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十二話:生かすか殺すか

 呼吸法を解いたマーティは、急いでベアトリスとミューリの元へ駆け寄った。ベアトリスはマーティがストームベアと戦っている間にミューリをエルザのもとへ運んでおり、ミューリは仲間の治療がひと段落ついたエルザの治療を受けている。


「これでよし。頭に血が溜まってる様子もないし、もうすぐ目を覚ますと思うわ」


「良かった……。ありがとうございます」


 ホッとした様子で、ベアトリスがエルザに礼を述べる。気が緩んだと同時に状況を思い出したのか、ベアトリスが慌てて回りを見回した。マーティと目が合う。


「ごめん。ストームベアには痛手を与えたけど、逃がした。血痕が残ってるから、追跡はできるよ」


 報告すると、ベアトリスは目を白黒させる。


「あれを、追い返したんですか!? 一人で!?」


 どうやらミューリの治療に集中していてマーティの戦いまで見ていられなかったらしい。仲間の命を心配するのは当たり前だとはいえ、マーティは釈然としない気分になった。


「すばらしい戦い振りでした。私はまだ治療で手を離せないので、ベティとあなたたちで追撃してくれると助かるのだけれど」


 一方のエルザは、輝石騎士団の治療を行いながらもマーティを見守っていたらしく、落ち着いた口ぶりだ。


「構わないわ。君たちも、それでいい?」


 ベティに話しかけられて、マーティは舞い上がってしまう。


「は、はい! 大丈夫です!」


「よし。それじゃあ行こうか」


 マーティの様子にくすりと微笑んだベティが歩き出し、マーティは慌てて後を追う。


「……にやにやしてるんじゃないですよ馬鹿マーティ。気色悪いです」


 最後に歩き出したベアトリスが唇を尖らせて毒を吐いた。



■ □ ■



 歩いている間、ベティはマーティたちを褒め称えた。


「それにしても、あなたたちの連携は見事ね。いつでも助けに入れるようにしていたけれど、私が入る隙は無かったわ」


 憧れの人物に賞賛され、マーティは照れる。


「そ、それほどでもないです。ぼくたち、ランク低いですし」


「ランクなんて、結果を積み上げればそのうちついてくるものよ。そもそも今回の活躍であなたちのランクが上がる可能性もあるしね」


「で、でも報酬は輝石騎士団の物でしょう」


 以前に輝石騎士団の面々もランクを上げるためにストームベアの討伐に参加したということを聞いていたマーティは、立場が弱い自分たちに止めを刺す権利が与えられるとは思えなかった。


「何を言うの。結局ストームベアをここまで追い詰めたのはあなたたちよ。あなたたちが受け取るのが筋というものでしょ」


 真剣な声で諭すように言ったベティは、その表情をいたずらっぽい笑顔に変えた。


「それに、私自身はもうAランクでこれ以上は卒業後じゃないと上げられない。少なくとも私には、ランクアップの報酬は無用の長物なの。君たちが抜け駆けしても、見て見ぬ振りをするでしょうね」


 ベティの真意を測りかねたマーティは、ベアトリスに助けを求める。


「どうすればいいと思う?」


「貰えるものは貰っておくべきです。彼女も輝石騎士団には内緒にしてくれるそうですし。抜け駆けしたってばれなければいいんですよ」


 ベアトリスの意見の是非はともかく、あくどい笑みを浮かべるベアトリスの表情が悪すぎて、マーティは頭を抱えた。

 

「と、とりあえず先を急ごう」


 問題を棚上げに、マーティはまず目先のことから片付けることにする。

 二人のやり取りを見ていたベティが噴出した。


「あなたたち、面白いわ」


 褒めているのか褒めていないのか微妙なベティの感想に、マーティが渋面になる。

 ついいつものノリで、ベティにみっともないところを見せてしまった。

 血痕を辿った先は、事件の発端となった例の崩落現場だった。


「この先にも血痕は続いてるみたいだ」


 隠密行動に優れるマーティが先行して確認し、皆に伝える。


「となると、ストームベアがここを通ったのは間違いなさそうね。奴は通常種が突然変異を起こしたボス個体よ。怪我が治ればまた手がつけられなくなる。倒せるうちに倒してしまいたいけれど……」


 聞き慣れない単語に、ベアトリスが首を傾げた。


「ボス個体って、何ですか?」


 探索者の間では知ってて当然の知識をベアトリスが持たないことに、ベティは首を傾げたが、すぐに理由に思い至って得心したように頷く。


「ああ、ヴィーチェは今年学園に入学したんだったわね。なら知らないのも無理はないかしら。ボス個体というのは、稀に発生する通常よりも強いモンスターのことよ。ボス個体は輝石騎士団内部の呼称だから、対外的にはボス、あるいはボスモンスターという方が一般的ね。ボス個体の恐ろしさは、通常を遥かに凌駕する戦闘力もそうだけれど、本質は一般のモンスターと姿形が変わらないことにある。普通のモンスターだと思って攻撃したら、実はボス個体で全滅した、なんていう話もたまに聞くわね」


 例を挙げるなら、普通の吸血蝙蝠の中に、通常よりも三倍早くて三倍固くて三倍強い吸血蝙蝠が何食わぬ顔で混じっているようなものである。

 三倍というのはあくまで例えなので、実際はそれよりもっと強いことが多い。ゲートキーパーとして地下六階刻みで階層を守護し、ランク昇格の条件にもなっているちゃんとしたボスモンスターが存在するのにも関わらず、同じボスモンスターという名称が付けられているのは、伊達ではない。


「ストームベアは本来なら学園迷宮には出現しないわ。地下二十階以下相当という評価も曖昧で強さを測り辛いし、ボス個体と判明していれば、もっと脅威度は上がっていたでしょう。想定していない準備でここまで追い詰めることが出来たのは、実に運が良いわね」


 実際、結果として今回の討伐は蓋を開けてみればかなりの大博打になった。

 ただの個体であれば、同じストームベアでもここまで苦戦しなかっただろう。輝石騎士団も、危なげなく倒していたに違いない。


「血の臭いが強くなってきた。そろそろね」


 ベティの言葉通り、マーティが呼吸術を使わずとも分かるほど、鉄錆のような臭いが奥から漂ってきていた。

 通路の終点は小さな部屋になっていた。


「ここは……ストームベアの巣か。初めて実物を見たわ」


 辺りを見回したベティが、部屋に敷き詰められた枯れ草を見て目を見張る。

 部屋の中央には、血に塗れたストームベアが力なく蹲っていた。


「見てください! あれ、ストームベアですよ!」


 ベアトリスが恐怖と興奮が混ざり合った声を上げる。

 手負いの獣が恐ろしいように、手負いのモンスターは恐ろしい。ただでさえ危険なモンスターが、手負いになることで生存本能と攻撃本能が刺激され、さらに凶暴化するためだ。それがボスモンスターならばなおさらである。


「ちょっと待って。他に何かいる」


 各々の武器を構えて飛び出そうとしたベティとベアトリスを、マーティは制止する。

 目を細めて暗がりを見つめたベティは、首を傾げてベアトリスに視線を投げかける。


「……暗くてよく見えないわ。ヴィーチェはどう?」


「私も特には。明かりを出しましょうか?」


「いや、やめておこう。ここは外部迷宮だから、他のモンスターに気付かれる可能性は少しでも無くしたい」


 ベアトリスの申し出に囁くような声で答え、マーティは首を横に振る。

 『猫の呼吸』を発動して暗視能力を得たマーティは、小さな影の正体をしっかりと捉えていた。


「小熊みたいだ。まだ小さい。赤ちゃんなのかな」


「驚いた。あなたには見えるの?」


 目を眇めても正体を見破れなかったベティが、感心した顔でマーティを見る。


「その、たまたまです」


 一気に舞い上がったマーティは、てれてれと頬をかいてうつむく。隠そうとしているが、口元が緩んでにやけているのを隠しきれていない。


「謙遜することはないわ。たまたまでどうにかなるものではないもの。貴重な才能よ。大事にしなさい」


 憧れの小剣姫に褒められたマーティは、諦めずに呼吸術の修行を続けていて良かったと心底思った。


「それで、どうします? マーティが見えてるなら、照準合わせをマーティに手伝って貰えば、ここからでも私の火魔法で纏めて焼き殺せますけど」


 ベアトリスの声は潜められていて小さいが、内容はとても物騒だった。

 マーティは倒れているストームベアの傍の小熊を観察する。

 小熊は必死にストームベアの傷口を舐めていた。ストームベアはそんな小熊の様子を静かに凪いだ瞳で見つめている。その瞳は慈しみに満ちているが、どこか悲しげだ。


「もしかして、親子なのかな」


 二匹の間に確かな絆を感じたマーティは、居心地の悪さを感じて身動ぎする。自分たちは正しいことをしたはずなのに、母熊にすがりつく小熊を見ていると、罪悪感が湧き上がってくるのを止められない。


「おそらくはそうでしょうね。巣を見つけられたのは幸運だったわ。ストームベアの子どもなら私でも捕まえられる。高く売れるわよ」


 思いがけず生々しい金の話をされたマーティは、吃驚して小剣姫を見上げた。もの言いたげなマーティの視線に気付いたベティは、苦笑してマーティに問いかける。


「私がお金の話をするのがそんなに不思議?」


「……イメージと、ちょっと違うなって思って」


 正直に色眼鏡で見ていたことを白状したマーティに、ベティはくすくすと笑う。


「まあ、私自身金に困っているわけではないから、率先して捕まえる気はないけれど。普通の探索者なら、目の色を変える展開なのよ? あなたは捕らえたいとは思わないの?」


 本音をいえば、もちろんマーティだって金が欲しい。だが、そのために相手がモンスターとはいえ、人攫いのような真似をするのは何かが違うような気がする。

 マーティの表情を覗き込んだベティはにやりと笑う。


「聞くまでもないか。分かりやすい男ね、君は」


 答えられずに黙り込むマーティに代わり、ベアトリスが答えた。


「夢見がちなんです。マーティは。パーティを組んでまだ少ししか経っていませんけど、よく分かります」


 ベアトリスにまで言われ、そんなに自分は分かりやすい性格をしているのかと、マーティはちょっとショックを受けて項垂れた。


「さて。そろそろどうするか決めないと。選択はあなたたちに委ねるわ。ストームベアに致命傷を与えたのはあなたたちだからね。権利はあなたたちにある」


 ベティに言われ、マーティとベアトリスは目を見合わせる。


「もちろん、母熊は殺して、小熊を持ち帰りますよね?」


 確認するように尋ねてきたベアトリスに、罪悪感を感じながらもマーティはきっぱりと告げる。


「このストームベアは、壁が壊されたから巣を発見されることを恐れて出てきたんだと思う。だから、応急修理になるけど、通路を塞ごう。後は専門の業者に本格的に塞いで貰えば、もう学園迷宮に現れて僕たちを襲うようなことはないはずだ。ずっとストームベアが見つからなければ、学園も外部迷宮に戻ったか、学園迷宮内で死んだって判断すると思う」


 へえ、と横で聞いていたベティが興味を引かれた顔をした。

 逆に、ベアトリスはマーティがそんな決断をするとは思ってもいなかったようで、愕然としている。


「せっかくここまで追い詰めたのに、見逃すんですか? そんなことをしたって、また壁を崩して出てこないとも限りませんし、そもそも学園側だって壁を補修する前に向こう側くらい確認するでしょう。見つかってどうせ討伐されますよ。死に掛けなんですから」


「それはこのまま巣に居たらの話だろ。動けるようになったら、きっと寝床をもっと遠くに移すはずだ。子どもがいる身で、人間が来ると分かってる場所にずっと留まっているとは思えない」


 今回の事件は、外の迷宮と学園の迷宮が繋がってしまったことが原因で起こったことだ。ならばストームベアを外の迷宮に追い返して繋がった通路を塞いでしまえばそれで済む。ストームベアの討伐は、あくまで人間側の欲から出たことだ。

 犠牲になった人たちの遺族からしてみればそれでは収まらないかもしれないが、迷宮は元々モンスターの住処だ。そこに押し入っているのは人間の方なのだから、死んでも自己責任だろう。それが学園の迷宮であっても。


「ベアトリス。母熊に治療をしてやってくれないか」


 次いで言われたことに、今度こそ、ベアトリスは唖然とした。

 敵対したモンスターの治療をするなど馬鹿げている。それではいったい何のために戦っていたのか分からない。


「正気ですか!? 治療したらまた襲ってくるに決まっています! さっきまで殺し合っていたんですよ!?」


「血を止めてくれるだけでいい。どうせぼくたちの手持ちの道具じゃ応急処置以上のことはできないから」


 自分の手持ちである包帯を取り出し、マーティは母熊に近付いていく。


「待ってください! 危ないですよ! ──ああもう! 分かりましたよ、すればいいんでしょう、すれば! 後悔しても知りませんからね!」


 やけくそ気味に声を張り上げると、ベアトリスもしぶしぶ後を追った。

 二人のやり取りがおかしかったのか、堪えきれずにくすくす笑いながらベティが続く。

 母熊に止めを刺しに来たの思ったのか、小熊が母熊を守るように立ち塞がった。

 『熊の呼吸』を発動させて、マーティは怯えながらも退こうとしない小熊に語りかける。


「通してくれないか。ぼくたちは、君のお母さんを助けたいだけなんだ」


「ちょっと、モンスターに話しかけたって通じるはずが」


 苦言を呈しかけたベアトリスは、途中で声を詰まらせた。

 幼い顔をきょとんとさせてマーティを見上げた小熊は、おずおずとその場をマーティに譲ったのだ。

 まるで、マーティの言葉が通じたかのように。


「嘘でしょ? 信じられない……」


 母熊の状態は芳しくなかった。

 右肩と左足は大斧の一撃でぐしゃぐしゃになっており、濃厚な血の臭いを立ち上らせている。


「これを、ぼくがやったのか」


「今更何を言ってるんですか」


 呆然とした様子で呟くマーティに、ベアトリスが突っ込みを入れた。


「ベアトリス、頼む」


「いいですけど。ここまで酷いと本当に血を止めるくらいしかできませんよ」


 しぶしぶベアトリスは水魔法で母熊の治療を始める。

 血が止まった傷口に、マーティは抗菌作用のある薬草を当て、包帯を巻いていく。傷口の化膿や傷口からの感染による病気の発症はこれでかなり抑えられるはずだ。

 治療するマーティとベアトリスを、抵抗する気が失せたのか、そんな余力も残っていないのか、母熊が澄んだ瞳でじっと見つめている。


「こんなところか。後は母熊本人の体力次第だね」


「どうして私、はるばるダンジョンに潜ってまでこんなことをしてるんでしょう……」


 安堵の吐息を漏らすマーティとは対照的に、ベアトリスは複雑そうな顔をしている。

 見守っていたベティが二人に問いかける。


「気は済んだ?」


「マーティに聞いてください」


 ふてくされて回答を拒否するベアトリスの代わりに、マーティが答える。


「できることは、やりました」


「そう。じゃあ、一応ここの通路も瓦礫でできるだけ塞いでおきましょうう。どうせ後から業者を入れて修理するだろうけど、また別のモンスターが入って来ないとも限らないからね」


 選択を委ねると言った言葉に偽りはないようで、崩落現場の学園迷宮側に戻ると、ベティは自ら率先して大きめの瓦礫を通路に積み上げ始めた。

 慌ててマーティがそれを手伝いだし、ベアトリスも「どうして私まで」とぶつくさ言いながらも同様に手伝う。

 しばらくすると、それなりの高さに瓦礫が積み上がった。

 無理をすれば渡れないこともないだろうが、一般的な成人男性の背の高さくらいにまで積み上がっているため、渡るには相当な労力を必要とするはずだ。


「終わったわね。帰りましょう」


 一番働いたというのに息一つ切らせていないベティは、肩で息をするマーティと今にも倒れそうなベアトリスに声をかけ、来た道を引き返す。

 残されたマーティとベアトリスも慌てて後を追った。


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