十一話:ストームベアを倒せ
本来ならば自分たちの方が頼ってしまうであろう人物に、あろうことか逆に頼られてしまったことに、おろおろしながらミューリはマーティの顔色を窺う。
「ど、どうするの? 助ける?」
ミューリ本人は輝石騎士団が半壊する様を見せ付けられて腰が引けているようで、笑顔を浮かべようとして失敗し、顔が引き攣っている。
「助けましょう。どの道わたしたちは迷宮から出るためには来た道を戻らねばなりませんから、今逃げても脱出するまでに追いつかれる可能性が高いです。それに、あのモンスターはここで倒しておかないと、今後の迷宮探索に支障が出かねません」
恐怖を押し隠し、ベアトリスが気丈に意見を述べた。本音を言えばベアトリスも逃げたいが、今後のことを考えるとそうもいかない。
貴族は誇りというものに敏感だ。強敵に尻尾を巻いて逃げ出すのは仕方ないが、戦いすらせずに逃げればその噂はあっという間に貴族社会に広まるだろう。つまり、命は助かっても社会的に死ぬ。貴族は舐められたら終わりなのだ。
二人がどう思っているかを察したマーティは、二人を見回して微笑んだ。
マーティの答えは決まっている。
一度命を助けられた。その恩に報いる時が、早速来たのだ。
もちろん怖くないわけがない。逃げたくないわけがない。ミューリが死に掛けた。自分の攻撃は何も通じなかった。ベアトリスなど、狙われればひとたまりもない。
それでも輝石騎士団を見捨ててマーティが逃げないのは、理解しているためだ。見捨てて逃げたところで、待っているのは結局ストームベアに追いつかれて死ぬ未来なのだと。
生きて学園に帰るためには、戦ってあの強敵を打倒するしかない。
「……ぼくは、出来れば助けたい。だから、加勢しようと思う。駄目かな」
「うぇ!? 本当に助けるの? わたし、盾壊れちゃってるから、まともに戦えないよ……?」
気が進まない様子のミューリは、長剣を携えているが、いつも背負っている大盾が無い。
「盾ならそこにあるのを使えばいい。非常事態だから、きっと彼も文句は言わないさ」
ちらりとマーティが倒れているカイオスに目をやった。
彼の盾はあのストームベアの突進を受け止めても少し凹んだだけで、相当な防御力を窺わせる。
「そ、そっか! じゃあ、お借りしてもいいですか……?」
「……勝手にしろ」
意識があるカイオスは自分の盾を使われるのに露骨に嫌そうな顔をしていたが、自分の好悪の感情を優先している場合ではないことを弁えているのか、たっぷり間を空けて葛藤し、結局許可を出した。
「それじゃあ、使わせていただきます。その代わり、意地でもベティさんは守りますから」
頼む、と言おうとしたのか、何かを言いかけたカイオスは、そっぽを向いて「盾は壊すなよ。壊したら弁償して貰うからな」と悪態をついた。
準備を整えたマーティとミューリとベアトリスは、戦闘に入る前に方針の最終確認をした。
「ハウリングボイスはぼくが妨害する。ミューリは正面から無理に受け止めようとはせずに、横から力を受け流すようにして。ベアトリスは攻撃頻度よりも瞬間火力を重視して魔法の準備を」
「私は何をすればいい?」
二振りの小剣を携えて、ベティがマーティに尋ねた。
「……治療中のエルザさんを守ってあげてください。戦闘中に他のモンスターが乱入してこないとも限りませんし、正直ぼくたちはそこまで手が回りませんから」
本心を言えば手伝って欲しかったが、増援を警戒しないわけにはいかず、マーティは断腸の思いで決断する。
「心得た。背後は任せて。ねずみ一匹通さないわ」
「ありがとうございます。それじゃあ、皆行くよ。『猫の呼吸』!」
呼吸法を発動させたマーティが飛び出していく。その後にカイオスの鋼盾を構えたミューリが続いた。ストームベアと相対する二人の後ろで、ベアトリスはゆっくりと魔法の詠唱を始める。
愛用のショートソードを片手に、マーティはストームベアを睨んだ。
「お前と戦うのはこれで二度目だね。……今度は負けない」
マーティの心に闘志が湧き立つ。
前回とは違い、今回は仲間がいる。
横に並び立つミューリの身体は、僅かに震えていた。前回の戦いでは、一撃受け止めただけで死に掛けたのだ。恐怖を感じるのは無理もなかった。
「……ミューリ。大変だったらベアトリスの護衛に下がってもいいよ。あいつはぼくが何とかするから」
気遣って声をかけたマーティに、ミューリははっとした顔を向けた。そして初めて気付いたかのように身体を押さえ、震えを堪える。
「大丈夫。怖いのは確かだけど、一人で戦うよりはずっとマシだもの」
信頼の視線をマーティに向けるミューリの身体の震えが少しずつ収まっていく。
「うん。それは同感だ。ミューリと一緒なら、負ける気がしない」
「そ、それはちょっと言い過ぎかな……」
苦笑したミューリは、落ち着いた様子で左手でカイオスの鋼盾を構え、右手で青銅製の長剣の柄を握り締めた。
「仕掛けるよ!」
今度はミューリが号令を出し、ストームベアに踏み込んだ。
ストームベアが鋭い鉤爪がついた豪腕を振るってくる。正面からまともに受け止めれば前回の二の舞だ。今回はカイオスの鋼盾を借りているから盾が壊れるなどということはないだろうが、それでも衝撃までは殺しきれないのはカイオス自身が身を持って証明している。
左斜め前方に踏み込むと、ミューリはまだ振り切られていないストームベアの右腕を盾で滑らせていなした。
盾を通じて鋼と鋼がぶつかるような重い衝撃を受け、ミューリの口から悲鳴が漏れそうになる。ミューリは歯を食いしばって衝撃に耐えた。
万全の支援を受けていたカイオスならばともかく、ミューリでは真正面からストームベアの攻撃を抑えることはできない。その代わりに、ミューリにはカイオスよりも勝っているものがあった。
それは技術、つまり盾を扱うテクニックだ。カイオスはなまじ強すぎるばかりに、とにかく素の能力を上げて真正面から押さえ込むことに拘っていたようだったが、誰もがカイオスのように潤沢な支援を受けて戦えるわけではない。それはミューリも同じだ。あらゆる点でカイオスを下回るミューリが唯一抜きん出ているもの。それは技量。
優勢ばかりではなく、劣勢、時には絶望的な戦力差の戦いすら経験していたミューリは、重戦士として「受ける技術」だけは、カイオスよりも卓越していた。
止めるのではなく、反らし、弾く。マーティに助言されたことを、ミューリは忠実に実行している。何も特別難しいことをしているわけではない。ミューリがしているのは、格上の敵と戦う時の戦闘法の応用に過ぎない。
歩幅を小刻みに変える足捌きで間合いを狂わせ、先んじて盾を斜めに当てることで衝撃をできるだけ殺す。そのためストームベアの一撃には十分な力が乗らず、ミューリの頭や身体を一撃で弾き飛ばすことができずにいる。
それでもストームベアの一撃は信じられないほど重いが、今のミューリならば耐えられないほどの重さではない。カイオスのように真正面からまともに衝撃を受け止める形でないなら、今のミューリでも何とかなる。そう何度も受け止めてはいられないが、一発や二発で根を上げるほどでもない。
マーティがストームベアの背後に回ろうと動き出した。ストームベアの目がちらりとマーティに向けられたのを見て、ミューリは反射的に『タウント』を使おうとした。
だが思いとどまる。マーティについてはストームベアも一定の注意を払っているようだが、今はまだ、ストームベアの注意は多くが目前のミューリに向けられている。
今『タウント』を使えばストームベアの注意は完全にマーティからはがれるだろう。それはマーティが動きやすくなるのと同時に、ミューリ自身がストームベアの猛攻に晒されることを意味する。さすがにストームベアの全力攻撃をいなす自信は、ミューリには無い。それがおそらく、カイオスとの違いだ。
『タウント』を使うならば、逆に注意がマーティに完全に向いた瞬間を狙うべきだ。意識を強制的に剥がされれば、どんなに強いモンスターでもまともに攻撃ができずに、一瞬動けなくなる。
二撃目、三撃目を、ミューリは『タウント』を使わずに捌いていく。柔良く剛を制すというのはミューリが思っていたよりも技術が要るものだったが、技術の不足分はカイオスの鋼盾が補ってくれた。
その間に、マーティが完全にストームベアの背後に回り込んだ。
ミューリの目の前で、ストームベアが大きく息を吸い込む。ハウリングボイスの準備動作だ。
背後から器用に兆候を察知したマーティが、素早く踏み込んでショートソードをストームベアの背に突き立てようとする。
その瞬間、ストームベアは動作を中断して素早く振り返り、マーティがショートソードを突き出すよりも早く豪腕を振るおうとした。
読まれていた。
気付いた瞬間、ミューリは考えるよりも早く行動していた。
「『タウント』!」
迷宮の力の恩恵で強化された挑発スキルにより強制的に意識を逸らされ、ストームベアの腕が硬直し攻撃は不発に終わる。ミューリに向けられたストームベアの瞳が怒りで燃え上がるが、体勢が崩れているストームベアよりも、ミューリの方が早い。
「『シールドバッシュ』!」
盾殴りが綺麗に入り、一瞬ストームベアが完全に棒立ちになった。
その瞬間をマーティは見逃さない。
「『猫の呼吸』!」
呼吸術を再発動させ、地を蹴ってジャンプする。
走って仕掛けないのは、ストームベアにはベアハッグという捕まったが最後絶対に抜け出せない対地上用の近接攻撃があるからだ。だからあえて、マーティは空から仕掛ける。
普通なら、空中では人間はろくに身動きが取れない。
それを知ってか知らずか、空中にいるマーティ目掛けてストームベアが豪腕を振るった。
だが今のマーティは、人間には到底不可能な動きが可能だ。何かを叩きつける大きな音と共に、ストームベアの腕が弾かれたかのように下に下がる。
空中で姿勢を変えたマーティが、振るわれた腕を足場にしてさらに高く飛んだのだ。
「身体には歯が立たなかった。だけど、柔らかい場所ならどうだ! 目は! 口の中は!」
ショートソードを逆手に持ち、マーティは顔面に狙いをつけて全力で突き刺した。
肉を貫く感触の代わりにマーティの手に伝わったのは、ショートソードの刀身が砕かれる衝撃だった。
あろうことか、ストームベアはショートソードを噛んで受け止め、そのまま噛み折ったのだ。
既に一度酷使した後だし、木製だから脆いのは仕方ないとはいえ、それでも呼吸術で速度が増したショートソードの一撃を見切るなど、反則もいいところだった。
「嘘だろ……!」
動揺するマーティの目が、無防備な体勢のマーティを狙って、ストームベアの前足に力が篭められたのを捉える。
「やばっ」
ストームベアの頭を蹴ってマーティはとんぼ返りし、辛うじて豪腕をかわした。
戦闘続行が不可能になるような怪我を負うことは回避したが、武器を失ったのは痛い。
必死に武器を探したマーティは、倒れている輝石騎士団の戦士たちの武器に目を向けた。
「──お借りします!」
逡巡は一瞬。
倒れている輝石騎士団の斧戦士ウォルドに駆け寄ったマーティは、彼の大斧に手をかけた。
敵が新しい武器を手に入れるのを黙って見ているストームベアではない。
自慢の俊足でマーティを追いかけ、その爪を浴びせようとする。
その動きはマーティが今まで見た中で一番早く、目算を誤らせた。
爪の射程内に入っても、マーティはまだ大斧を持ち上げられていない。そもそも、マーティには大斧は重すぎる。
「ディレイ解除! 『スマッシュバブル』全弾発射!」
鋭いベアトリスの叫び声が響く。
待機状態だった魔法が一斉に発動し、水で出来た砲弾がストームベア目掛けて飛んでいく。
その数、なんと十六発。
不意を突かれても数発は叩き散らしたストームベアだが、残りを防ぐことは出来ずに、まともに食らって吹っ飛んでいく。
魔法はまだ終わらない。
「術式再起動! 次弾装填、一番から十六番! 『スマッシュバブル』一斉射!」
裂帛の気合と共に、無数に展開された『スマッシュバブル』の魔法陣が再び励起する。
放たれた十六発の水の砲弾が、次々にストームベアに着弾し水圧で押し流した。
『スマッシュバブル』の特徴は、一度発動させれば展開した魔法陣に再度魔力を篭めるだけで連射が可能なことである。水魔法1でベアトリスが使える魔法の中では最も実戦向きの魔法だ。
「一発で効果がなくても、これならどうですか!?」
ベアトリスの魔法選択は秀逸だった。これがもし『フレイムボール』や『ファイアアロー』であったなら、マーティを巻き込んで大怪我を負わせていただろう。『スマッシュバブル』なら、直撃さえしなければせいぜいずぶぬれになるくらいで済む。
肩で息をするベアトリスは、頼むから起き上がってくるなと内心で念じた。まだ魔力の枯渇には至っていないとはいえ、発動遅延を多用したおかげでかなり魔力を消耗している。残された魔力では、同じことをするのはもう無理だ。
願いとは裏腹に、ストームベアはのっそりと起き上がった。大して堪えた様子はない。
「この化け物……!」
元々『スマッシュバブル』は体力が低い吸血蝙蝠すら殺しきれないほどの威力しかない。効果が薄いのは予測していたが、合計三十を超える数を叩き込んだというのにまともに効いていないというのはベアトリスにとって悪夢だった。
火魔法2を持つベアトリスにとって、一番威力がある魔法は火魔法だ。効果範囲が広く、仲間を巻き込む恐れがあるため乱戦になるとおいそれとは使えない。
今の連続詠唱の〆にありったけの火魔法を叩き込むこともベアトリスは考えたが、水魔法と火魔法は繋げるには相性が悪い。水は火を消してしまうし、水に濡れたものに火をつけようとしてもたいして燃えないからだ。これが雷や土だったら話は違うのだが。
痛手を与えられずとも、敵意は伝わったらしい。ストームベアがマーティから自分に敵意を移したのを、ベアトリスは肌にひりつくような殺気で敏感に感じ取った。
「最悪です」
呟いた愚痴は、不機嫌さを隠そうともしないベアトリスの表情とは裏腹に、恐怖を隠し切れていなかった。
ストームベアは視線をしっかりとベアトリスに固定すると、風の名に恥じぬ勢いでベアトリスに突進する。
これ以上ない寸前のタイミングで、ミューリが割り込んだ。
「『タウント』!」
強引に突進の先を自分へと向けさせると、突進を防ごうと盾を横殴りに振るう。
「『シールドバッシュ』!」
盾スキルの効果によってストームベアは硬直したが、勢いまでは殺しきることができなかった。弾き飛ばされ、宙を舞い頭から地面に叩きつけられたミューリは、決着を見ることなく意識を失う。
「ミューリ! 大丈夫ですか!?」
今の落ち方はまずいと感じたベアトリスが慌ててミューリの落下地点に駆けていく。
失敗に終わったものの、身を挺したミューリの努力は無駄ではなかった。時間を稼ぐことに成功したのだ。今度こそ、マーティが乾坤一擲の大勝負に出るための時間を。
(奴の呼吸をよく見て覚えろ。盗め。自分の物にしろ。あの腕力を再現するんだ)
思い出すのは、先の死闘で見た、ストームベアの息遣い。重ね合わせるのは、記憶に残る呼吸のリズムと、目の前の呼吸のリズム。
間違っているところは全て修正して、完成度を高めた。だから出来ない道理はない。
完璧に、記憶と現実の呼吸が一致する。
マーティの呼吸が変わる。
一気に、五感からマーティに伝えられる情報が、全く別のものに切り替わった。
「──『熊の呼吸』!」
腕が、ウォルドの大斧を持ち上げた。呼吸法によって再現された力が、本来ならマーティが持ち上げられない大斧の重量を支えている。
狙うはストームベアの攻撃の要である前肢だ。あの豪腕を、まずは削ぐ。
捨て身でミューリが作ってくれた好機に、マーティは全力で突っ込んだ。
防御は考えない。そんな余裕はない。『熊の呼吸』で得た力を結集して、無防備なストームベアに大斧を叩き込む。
ウォルドから借りた大斧は、折れることもなくしっかりと一撃に耐えてくれた。
その重量で以って、分厚い鎧のような硬度を持つ毛皮ごと押し潰し、叩き斬る。切断まではいかなかったが、骨を砕き肉の大部分を断った。
相対して初めて、ストームベアの絶叫が上がる。
スキルというわけでもないのに、間近で効いただけでびりびりと鼓膜を震わせ、それだけで呼吸術が解けかけた。
意識して呼吸をしながら、次は機動力を削ぐために、後ろ足を狙った大斧による一撃を叩き込む。再びの絶叫。
これで攻撃力も機動力もかなり削いだ。もはや、ストームベアはかつてほどの強敵ではない。
最後の抵抗とばかりにストームベアが息を吸い込む。ハウリングボイスの準備動作だ。
「まずい! 『猫の呼吸!』」
『熊の呼吸』では間に合わないので咄嗟に呼吸法を切り替えて妨害を試みるが、切り替える時間の分遅くなってしまい、発動を許してしまう。頼みの綱の『セイクリッドソング』も、肝心のエリザが治療で手一杯なため、間に合わない。
大怪我を負ったストームベアは、動きを止めたマーティを殺す余裕もなく、斬られた二本の足を引きずりながら必死に逃げていく。その足は、深手を負ってもなお速い。
追撃する好機だが、マーティ側にもさして余裕があるわけではなく、逃げていくストームベアを見送ることしか出来なかった。




