十三話:熊耳美人母娘
夢と現を幾度彷徨ったか分からなくなった頃、彼女の意識はようやくはっきりと覚醒した。
傍には愛しい我が子の姿。さすがに疲れたようで、疲労は見えるが母親が意識を取り戻したことを喜んでいる。
意識を失っていたというよりも、朦朧としていたという方が正しい状態だったので、一部始終を彼女は覚えていた。
殺し合っていた人間に、何故か助けられた。
その事実は、彼女に戸惑いを与える。
むしろ彼女にとって、今我が子と一緒にいられること自体が奇跡だ。自分は殺され、我が子は連れ去られていてもおかしくなかったというのに。
見れば、崩れた通路はご丁寧に瓦礫で塞がれている。通ろうと思えば通れるが、彼女にその気は起きなかった。
今は失った体力を取り戻すことが先決だ。さすがに戦うことはできないものの、変異個体である彼女なら、体力さえ戻れば怪我を負っていても活動にそれほど支障は出ない。
休んだら久しぶりに地上に出てみるのもいいかもしれない。大怪我を負った身では、我が子を守って迷宮で生きていくのは難しい。棲家を変えるのも、選択肢の一つだ。
行動に移すなら、早い方がいいだろう。そのためにも今は身体を休めるべきだ。
我が子をかき抱くと、彼女はしばし眠りについた。
■ □ ■
ストームベアを見逃したことは、結果的にはそう悪いことにはならなかった。
討伐しなかったおかげで輝石騎士団に睨まれなかったという点が大きい。
また、同じように出し抜いてでもランクアップを狙っていたパーティに羨まれることがなかったことも、マーティたちにとってプラスに働いた。
討伐自体は失敗だが、全滅したわけでもないため換金品を没収されることもなく、輝石騎士団の一部の面々と知己を得ることもできた。
マーティたちは街の食堂に集まって、食事がてらささやかな祝勝会を行っていた。
「いやー、換金品だけでも結構纏まった額になったわ」
学園で換金を終えてからやってきたミューリが、ほくほく顔で一人頭の金額である二千九百エルクをそれぞれに渡す。
「事前に稼いでいたのが功を奏しましたね。これなら十分に探索は成功ですよ」
受け取った布袋の重みに目を丸くしながら、ベアトリスが感想を述べる。
布袋を持ち上げたベアトリスの目が満足そうに細まる。
「……このずっしりとした重さは、中身が貨幣だと知っているとちょっとした快感です」
じゃらりと音が鳴る布袋に頬擦りして恍惚となるベアトリスに対し、ミューリは苦笑した。
「ほとんどが銅貨だけどね。あとちょっと狩ってれば全部銀貨に出来たんだけど、微妙に足りなかった。手数料引かれるの忘れてたわ」
計算では一人あたり銀貨三枚になるはずが、実際は銀貨二枚と銅貨九十枚だったらしい。銀貨一枚以下の換金の場合は手数料が免除されるので、マーティも気がつかなかった。入学したばかりで知識も経験も浅いベアトリスも同様である。
己のうっかりを誤魔化すかのように、ミューリはペロリと舌を出す。
ベティの戦い振りを思い出したマーティは、羨望の眼差しで宙を眺める。
「小剣ってあんなに強かったのか、って思ったよ。ぼくが知ってる小剣と全然違うんだけど」
「あなたはそもそも小剣スキルを使えませんしね」
マーティのボケにベアトリスが的確にツッコミを入れる。
「それで、皆はこの報酬何に使う予定? わたしは盾が壊れちゃったから、新しいものを買う費用の足しにするつもりだけど」
漫才のような二人のやり取りに噴出しそうになりながら、ミューリはマーティとベアトリスに尋ねた。
「私は新しい魔法書の購入に当てようと思っています。ストームベアとの戦いで実力不足を痛感したので」
使用できる魔法が状況のせいで限られていたとはいえ、自分の全力が通用しなかったことが、ベアトリスは大層不服なようである。
「あんな規格外を基準にするのはちょっと……。輝石騎士団も苦戦してたじゃない」
突進の一撃で昏倒してしまったミューリとしては、今でもあんな怪物といったいどうやって戦えばいいのだ、と困惑する心境だった。
「ですがマーティの攻撃は効いていました。そうである以上、私の実力不足です」
「話には聞いたけど、今でも信じられないのよねー。マーティがこの細腕でストームベアを瀕死に追い込んだなんて。いや、マーティが凄いのは知ってるのよ? でも、限度があるというか」
途中で脱落したミューリはその後のマーティの戦いを見ていないし、その後の追跡にも同行していない。あの戦いを見ていたのは同じ戦場にいたベアトリスとベティ、あとは遠くから治療をしながら注視していたエリザだけである。なので、ミューリが信じられないのも無理はない。
「実際に見ていた私もミューリと同意見です。マーティ、あなたはあの時何をしたんですか?」
「呼吸術であいつの呼吸を真似たんだ。不意を討てて良かったよ。まともに戦ってたら呼吸術を使っても勝ち目は薄かった」
ストームベアの攻撃力を呼吸術で再現できたとしても、それを振るうのはマーティ本人である。その全てを再現できるわけではないし、真似た相手に使ってもそれは下位互換に持っていくのがせいぜいである。人間である以上、本物は超えられないのだ。
だからこそ、今回勝てたのは仲間の協力があってこそだ。ミューリがストームベアの動きを止めてくれなければ最初の一撃はまず当たらなかっただろうし、ベアトリスが居なくてもマーティはおそらく死んでいた。勝因は間違いなく、パーティメンバー全員が一丸となって戦ったことである。
何気なく気になっていたことを、ミューリはマーティに尋ねた。
「そういえばさ、ずっと疑問に思ってたけど、呼吸術って結局何なの? そんなスキル、学園じゃ習えないでしょ」
「え、そうなんですか?」
入学して日が浅く、その辺りの事情にはまだ明るくないベアトリスが、ミューリの発言を聞いて驚いた表情になった。
「てっきり不遇スキルか何かかと思っていました。不遇スキルがひょんなことから脚光を浴びる話はよくありますし」
何しろスキルというものは、迷宮内を漂う不思議な力が肉体に取り込まれたことにより、既存の武技などの技術が強化されたものなので、とにかく種類が膨大だ。全てを調べようと思えば一ヶ月以上あっても足りないと言われている。
それは時代が進み迷宮探索が各国で活発化するにつれて、同じようなスキルでもどんどん細分化したためで、例えばもっともオーソドックスな剣系のスキル系統だけでも、『短剣』『小剣』『片手直剣』『片手曲剣』『両手剣』など、マーティがすぐに思いつくだけでもこれだけある。
「『鑑定』とかは良い例だよね」
マーティは以前に見た生徒証に記載されていた情報を頭の中に浮かべた。
ミューリの生徒証には、確か『鑑定』スキルが記されていたはずだ。
「そういえばミューリは持っていましたね。やっぱり便利ですか?」
持ち前の記憶力の良さで、すぐに鑑定がミューリが取得しているスキルであることを思い出したベアトリスがミューリに尋ねる。
「そりゃあもう。物品の鑑定が有料になっちゃってからは、使い道はいくらでもあるからね。家業でも便利だし」
商人の娘であるミューリの言葉には実感が篭っていた。
鑑定スキルは学園が無料で鑑定を行ってくれる関係上長らく不遇スキルとされてきたが、最近になって学園の鑑定が有料になってしまい、結果としてその重要性が増したという経緯がある。
鑑定料が浮くのもそうだし、何より物の価値をその場で知ることができるのが大きい。今では迷宮内で持ち帰る物品の取捨選択に欠かせなくなっているスキルだ。たとえ低レベルでも、あるとないとでは全然違う。
「しばらく迷宮には潜れないんだっけ?」
ふと疑問を述べるミューリに、落ち着き払った声でベアトリスが答える。
「対外的にはストームベアの生死は不明ですからね。おそらくは、なるべく早く壁を塞いで安全を確認したら、そのうち死亡と見なされて迷宮探索の許可も下りるでしょう。基本的にモンスターといえど、死ねば食われるだけです。そして喰われてしまえば、死体は残りません。迷宮にはスライムがいますから、食べ残しが出ることもないですし」
ベアトリスの台詞は、迷宮内の弱肉強食というルールを的確に表現していた。
弱っていれば強者であろうと襲われ、死体は他のモンスターの糧となる。それはあのストームベアとて例外ではない。
「しばらく座学が続くなら、その間にまたバイトでもしようかな。迷宮に潜れない分、別の方法でお金を稼がないといけないし」
苦学生のマーティは迷宮が閉鎖されている間は収入が無くなるので、割と切実な問題だ。
だが、やはり迷宮探索に比べると、バイトで得られる収入は極端に少ない。
「いや、やっぱり迷宮がいいな」
「そんなこと言っても、閉鎖されてるんだから仕方ないわよ」
マーティのわがままを聞いて、ミューリが呆れた顔をする。
「……試しに外の迷宮に潜って見るのはどうだろう」
いきなり無謀なことを言い出したマーティにミューリとベアトリスは揃って唖然となった。
仲間たちのリアクションに、マーティはきょとんとする。
「何さ、そんな二人して鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」
「いやいやいや、マーティの方こそ何とち狂ったこと言ってるの! 学園迷宮でさえ成績が振るわないのに、外の迷宮になんて挑んだら死ぬわよ、確実に!」
「私もそれは自殺行為だと思います。ストームベアの一件は見過ごしましたが、さすがにこればかりは見逃せません」
二人に詰め寄られ、マーティはたじろぐ。
「そ、そんなに無謀かな? 外の迷宮のボスモンスターを撃退できたってことは、外の迷宮でもそこそこ通用するってことだと思うんだけど」
半眼になったベアトリスがマーティの勘違いを鋭く指摘する。
「今回の一件は輝石騎士団の手助けがあったからこその結果であることをお忘れなく。ヴァレイスティールの助太刀もそうですし、マーティがあの時借りた大斧も、輝石騎士団の団員のものなんですから」
言葉に詰まったマーティに、今度はミューリが畳み掛ける。無謀な行動を思いとどまらせようと必死だ。
「焦ってもいいことないよ。輝石騎士団でさえ、卒業までは挑むのを自粛してるくらいなんだよ? わたしたちじゃ外の迷宮なんて無理だよ。死んじゃうよ」
「そもそも、私たち生徒にストームベアの討伐をさせるような無茶苦茶さがあるとはいえ、学園側もそこまで思い切った許可は出すとは思えません」
二人掛かりでの説得にマーティがたじたじになっているところへ、ウェイトレスが近付いてくる。
「申し訳ございませんが、他のお客様との相席でも宜しいでしょうか」
一日休んで午前中の空いている時間に集まったのだが、いつの間にか食事時になっていたらしい。周りを見れば、確かにかなり混雑してきていた。
マーティがミューリとベアトリスを見ると、二人とも首を縦に振ったので、許可を出す。
「ええ、構いませんよ」
「ありがとうございます」
ウェイトレスは丁寧にお辞儀をすると、さっそく客をマーティのテーブルに案内してきた。
やってきた客は妙齢の女性だった。何故か熊の耳が頭から生えていて、尻には可愛らしい熊の尻尾がついている。
別の大陸では獣人が繁栄しており、この大陸に移り住んでいる者もいるので、珍しくはあるがそれくらいでは誰も驚かない。何人かが容姿に引かれて振り向いて彼女の姿を追ったが、彼女が席に着くと興味を失って元に戻った。
「相席、失礼いたします」
彼女の第一声は丁寧な言葉で相席の断りを入れる文句だった。
マーティは彼女が美人なので少し顔を赤くし、ミューリは愛想笑いを返し、ベアトリスは彼女の獣耳と、抱いているものを凝視している。
母親と同じ、熊耳熊尻尾の獣人の女の子だ。乳飲み子の時期は過ぎているようだが、それでもまだまだ幼い。目を丸くしてせわしなくきょろきょろと周りを見回している。見るもの全てが新鮮でたまらないのだ。
「……何か?」
物珍しくちらちらと様子を窺っていたら相手は視線に気付いていたらしく、マーティに目を合わせてにこりと微笑んでくる。
「あ、いえ、獣人を見かけるのは久しぶりだったので……」
「奇遇ですね。わたくしも、あそこまでわたくしを追い詰める人間と会ったのは久しぶりでした」
熊耳の女性に引っかかるものを覚えて、マーティは愛想笑いのまま一瞬首を傾げる。
「そして、止めを刺すどころか、治療まで施されて去られたのは、わたくしの記憶を遡ってみてもさすがに初めてです」
「……まさか」
何かに感付いたベアトリスが腰を浮かしかける。
「え? え? どういうこと?」
結末を最後までは見届けていないミューリは、状況が掴めず不安そうにしている。
ここまできて、ようやくマーティの背中にも薄ら寒いものが立ち上ってくる。
「あなたは、誰ですか」
震える声で誰何するマーティに、女性はにっこりと微笑んで答えた。
「先日にあなた方と死闘を繰り広げたストームベアです」
食堂の喧騒が過ぎ去り、熊耳の女性の声が三人の耳に響き渡った。
■ □ ■
沈黙の中、思い出したように女性が自己紹介をする。
「申し送れました。わたくしはマリトリニアと申します。母からはマリアという愛称で呼ばれておりました。皆様もどうか、マリアとお呼びください」
そう言って、ストームベアのマリアは礼をした。
貴族の娘がするような完璧な淑女の礼だったが、モンスターである彼女がそれをするのは、何かが激しく間違っている。
最初に我に返ったのはベアトリスだった。
反射的に杖に手を伸ばそうとするのをマリアが制止する。
「おやめなさい。無駄に騒ぎを起こしたくはありません」
「あ、あなたがそれを言うのですか!?」
モンスターらしからぬ台詞にベアトリスは動揺する。
それでもベアトリスは杖を手に取ろうか迷っているようだったが、相手の出方が読めず、諦める。
「ぼくたちに何か用ですか?」
さすがに用件を尋ねるマーティの声も硬い。
「え? ストームベアが実は獣人の女の人で、え? え?」
事態についていけていないミューリは混乱している。
「いえ、逆ですわ。この姿は魔法で模った仮の姿。わたくしの正体はストームベアで間違いございません」
苦笑したマリアはきっちりとミューリの間違いに訂正を入れた。
「用と呼べる用はございませんわ。元々あなた方に会うのが目的ではありませんから。ですが、あえて言うならば、あなた方には一度お礼が言いたかった」
「「はあ!?」」
思ってもみなかったことを言われ、三人の声が唱和する。
今度は一番早くマーティが驚きから復帰した。
「ちょっと待って。ぼくたちとあなたは仮にも殺し合った仲だ。恨まれることはあっても、感謝されるようなことはしてないよ」
わたわたと身振り手振りを交えてマーティは主張するが、マリアは微笑みを浮かべたまま、静かに首を横に振る。
「いいえ。わたくしはあなた方の温情で生き長らえ、今も我が子とこうして一緒にいることができています。わたくしを追い詰めたのがあなた方でなければ、わたくしは今頃迷宮の中で骸を晒し、我が子は誰とも知れぬ人間の手に渡っていたでしょう。ですから、わたくしは本当に感謝しているのです」
「それで。私たちに会う理由は分かりましたが、それならモンスターであるあなたが地上に出る必要があるほどの用事とは、いったい何なのですか」
追求するベアトリスの声は固い。
三人の中で、一番事態を深刻に捉えているのは間違いなくベアトリスだろう。
モンスターがこんな簡単に外に出られるなんて、ベアトリスは知らない。ベアトリスの知る限り、他の誰も知らないはずだ。
ストームベア一匹ならまだいい。いや、それでも十分大問題だが。
もし、モンスターたちが大挙して外に出てくるようなことがあれば、この街はどうなるのか。
「人間に手を出すつもりはありませんから、ご心配なく」
「仮に本当にあなたがそうであっても、他のモンスターまでがそうであるとは限りません」
ベアトリスの声は硬い。
当然だ。下手をすれば、学園のみならず、街の興亡にも関わる話なのだから。
「外に出れるのは、わたくしが変異を遂げた特別種だから……ということでは、納得できませんか?」
「できるわけがないでしょう」
吐き捨てるベアトリスに向け、マリアは艶やかに笑った。
女性であることを見る者に強く意識させる笑顔は、やはりあの獣同然の姿とは全くイメージが一致しない。
「もっともですわね。それなら、その時はあなた方に手を貸して差し上げます」
「正気? モンスターであるあなたが、人間の味方をするというの?」
ベアトリスが抱く疑念を、マリアはきっぱりと否定する。
「わたくしは恩人を種族で差別いたしません。それが人間であろうと、命を救われれば対価を返すのみです」
凛とした声音は、一本気な彼女の性格を良く表していた。モンスターであるはずなのに、驚くほど清廉潔白な性格をしている。
「……ああ、話が脱線してしまいましたね。わたくしがこの街に来たのは、療養のためですわ」
あ、とマーティが声にならない声を出した。
マリアに大怪我をさせた張本人としては、気まずい話題だ。
マーティの様子に気付いたマリアは、きっぱりと否定する。
「人間とモンスターが迷宮で出会った以上、仕方の無いことです。あなたのせいではございませんわ」
事情をよく理解していないのが返って功を奏し、恐れる様子のないミューリが心配そうにマリアに尋ねる。
「怪我、まだ治ってないの?」
「表面だけは取り繕いましたが、中身まではまだ、といったところですわね」
マリアは己の身を心配するミューリに向けて感謝の微笑みを向けた。
「私が住んでいた迷宮では、モンスターは同じモンスター同士でも縄張り争いをはじめ、熾烈な戦いを続けております。怪我を負ったモンスターは、他のモンスターにしてみれば格好の獲物です。我が子を守りながら戦うとなれば、わたくしといえど不覚を取る可能性は否めません。ですので、迷宮を出ることにしたのです」
言葉を切ったマリアは、マーティとミューリとベアトリスを順繰りに見つめる。
一同がマリアの行動に戸惑っていると、マリアはにっこりと笑った。
「ところで、そろそろあなた方の名前を伺ってもよろしいでしょうか? わたくしを負かした人間たちですもの。ぜひ知りたいですわ」
そんなことを聞かれるとは思ってもいなかったベアトリスが、動揺した様子でマーティとミューリにささやく。
「ど、どうするんですか? 教えますか? 名前」
二人からはいかにものんきな回答が返ってきた。
「いいんじゃないかな、別に。名前くらい」
「わたしも同感かな。名乗ったくらいでどうにかされるとは思えないしね」
深く考えもせず、マーティとミューリはあっさりと自分たちの名前を名乗ってしまう。
「マーティ様とミューリ様ですね。素敵なお名前ですわ。それで、そちらの方は?」
マリアは残るベアトリスに目を向けるが、当のベアトリスは名乗らずにマーティとミューリを睨みつける。
「こ、この能天気ども……」
地が出たベアトリスに、マリアは悲しそうに顔を歪めた。
「所詮モンスターであるわたくしには、教える必要はないということですか?」
「べ、別にそういうわけではないですけど……」
良心を刺激され、ベアトリスは口ごもる。
動揺したベアトリスに、赤子を抱いたマリアが近付いてくる。
「この子があなたに抱かれたがっています。もしよろしければ、抱いてあげてください」
「えっ」
ベアトリスが赤子を見つめると、確かに赤子もベアトリスを見つめ、身を乗り出して小さな手を伸ばしている。
思わず手を差し出してしまったベアトリスの腕に、ずっしりとした重みが乗せられた。
子を手渡されたのだ。
母と同じ熊耳熊尻尾の幼女は、純真無垢なきらきらとした瞳でベアトリスを見上げる。
「おなまえなんていうの? アリアはね、アリアっていうんだよ。ほんとうはもっとながいなまえなんだけど、まだおぼえてないの」
全く悪意のないアリアの行動に、ベアトリスはたじろぐ。
「その子の本名は、アリアリニアと申します」
マリアがひっそりと注釈を入れる。
だんだん名前くらい教えてもいいんじゃないかという気持ちがベアトリスの中にも湧き上がってくるが、ベアトリスは必死に耐えた。
一部のモンスターが使う魔法には、相手の名前を介して行動を縛る邪法がある。
主にアンデット系統の特殊なモンスターが使う魔法だが、使った場面を見た報告がないだけで、他のモンスターが使えない根拠はないのだ。
「お姉ちゃん、アリアにもおなまえおしえてくれないの……?」
しょんぼりするアリアに、ベアトリスは陥落した。
もともと子どもは嫌いではないのだ。モンスターとはいえ、愛らしさには勝てなかった。
「……ベアトリスです。アリアちゃん、私の名前を覚えられますか?」
「うん! アリア、おねえちゃんのなまえおぼえたよ!」
きゃっきゃと可愛らしい声を上げるアリアに、自然と強張っていたベアトリスの表情が緩んだ。
「うわ、意外。ベアトリスが慈母みたいな笑みを浮かべてる」
ベアトリスの顔を見たミューリが、驚きの声を上げた。
「案外子ども好きだったみたいだね」
腕を組んで、マーティもうんうんと頷いている。
我に返ったベアトリスが、マーティとミューリの生暖かい視線に気付き、振り向いて怒鳴った。
「こっ、ここここ子ども好きで悪いですか!?」
「いや、別に悪くないと思うよ」
恥ずかしすぎて涙目になっているベアトリスに苦笑しつつ、マーティは感想を述べる。
「意外性があっていいと思うわよ? っていうか、ベアトリスもそういうところを積極的に見せるようにすればいいじゃない。すっごい可愛かったわよ、あなたの今の表情」
ミューリの助言にアリアを抱いたまま、ベアトリスは顔を赤くする。
名前を聞いたマリアが、三人にふわりと微笑みかける。
「マーティ様にミューリ様、ベアトリス様ですね。今後とも、娘ともどもよろしくお願いいたしますね」
敵意が全く見られない微笑に、マーティとミューリだけでなく、ベアトリスも頷くしかなかった。




