十八話:冥界の猟犬
地下六階の探索が終わりに近付くにつれ、事前の予想とは違い、ハウンドドッグの群れよりも、ビッグワームが掘った穴の方が厄介だとマーティたちは実感し始めていた。
何せ、奴らの掘る穴は規則性がなく、予測ができない。引っかからないようにするためには地道に罠探知を続けるしかなく、それだけでかなり時間と労力を消費させられた。
穴の深さもまちまちで、腰ほどまでしかないものもあれば、五階建ての建物くらいの深さまで掘られ、縦穴のようになっているものもある。
浅い落とし穴は他モンスターの襲撃時に引っかかりさえしなければ危険度は低いが、深い落とし穴はそれだけで危険度が高い。もし落ちようものならほぼ確実に命を落とすからだ。もっとも学園の迷宮では基本的に死ぬことはないので、死ぬような深さの落とし穴に落ちても、墜落する前に死亡扱いで地上に転送されるだけだが。
大きな扉の前まで来て、マーティたちは最後の休憩を取る。
「この先が、ゲートキーパーの部屋か……」
マーティは思わず嘆息した。
目の前の大扉は重厚で、他者を寄せ付けぬ威圧感を放っている。
その横で地図を確認するミューリが、困った顔をする。
「うーん、やっぱり不利な条件で戦うことは、避けられそうにないわね」
きょとんとした顔で、ベアトリスが尋ねた。
「どういうことですか?」
ミューリの代わりに、ミリアがベアトリスの疑問に答える。
「地下六階のゲートーキーパーの間は、とても広い大部屋なのよ。今まで私達が使っていた、出入り口を制限するやり方が使えないの。どうしても、正面から挑む必要がある。広い場所でハウンドドッグの相手をするのはそれだけで骨なのに、今回はヘルハウンドも加わるから」
「なるほど。ヘルハウンドがハウンドドッグをその場に全部置いておくとも限りませんし、奇襲の警戒も必要ですね」
ベアトリスの口から、むむむと唸り声が漏れる。
「『タウント』しようにもハウンドドッグが多過ぎて一人じゃ多勢に無勢なのよね。数を削らないと勝負にならないのに、ヘルハウンドを仕留めないと取り巻きのハウンドドッグも死なないのが厄介よ」
輝石騎士団もそれなりに苦戦したのか、ミリアの口調には実感が篭っている。
「それらを加味して、どう戦うかだよな……」
ぽつりと呟いて、マーティは考え込む。
相手のグラウンドでそのまま戦うのは、マーティたちにとって極めて不利だ。どうにかして、相手の長所を上手く消していかなければならない。そのためにはどう準備をするべきか。実際に戦う前から、攻略は始まっている。
ミューリが自分の経験を皆に述べる。
「ちなみに、私の時は、二手に分かれて、一方がハウンドドッグを引き付けて、その間にもう一方がヘルハウンドを撃破して突破したわよ。かなり危険な賭けだったけど、こっちもそれなりに人数がいたから何とかなったわ」
「輝石騎士団も数には数をで押し切ったけど、この面子じゃ無理ね。実力云々以前の問題で、絶対数が少な過ぎ」
ミリアもミューリと同じような方法で突破したらしい。
「正攻法では不可能なら、何とかして新しい突破口を見つけ出さなければいけませんか」
自分が扱える魔法を、ベアトリスは頭に思い浮かべる。
攻撃系の火魔法ではファイアアロー、フレイムボール、ファイアウォール。攻撃系の水魔法ではスマッシュバブル。今まででベアトリスが使ったのはこの四つの魔法だ。使える魔法の中では最も熟練していて、信頼性が高い。
だが、残念なことに、これらの魔法ではヘルハウンドを仕留めるには少々威力が足りない。遅延詠唱を用いて魔法を重ねればそれなりの威力になるが、ヘルハウンドは火魔法に対する抵抗力が高いのだ。水魔法ならよく効くものの、スマッシュバブルで足りるかというと微妙だ。少なくとも、出来る限り重ねなければならないことには違いがない。
「手持ちの攻撃魔法で一撃で始末できると考えるのは現実的ではないですね。となると、連携しなければなりませんか」
まだパーティを結成して日が浅いとはいえ、ベアトリスはマーティとミューリとならそれなりに互いの呼吸を掴み、連携が取れるようになってはきているが、新参のミリアとはまだ息が完全には合わない。その状態でハウンドドッグの群れを抜けてヘルハウンドを撃破できるかというと、これも何ともいえない。できると思いたいが、仲間であるが故の色眼鏡が入っている可能性を、ベアトリスは否定しきれないのだ。
理想は一人がハウンドドッグの群れを引き付け引き離し、残ったヘルハウンドを他の三人で袋叩きにすることだ。上手くいけば倒せる可能性は高いとはいえ、囮役の危険度は高い。一人では群れを捌き切れない可能性もある。
ベアトリスが考え込んでいると、ミリアが手を挙げて意見を述べた。
「やっぱり、ハウンドドッグの相手をする囮役と、ヘルハウンドに強襲を仕掛ける攻撃役にパーティを分けるべきだと思う。あたしとミューリさんで防御を固めて囮を務めれば、それなりに長い間時間を稼げるはずよ。問題は、その間に、あんたたちの手でヘルハウンドを撃破できるかどうかなんだけど……ねぇ?」
最後に言葉を曖昧に濁したミリアは、じとっとした視線をマーティに向けた。
まるっきり実力を信用されていない。仕方ないこととはいえ、切ない気持ちになるマーティだった。
「とりあえず、それでやってみようか。最終期限はまだ先だし、これで無理だったら作戦を練り直せばいい」
他に意見が出ないことを確認して、マーティが方針を最終確認する。
「中に入ったら、ミューリとミリアは『タウント』でハウンドドッグの注意をぼくたちから逸らしてくれ。その間に、ぼくとベアトリスで最大火力をヘルハウンドにぶつける。これでどうにもならなかったら諦めて出直そう」
「分かったわ」
「微力を尽くします」
「あたしは完璧にこなすけど、失敗しないでよね」
ミューリ、ベアトリス、ミリアから返事が返ってきたのを確認すると、マーティは道具の最終点検をし、立ち上がった。他の三人も、準備を終えて立ち上がる。
「それじゃあ、行こうか。挑戦だ」
僅かに気負いながら、マーティはゲートキーパーが待つ扉を開けた。
■ □ ■
中に入ると、マーティたちが入ってきた扉は音も無く勝手に閉まってしまった。
ゲートキーパー戦特有の現象だ。勝利しなければ、先へ進むことも、逃げることも許されない魔の空間。
「これで逃げ道は無くなったね」
振り返って重厚な扉が閉じているのを確認したマーティは、思わず武者震いをした。
部屋の中央には、ハウンドドッグの群れを従える、一匹のヘルハウンドがいる。茶色い毛皮のハウンドドッグの群れの中で、一回り大きく艶やかな黒い毛皮のヘルハウンドはとても目立っていた。
ヘルハウンドが軽く吼えると同時に、ハウンドドッグの群れが動き出した。統率された動きで見事一体となり、マーティたち目掛けて駆けてくる。
「『タウント』!」
真っ直ぐ走っていた群れの先頭がミューリの挑発スキルによって行き先を変える。
「『ディフェンスアップ』! 『タウント』!」
続いてミリアが防御力増加の土魔法を唱え、ミューリの挑発から逃れたハウンドドッグを自分が挑発して引き付ける。
ハウンドドッグは、ミューリたちを追いかける。残るマーティたちとヘルハウンドの間に、立ちふさがる物は何も無い。
「今だ!」
マーティが地を蹴ると同時に、ヘルハウンドも走り出した。
「『猫の呼吸』!」
呼吸法で増加した敏捷さを駆使し、タイミングを外し先んじてヘルハウンドの間合いに踏み込んだ。
反転しかけていたヘルハウンドは行動をキャンセルし、マーティの攻撃に備えた。
どうやら、ミューリたちの方から襲う予定だったらしい。
危うくいきなり作戦瓦解の危機になりそうだったことに、マーティは戦慄する。
「こいつ……!」
マリアから貰ったストームベアの爪で攻撃を仕掛けるが、ヘルハウンドはひらりと跳躍してかわす。予備動作がほとんどないのに飛距離は大きい。
「逃がしません!」
叫んだベアトリスが空中にいる無防備なヘルハウンドを『スマッシュバブル』で逆方向から撃ち落とした。
墜落したヘルハウンドは駆けるマーティの方向へとごろごろと転がる。
ヘルハウンドが素早く体勢を立て直したのと、マーティが自分の間合いに踏み込んだのは同時だった。
ストームベアの爪が走る。
「なっ!?」
マーティの一撃は、ヘルハウンドの口で容易く受け止められていた。
そのままヘルハウンドは、マーティを押し倒そうと体重を乗せてくる。マーティは全力で抗うが、それでもじりじりとマーティの腕はせり合いに負けて下がっていく。
「『スマッシュバブル』!」
まずいと見たベアトリスが魔法で牽制すると、ヘルハウンドはひらりと身をかわした。
「うわっ! ベアトリス、ぼくにも当たりそうだったんだけど!」
体勢が悪くて離脱できなかったマーティは、至近弾を喰らってびしょ濡れになった。
「あのままやられるよりはマシでしょう! それよりさっさと追撃してください! ハウンドドッグの群れと合流されては厄介です!」
走り出そうとしたヘルハウンドを、ベアトリスは『スマッシュバブル』を乱射して牽制する。
その間に立ち上がったマーティは、再び呼吸術を発動させてヘルハウンドへと疾走する。
ストームベアの爪でヘルハウンドの前足を狙うが、あっさりと軌道を読んだヘルハウンドの口で再び受け止められていた。
やはり、『猫の呼吸』では敏捷性は互角だが、パワーが足りない。
「これならどうだ! 『熊の呼吸』!」
呼吸術を切り替え、マーティはストームベアの爪ごとヘルハウンドを持ち上げ、叩きつけようとする。
力で負けたことを敏感に察したヘルハウンドは脅威を感じたのか、素早くストームベアの爪を離した。
距離を取ろうとするヘルハウンドに、マーティは追い縋る。
「逃がすか!」
『猫の呼吸』で追いついたマーティは、『熊の呼吸』に切り替えてストームベアの爪を振るう。
ヘルハウンドは受け止めようとはせずに、回避する。
マーティは歯噛みした。
猫の呼吸ではヘルハウンドのスピードに対抗できるものの、力が足りない。熊の呼吸ならヘルハウンドの力を上回れるが、攻撃精度が劣ってしまう。
ベアトリスが絶妙のタイミングで援護射撃をしてくれるので離脱させることは防げているが、逆にいえば決定打を与えることも出来ないでいる。
また、ベアトリスも焦っていた。
本来なら、ベアトリスはマーティが戦っている間に、『スマッシュバブル』をできるだけ発動待機させて威力を増大させるつもりだったのだ。しかし、ベアトリスが予想していたよりもヘルハウンド相手にマーティは苦戦していて、ベアトリスは小出しに『スマッシュバブル』を発動させる必要に迫られ、なかなかストックを貯めることができない。
そして、移動に『猫の呼吸』を多用しているマーティの動きが精彩を欠いてきた。明らかに疲れている。元々猫は瞬発力に秀でているが、持久力はそれほどでもない。『猫の呼吸』を使っているマーティも、それは同じだ。
歯噛みする思いでベアトリスは魔法を詠唱する。
速めに勝負を決めなければならない。ミューリとミリアだって、大量のハウンドドッグを相手に、いつまでも持たせられるわけではないのだ。
■ □ ■
四方八方から飛び掛ってくるハウンドドッグを、全て捌ききるなと不可能な話だ。
ミューリとミリアは常に走り回り、集団で飛び掛られるのを避けることだけを考えて動いていた。
一度に飛び掛ってくるのが一匹二匹程度ならばまだ応戦できるが、それ以上になると裁ききれなくなる。
「予想してたよりしんどいわ、ねっ!」
飛び掛ってきたハウンドドッグの一匹を、身体の軸をずらすことで紙一重でかわし、無防備な横腹に大盾を当て、体勢を立て直されないよう大盾を押し付けたまま地面に叩きつける。
ミリアよりも熟練している分、ミューリの盾の扱いは巧みだ。素早く動くことは出来ないが、その代わり敵の動きをきっちり予測して余裕を持って戦っている。
重武装であることのメリットも、ミューリは十分に活用していた。
地面に叩きつけたハウンドドッグを、ミューリは片方の足で踏みつける。ストンプだ。プレートメイルを着込んだミューリの全体重をかけたストンプは、踏みつけたハウンドドッグの骨を容易く砕く。
素早いハウンドドッグの動きに合わせて長剣を当てるのは難しいが、転がして踏みつけるのは少数戦なら案外簡単だ。ヘルハウンドがいる以上いずれ復活してしまうものの、それでも時間稼ぎにはなる。
「かっ、数が多すぎるわよぅ!」
タンクができるといっても、ミリアは役割としてはメインではなく、あくまでサブだ。ミューリのように攻撃を一手に引き受けるなんてことは出来ないし、した経験が無い。輝石騎士団では才能を見出されてはいたものの、序列は高い方ではなかったし、そもそも前線に出た経験は多くなかった。これほどの攻勢に晒された今、いつもの気の強さはなりを潜めていた。
飛び掛ってくるハウンドドッグを、ミリアは辛うじて盾で受けた。
「きゃっ!?」
ミリアの想像以上の力が盾に加えられ、ミリアの体勢が崩れる。
あわや倒されるというところで、走り寄ったミューリが長剣でハウンドドッグを切り伏せた。
「正面から受けちゃ駄目よ! 横から弾きなさい!」
「はっ、はい!」
叱咤され、呆然としていたミリアは慌てて盾を構え直し、飛び掛ってきた別のハウンドドッグを、今度は言われた通りに捌き、ストンプで止めを刺す。
骨を砕き、内臓を踏み潰す感触に、ミリアの背筋が総毛だった。
自分たちだけが一方的に死ぬ心配がない学園迷宮とはいえ、実際に戦うミリアにはそんなことは何の慰めにもならない。
あまりに多勢に無勢なこの状況は、そんなことはないと分かってはいても、ミリアに死の可能性を否応無く突きつけてくる。実際に、先ほどのような庇われなければ危なかった場面は、何度もあった。
何度かハウンドドッグたちの強襲を退けた後、ハウンドドッグたちは闇雲に襲い掛かるのを辞めた。
ミューリが一息で踏み込める間合いの一歩外側を、ぐるぐると回り出す。隙を窺っているのだ。
どうやら、挑発の効果が切れて冷静さを取り戻してしまったらしい。
近付こうとすると離れ、離れようとすると近付いてくる。
厄介なことになり、ミューリは歯噛みした。
この状態で『タウント』を使っても、一斉攻撃の切欠を与えてしまうだけでどうにもならない。
「『タウント』!」
「なっ! やめなさい!」
背後でミリアが盾スキルを使用する声が聞こえ、ミューリは思わず振り向いてしまう。
「えっ、でも」
困惑するミリアの声は不自然に途切れた。
二人目掛けて、様子を窺っていたハウンドドッグたちが好機とばかりに四方八方から飛び掛ってきたのだ。
逃げ道を塞がれた状態で、この全てをいなすことなどできない。特に、ミューリは背後を振り向いてしまったことで、反応が一歩遅れた。
最初に飛び掛った一匹が、ミリアの喉笛に噛み付き、勢いそのままに押し倒す。
輝石騎士団に所属していても、タンクができるとはいっても、ミリアは実戦で実際にタンクとして戦った経験はほとんどない。故に選択を誤った。
「くそっ、ミリアから離れなさい! 『タウント』!」
時間稼ぎにしかならないことを承知で、ミューリは盾スキルで挑発する。
ミリアに群がっていたハウンドドッグを含め、回りのハウンドドッグたちが全てミューリに殺到する。
やがて、ミューリとミリアは死亡判定が下されるほどのダメージを負い、学園に転送された。
■ □ ■
かろうじて保っていた均衡は、呆気なく決壊した。
ハウンドドッグの群れが、ヘルハウンドと戦うマーティとベアトリスを強襲したのだ。ハウンドドッグたちは、ヘルハウンドの相手をしているマーティの死角から、ベアトリスに襲い掛かった。
「マーティ!」
気付いたベアトリスがマーティに呼びかけて逃げようとするが、前衛職ではないベアトリスが逃げ切れるわけがない。
体中に喰らいつかれ、押し倒される。絶叫がベアトリスから上がった。
「ベアトリス……?」
気付いたマーティが振り向いた時には、ベアトリスの姿は群がるハウンドドッグたちに隠れて見えなくなっていた。やがてハウンドドッグたちが引いた後には、血溜まりがあるだけで何も残っていない。ミューリやミリアと同じように、戦闘続行不可能なダメージを負って死亡判定が下され、学園に転送されたのだ。
分かってはいても、何もない血溜まりを見た瞬間、マーティの全身から血の気が引いた。ぱっと見て、ハウンドドッグたちに食い尽くされてしまったように見えたのだ。
相対していたヘルハウンドが長い遠吠えをした。自らの勝利を確信しているかのようであった。
実際に、天秤は完全にヘルハウンドの側へと傾いている。
ミューリとミリアが奮闘してくれていたとはいっても、ヘルハウンドを倒していないのでハウンドドッグの群れは全く減っていないうえに、もうマーティ一人しか残っていない。
「参ったね、これは」
自分を囲もうと動くハウンドドッグたちを見て、マーティは自分たちの敗北を受け入れた。一人でこの状況をひっくり返せると思えるほどマーティは楽観的ではなかったし、己の実力をマーティはしっかり把握していた。
逃げ道さえあればこんな状況でも逃げおおせることは不可能ではないかもしれないが、残念なことにここはゲートキーパーの間だ。一度入ってしまえば、逃げ場はない。
「最後に、一矢報いられるか試してみるか」
いつの間にか、ヘルハウンドは遠くでハウンドドッグに囲まれたマーティをじっと見つめていた。
呼吸を整える。
「『猫の呼吸』!」
呼吸術を発動させ、マーティはヘルハウンドとの間に立ち塞がるハウンドドッグに飛び掛った。




