がうるさいミューリも、立ち止まっていれば音を立てることはない。
「分かったわ。頼りにしてるわよ」
「う、うん。頑張るよ」
頼られることなど初めてだったので、若干マーティはどもりながら答えた。