一話:落ち零れ探索者
洞窟の中は、じめじめとした湿り気を帯びた空気と、黴臭い匂いに満ちていた。
明るい外に比べ、光源が極めて乏しい洞窟内は、まだ昼間だというのにまるで真夜中のように暗い。
目を凝らしていなければ足元すら見えず、ところどころ土や岩が剥き出しの地面は一面が苔に覆われ、少し気を抜いただけでも滑って転びかねない。
(……くそ、やっぱり一人だと安定しないな。火魔法が使えれば、明りなんて簡単に出せるのに……)
壁に手をついて恐る恐る歩きながら、マーティは心の中で毒づいた。
持ち込んだカンテラは、転んだ拍子に無くしてしまって、もう手元にはない。
探そうにも、明かりが無い状態では自分の手元を見るのが精一杯だった。少なくとも、手探りで探せる場所にカンテラは無かった。岩の隙間にでも転がり落ちてしまったのかもしれない。だとすると、回収は不可能だった。
(やっぱり、ぼくに迷宮探索なんて無理なのかな)
不安から、弱気が顔を覗かせる。
少なくとも、最初は順調だったのだ。
運よくモンスターと戦うことなく進み、普段なら良くても地下三階で引き返さなければならなかったところを、地下四階まで降りることができた。
体力は帰りの分を差し引いてもまだまだ余裕があり、腰に下げたショートソードは一度も抜いていないおかげで状態は申し分ない。
だから、もう少しなら行けるんじゃないかと思ってしまった。
慢心は油断を生み、油断は思わぬアクシデンドに繋がる。
初めて降りた階層で岩肌が覗く地面の出っ張りに足を取られて転倒し、しかもその拍子に命綱にも等しい明りを失ってしまった。
学園が管理する、十分に安全が配慮された初心者用の迷宮だからこそまだ進めているのであって、本物の迷宮ならばいつ死んでもおかしくない状況だ。本来なら、尻尾を巻いて一目散に逃げ出すべきである。
だが今回の探索は、これから先一年間のクラス割を決める試験を兼ねている。簡単にリタイアなんてできない。先に進むしかなかった。
ふと、マーティは自分の足音に他の音が混ざっているような気がして足を止めた。
ともすれば早くなりそうな呼吸を整え、精神を集中して聞き耳を立てる。
今度ははっきりと、前方から何か硬い物が岩と擦れる音が聞こえた。
規則正しく、しかも大分地面に近い場所でその音は鳴っているようだった。
距離はまだ遠い。
(……モンスターの足音だ。この道は通れない。戻ろう)
ため息をつきそうになるのを堪えると、マーティは来た道を引き返し始めた。
明かりを無くした状態でモンスターと戦うのは自殺行為だ。
可能ならば、戦わずに逃げるのが最善である。
問題は、これと同じことを何回も繰り返させられて、地下四階に下りてから一向に探索が進んでいないということ。このままではまた大した成果も出せずに終わってしまう。
記録を一階分更新したのだから一応成果は出ているが、それはマーティの基準での話だ。
迷宮を有するエバーメント学園に通う生徒たちの平均踏破階数は地下十二階である。
マーティは平均の半分にも満たない階層で苦戦を強いられているのだった。
もちろんそれには理由がある。
まず一番大きな理由を占めるのが、マーティが単独で迷宮を探索するソロ探索者だということである。
優秀だから単独で潜っているわけではない。むしろ逆の理由からだった。
魔法は使えないが、だからといって武技に秀でているわけではない。
体躯に恵まれているわけでもなく、動体視力や反射神経が人一倍優れているわけでもない。
率直に言えば、マーティには迷宮探索に必要な才能が備わっていなかった。マーティの迷宮探索ランクは、最低のFランク。Fランクは、学園に入学した生徒が一番初めに与えられるランクである。三年前に学園に入学してから、マーティは一度もランクが上がっていない。
来た道を戻って別の道を行くが、その全てでモンスターと鉢合わせしそうになり、引き返せざるを得なかった。
(せめて地図があれば、暗闇を利用してやり過ごしながら進めるかもしれないけど……買っておけば良かったかな)
後悔が胸を過ぎるが、時すでに遅し。後の祭りである。
だが、仕方ない部分もあった。
学園の購買部には、学園が保有するダンジョンの地図も販売されているが、高額過ぎて他の必需品も買い込む必要があるマーティには手が出なかったのだ。
マーティはあまり裕福な生まれではない。
農家の三男坊としてマーティが生まれた村は、飢饉で食べ物が足りなくなれば、奴隷商人に子どもを売って糊口を凌ぐような貧しさだった。それはマーティの家も例外ではなく、妹が売られそうになって、それなら自分が稼いで仕送りする、と啖呵を切って村を出た。
仕送りをしなければならないマーティに、高価な地図を買う余裕など無かった。自分の剣や鎧を買う金も無く、学園の備品を借りられる武術訓練以外、迷宮に持ち込む武具は木を削って自作している状態なのだ。しかもマーティはかなり不器用で、自作の木製武具は作るのに時間と手間がかかる割には性能も見てくれも良くなく、下に着古した継ぎ接ぎが目立つ服を着ているせいもあり、どうしても野暮ったさが抜けない。
おかげでパーティに誘われることもない。申し込んでも入れて貰えた試しがない。
普段マーティが探索に赴く時に用意するのは、カンテラが一つに食料として小さめのパンが一つ、止血用の包帯が一巻きだ。もちろん色々足りないが、マーティの資金力ではこれが限界だった。低層でマーティが延々と足踏みを強いられている理由は、間違いなく資金難による準備不足もあるだろう。
迷宮探索は、世間知らずだったマーティですら知っているほど、実入りが大きなことで知られている。だが、膨大な出費がかかるのが普通であり、自然と学園に通う生徒も貴族や商人といった、裕福な家庭を持つ子どもに限定される。そんな中、マーティが入学できたのは異例だった。
金貸しから金を借りたのだ。
迷宮探索が一番稼げるという情報を手に入れ、探索資格を手に入れるために入学手続きをしようとして高過ぎる入学金にまず躓いていたところを金貸しに見つかり、言葉巧みに誘導され気付いたら契約書の写しとともに金を押し付けられていた、というのがマーティの認識ではあったけれども。
視界が利かない以上、モンスターとの遭遇を避けるには聴覚に頼るしかない。
些細な物音も聞き逃すまいと慎重に慎重を重ねて進んでいたマーティだが、どうやらこの日は不運がついて回る日だったらしい。
マーティが僅かな粘着音を捉えたのと、その音の持ち主がマーティの頭上に覆いかぶさってきたのは、ほぼ同時だった。
「うわっ!」
反射的に腰からショートソードを引き抜いて頭上に掲げたため、頭からそれをかぶることは無かったが、それが地面に落ちる時の勢いに負けてショートソードを絡め取られてしまった。
「くそ、武器が……!」
木製の頼りない武器とはいえ、それでもマーティにとっては迷宮のモンスターと渡り合うには必要な物だ。
徒手空拳になったマーティは、苦瓜を噛み潰したかのような顔で落ちてきたものを睨んだ。
暗闇の中でうっすらと見える、緑色に光る半透明のジェル状の塊のようなもの。
一般に、スライムと呼ばれているモンスターである。
不定形種に属するモンスターで、別名迷宮の掃除屋とも呼ばれる。
別名の由来は、体内に取り込んだものを消化、吸収してしまうことからきている。悪食なので、動物だろうが植物だろうが鉱物だろうが何でも食べるが故の掃除屋である。無機物も有機物も関係なく、食べる対象は、人間さえも例外ではない。
スライムの体内では、中ほどまで埋まったショートソードがじわじわと分解されていた。気泡とともにショートソードは少しずつ輪郭を無くしていっている。スライムの身体は半透明なので分解、消化吸収される一部始終がよく分かるのだ。
一瞬の判断でショートソードを掲げていなければ、今頃溶かされていたのはマーティの方だったかもしれない。管理されている迷宮であるが故に、モンスターが人間を殺害することはほぼ無いとはいえ、不幸な事故が無いわけではない。自分が溶かされる場面を想像してしまい、思わず唾を飲み込んだマーティの喉が変な音を立てた。
とにかくこの場から離れなければならなかった。今はショートソードを取り込むのに夢中になっているスライムも、それを終えればマーティに向かってくるだろう。素手でスライムと戦うのは自殺行為だ。踏もうが殴ろうが、接触箇所を取り込まれて終わる。
それでも間一髪で回避が間に合ったことに、マーティは僅かに安堵していた。何しろスライムは動きが鈍い。子どもでも歩いて引き離せるくらいの速度なのだ。最初の奇襲さえかわせば、逃げるのは簡単である。
この調子なら、気をつけて行けばもしかするともっと奥に進めるかもしれないと思い、マーティの気が逸った。
踵を返したマーティに何かが覆い被さった。暗闇に紛れて天井に貼り付いていた、もう一匹のスライムである。二匹のスライムによる、緊張が解ける一瞬を狙った見事な時間差奇襲であった。
しばらくマーティは混乱した様子で頭にかぶさったスライムを退けようと奮闘していたが、やがて窒息して動かなくなった。
■ □ ■
目が覚めたマーティが見たのは、白い清潔感に溢れた天井だった。
「おや、目が覚めたか」
女性としては低めな、アルトの声がマーティの耳朶を打つ。
声の主を探して首を動かしたマーティは、小奇麗に清められた机に肘を付き、自分を眺めている女性と目が合った。
「レイテ先生……」
マーティにレイテ先生と呼ばれた女性は、氷のように凍りついた表情で、かけていた銀縁の眼鏡を人差し指でクイと持ち上げた。
特に彼女の心情に何かがあったわけではない。普段から彼女の表情はあまり動かない。
「いかにも。この救護室に詰めている救護医のレイテだ。君は今の状況を理解しているか?」
「えっと……。洞窟内でスライムの奇襲をかわしたところまでは覚えてるんですけど……」
窒息の影響か、覚醒したマーティの記憶からは、二匹目のスライムから不意打ちを食らった記憶がすっぽりと抜け落ちていた。あるいは、ただ単にマーティ自身が被さってきたのが二匹目のスライムだと、最後まで気がつかなかっただけかもしれない。
「君はクラス割の試験中に地下四階でスライムに倒され、地上に転送された。……生徒たちの中では、脱落するのは君が一番早かったな。まあ、君に関していえば、いつものことだから驚くようなことではないが」
手短に状況を説明するレイテの声音には、多少の気安さと僅かな呆れが滲んでいる。
「はは……またワーストですか」
試験に失敗したことを理解したマーティは、乾いた笑い声を上げると肩をがっくりと落とす。
迷宮に潜るたびに必ず救護室に担ぎ込まれるマーティにも、そのマーティを毎回迎え入れるレイテにとっても、もはや慣れた出来事だった。
気落ちしているマーティに、レイテは机に置かれた水差しを取ると、カップに水を注いで差し出した。
「毎度言っていることだが、早く自分と組んでくれるパーティを見つけなさい。単独での探索には、一人で全てに対応しなければいけない以上、どうしても限界があるのだから。……ほら、飲んで」
カップを受け取ったマーティは、耳の痛い言葉に居心地悪さを覚えながら、水を飲んだ。何の味もつけられていないただの水だが、それでも起きたばかりのマーティには有難い。
空になったカップを受け取ると、レイテは入れ替わりに封筒をマーティに渡した。
「これは今回の探索証明書だ。請求書を添付してあるから、記載されている日時までに治療費を持ってくるように」
マーティは封筒を受け取ると、その場で封を切って震える手で中身を取り出した。
探索証明書を広げると、細々とした記載よりも先に、でかでかと赤い朱印で鮮やかに記された『未帰還』という文字が目に飛び込んでくる。
続いて請求書を見たマーティは記載された金額を見て引きつった顔で、おそるおそるレイテを見た。
「……あの、今回の探索で得た報酬は?」
「規定報酬の千エルクは通常通り支払われる。だが、君が迷宮内で得たものは、未帰還のペナルティとして全て没収になった。諦めろ」
「そ、そうですか……」
上層で倒れたので大したものを拾ったわけではなかったが、それでもマーティは落ち込んで項垂れた。
そんなマーティの様子に、レイテは彼女にしては珍しく僅かに親しげな笑みを浮かべた。
「そう気を落とすな。私はもうしばらくいるから、休み時間になるまで休んでおくといい。終了の鐘が鳴ったら退室しなさい」
救護医と生徒という一線を引いた関係とはいえ、何度も顔を合わせる間柄であるため、お互い気を許す程度には気安い仲である。
情けない声で返事したマーティが内心悔しさを堪えて布団をかぶると、レイテも机に向き直り、新たな書類を書き始めた。
■ □ ■
休み時間を知らせる鐘が鳴るのを待って、マーティは救護室を出た。
救護室は迷宮を見渡せる高台の上にあり、そこからは迷宮の入り口がよく見える。
空は茜色に色付いていて、ちらほらと街頭に灯りが灯り始めていた。
授業の一環として迷宮を探索する場合はどんなに短くとも一日がかりになるので、今日はもう授業はない。迷宮に潜っていた生徒たちも帰還する者が出てくる頃だ。
「……報酬、受け取りに行かなきゃ」
他の生徒たちと鉢合わせにならないことを祈りつつ、学園事務局へと足を向ける。迷宮探索で与えられる報酬は、事務局で支払われるのだ。迷宮で得たものの買取もしている。
あまり気が進まなさそうにマーティは歩いていた。西日に照らされ、マーティの影が影法師となって長く伸びている。どこか哀愁を漂わせる雰囲気だった。
エバーメント学園は国内だけでなく、国外からも迷宮探索者を志す生徒たちが集まる学園だ。近隣諸国の中では敷地内に専用のダンジョンを保有する唯一の学園で、多くの生徒たちが在籍している。その生徒数に見合った広大な敷地を誇る学園であるため、救護室から事務局まではかなり離れている。歩いている最中にマーティは何度も迷宮探索帰りだろう生徒たちとすれ違った。
すれ違った男子生徒の一人が、ちらりとマーティを見て自分の隣を歩く男子生徒ににやにや笑いながら耳打ちする。耳打ちされた男子生徒が振り返りマーティを見て、耳打ちした男子生徒に何か話している。
羞恥心からか身体が熱くなるのを感じながら、マーティは唇を噛んで無遠慮に向けられる好奇の視線に耐えた。
いつものことだ。
三年経ってもいまだに低層で燻っているのは一人だけ。マーティと同期で入学した生徒たちは、とっくに全員が地下十階以上に到達し、ランクもEランクにまで昇格している。平均到達階である地下十二階を突破し、Dランク以上になっている生徒も少なくない。
ランクはFランクからAランクまであり、迷宮探索の優秀さを図る一つの物差しだ。主に指定されたモンスターを倒し、規定階数を突破することで上昇する。よほどのことが無い限り基本的に降格はない。
学園で与えられるランクと卒業後に与えられるランクは別物だ。それは環境が変わるためで、例え学園に在籍している間にAランクまで上り詰めたとしても、卒業後の迷宮探索はまたFランクから始まる。
もっとも、学園の成績が良ければ良いほど、卒業後も学園や商会など様々な後援団体から支援を受けられ、認知度も高くなるので、学園在学中の成績はとても重要だ。
エバーメント学園は四年制なので、あと一年で卒業を迎えることになる。
卒業後は本物の迷宮に挑戦する予定だった。本来の迷宮は、未帰還=死のシビアな世界だ。このまま卒業して迷宮に挑んでも、十中八九マーティは死ぬだろう。自分が他人よりも劣っていることを、マーティはこの三年間で十分以上に自覚している。
学園は、卒業条件の一つに、探索者ランクをEランク以上に定めている。つまり、Fランクの者に卒業資格は与えられない。だから、この一年で、マーティはなんとしてでも結果を出さなければならなかった。
「あ……」
マーティは前方から、きらきらした一団が近付いてくるのを見つけた。
迷宮帰りなのだろう。男女入り混じり、皆美男美女ばかりだ。
彼らを見たマーティは、端に寄って道を譲った。彼らは皆貴族の親を持つ子弟たちだ。資金力に物を言わせて高価かつ高性能な武具を揃え、探索に必要な道具も全て揃え、さらに同じ貴族の子弟同士でしかパーティを組まない彼らは、迷宮探索においてトップクラスの成績を誇っている。
当然のように譲られた道を我が物顔で歩く彼らのうち、先頭を歩く男子生徒が壁際にいるマーティに気付き、嫌な笑みを浮かべた。
「誰かと思えば、学園の面汚し君じゃないか」
美麗な声だが、悪意に満ちている声音だった。
後に続く面々も、マーティに気付いて立ち止まる。
そもそも無関心なのか、マーティを一瞥したきり興味を向けない生徒もいたが、ほとんどの生徒は最初の生徒と同じような表情を浮かべた。
すなわち嘲り、侮蔑。
彼らは平民出身であるマーティが学園に在籍しているのが気に入らないようで、こうして度々悪意の目を向けてくる。
身分に問わず学園の門戸は広く開かれているが、資金の問題で入学するのは貴族などの特権階級が圧倒的に多い。多数派である彼らにとって、学園は貴族専用だという認識なのだ。
平民でしかも成績が低いマーティは、彼らにとって格好の攻撃材料だった。
「その様子だと、またリタイアになったみたいだね。全く呆れるよ。そこまで無様な姿を晒していながら、いまだに学園にいられる無神経さには。僕だったら、恥ずかしくて人前に出れないね」
言葉がナイフとなって、マーティの胸に突き刺さる。
反射的に言い返そうとして、開いたマーティの口は何も言わずに閉じられる。
マーティが口が回る方ではないし、無様な姿を晒している、という彼の言葉は真実その通りなのだ。自分の現状に一番惨めさを感じているのは、他ならぬマーティ自身なのだから。
それに──。
「行くわよ。カイオス」
なおも嫌味を吐こうと口を開きかけた男子生徒を、興味なさげにしていた女子生徒が制するように声をかける。
「む。ベティ。いいところ何だから、邪魔しないでくれよ」
「早く行かないと事務局が閉まってしまうわ。今日中に換金して戦利品を分配しないと面倒だと言ったのはあなたでしょう」
「……そうだったな。おい君、もう僕の前に面を出さないでくれよ。君みたいに無能な人間と同じ空気を吸わされているかと思うと、虫唾が走る」
きっちり嫌味を残して、カイオスと呼ばれた男子生徒が取り巻きの男子生徒たちを従えて通り過ぎていく。その後ろを、くすくす笑いながら女子生徒たちが続いた。
最後尾にいた女子生徒が、羞恥に顔を赤くして俯いていたマーティの前で立ち止まり、声をかける。
「まあ、彼のいうことはあまり気にしないで。それと、探索お疲れ様」
顔を上げたマーティは、思わず女子生徒の顔を見つめた。
他の生徒たちのように嘲ったりはせず、逆に慰められたことにマーティは驚いたのだ。
「何してるんだベティ! 急かしたのはお前だろ!?」
「分かってる! 今行くわ!」
女子生徒はマーティに会釈をすると、早足でカイオスたちを追いかけていった。
■ □ ■
寮の自室に戻ったマーティは、転がるようにベッドに倒れ込み、ため息をついた。
完全に日が落ち、窓の外には闇の帳が落ちている。
もう食事も入浴も終え、後は寝るだけだ。
マーティは日中の出来事を思い返していた。
ベティグランデ・ヴァレイスティール。ベティと呼ばれていた女子生徒の本名だ。
マーティと同い年ながら、たった一年で最高ランクであるAランクにまで上り詰めた正真正銘の天才。マーティの同期の中では間違いなく一番の有名人だろう。
美貌もさることながら、武術の腕前も凄まじい。二振りのショートソードを自在に操る二刀の使い手。その戦い振りから、『小剣姫』という通り名まである。
美人で性格も良く、貴族だから家柄も良い。そんな彼女が人気者でないわけがなく、ファンクラブまで発足しているほどの有名人。そんな彼女にマーティは憧れていた。マーティが武器にショートソードを選んでいるのも、雲の上の人間である彼女に、少しでもあやかりたいというと気持ちがあったからだ。
まあ、それ以上に、マーティに専門と呼べるほどの戦闘技術が無かったという理由もあるけれども。
戦う才能が無いマーティには、ある意味武器なんてどれでも良かった。ろくに使えないという点では、皆同じだ。
武器を使うくらいなら、素手の方がまだいい。とはいえ、さすがに迷宮で徒手空拳で戦うのは、話にならない。
「おいで」
ベッドの上から呼べば、飼い猫のノワールがベッドに飛び乗り、マーティに頬擦りしてくる。時折舌で舐められるざらざらとした感触がくすぐったくて、マーティは堪え切れずに笑った。
エバーメント学園の学生寮は、生徒の中にモンスターを手懐けて戦う生徒がいることもあり、基本的にペットの持ち込みが許可されている。そんなわけで、マーティもペットとして猫を飼っていた。
雨の日に物陰に隠れて鳴いていた子猫だったノワールを、一年前マーティはペットを飼う余裕なんてないと分かっているのにも関わらず、見捨てられずに拾ってしまった。
血統も知れない雑種だし、それ以来生活は一層苦しくなったが、それでもマーティはノワールを拾ったことを後悔していない。
ノワールはマーティの傍で丸くなり、目と鼻の距離からじっとマーティを見つめている。
彼女の吐息を感じながら、マーティはノワールが呼吸する様子を観察する。
毎夜繰り返しているマーティの日課だ。
一日の疲れをノワールと戯れることで癒し、次の日に備える。至福のひと時だった。
「……明日も頑張ろう」
やがてマーティはランプを消し、床に就く。
暗闇の中、ノワールがニャアと鳴いた。