親指の見せた悪夢
怖い話です。苦手な方はご注意を。
そこそこ有名なジンクスにまつわるお話です。
幼稚園の頃、いとこの兄ちゃんと霊柩車を見た時に教えられた。
「カーくん、あの車は死んだ人を乗せてるんだ。あの車を見た時は親指を隠すんだ。そうしないと、親指の爪の間から悪いモノが入ってきて、親や親戚が早く死んじゃうんだって」
僕はその時、果たして忠告通り指を隠してただろうか。
小さい頃から自他共に認めるボーッとした奴だったから、右から左に聞き流してたかもしれない。
それが僕の運命の境目だとも知らずに。
その9年半ぐらい後。
プルルルル、という着信音で昼寝から覚める。垂らしていたよだれを吹いて、慌てて居間の受話器を取った。
「はい、もしもし…」
「寛太か?俺だよ、弘一だ」
電話の相手はいとこの弘兄、ただいま23歳。つい二週間前、2つ年下の彼女さんと結婚式を挙げたばかりだ。式場に忘れ物でもしただろうか。
「ああ、うん。何か用事?」
一瞬間が空いて、それから早口で弘兄が告げる。
「…その、美喜が死んだ」
「えっ?」
美喜さん。それは弘兄の結婚相手だ。そこまで美人とは言えなかったが、まあまあ可愛い上に家庭的な人で、この前弘兄の家に遊びに行ったときも絶品のパスタをごちそうになった。
信じられない。あの元気そうな美喜さんが?
「嘘だ…」
「俺だってそう言いたい。でも、本当だ。歩道橋の階段で転落事故で…」
「うん…。通夜と葬式の日程だけ教えて」
それ以上は聞いていられなかった。弘兄は淡々と日取りを教えてくれる。
でも、きっと僕より弘兄の方がよっぽど悲しいに違いない。
通夜の席は、この間会ったばかりの人たちが顔をそろえていた。みんな喪服や黒スーツに身を包んで。
見覚えのある親戚の輪の中なのに、美喜さんだけがいない。
何となく、心に穴が空いたような気分だ。
「寛太。悪いな、平日に」
ボーッと会場の中を見ていると、ぽんと大きな手が肩を叩く。弘兄だ。
「いいよ、そんなん気にしなくて。このたびはご愁傷しゃまでした」
「そう改まらなくても。言えてないし」
昨日の電話でも思ったが、弘兄はいつもよりサバサバとした話し方をしている。いつもは語感がもっとフレンドリーだ。まあ、妻を突然亡くしていつものテンションは無理だろう。
「…また明日も、よろしく」
軽く僕の頭をなでて弘兄が去っていく。
お坊さんが入ってきたので、僕たちは話をやめて席についた。
次の日。
美喜さんのお葬式の日。
みんな泣いていたり神妙な表情で、額縁の中の美喜さんだけが笑っていた。
親戚の人たちが次々と花を棺に入れていく。僕は弘兄に取ってもらって、高いところにあった桃色の花をそっと美喜さんの足元に置いた。
「間もなく霊柩車が外に参ります…」
葬儀社の人の言葉に、弘兄がぽつんと呟く。
「…覚えてるか?霊柩車見たよな、ガキの頃」
静かに頷く。あの夏の日、陽炎の立ちのぼる中を、黒塗りの立派な車が走っていった。今でも鮮明に覚えていた。
「指、隠さなきゃいけないんだよね。なんかの都市伝説?」
「都市伝説なんかじゃない」
弘兄の低い声がわずかに震える。
「なんで…なんで美喜はこんなに早く死んだんだ?お前、ちゃんと親指隠したか?」
「え…」
「お前の、霊柩車の呪いじゃないのか!?」
がっ、と肩を乱暴につかまれる。美喜さんの父親が声を上げた。
「弘一くん!よしなさい!」
その一言に、弘兄が手を下ろす。
「…悪い。わけわかんなくなって」
肩に爪のくい込んだ感覚が残っている。とても痛かったが、弘兄を責める気にはとてもなれなかった。
突然大切な人を失って、誰のせいでもない、運が悪かったのだと言えるわけがない。自分や誰か、ジンクスのせいにでもしなきゃ、きっと気持ちの行き場がなかったのだ。
やがて、霊柩車に美喜さんが乗せられていく。僕は親指を隠してグーを作った。
今さらこんなの、償いにもならないけど。
火葬場に移動するために、ぞろぞろと人が出ていく。僕と弘兄は、お互いに少し離れてあとに続いた。
外は雨。降りしきる駐車場を歩いていると、ふいに視界の隅に土色の何かが映る。それはゴゴゴと不気味に唸りながら、近くの山の斜面を飲み込むように近づいてきた。
裏山の土砂崩れだ。でかい岩が混じっている。
「危ない!」
蜘蛛の子を散らすようにみんなが逃げていく。僕もそうしようとした。
怖い。逃げたい。茶色の怪物が近づいてくる…なのに。
足が何かにつかまれたようにその場にくっついて、逃げられないなんて。
必死に体を後ろにひねり、叫ぶ。
「助けて!誰か助けてー!」
その瞬間、僕が見たものは。
無数の手のひら。
全員が手をパアにして、爪を隠さない様子を笑顔で僕に見せている。
その中に、そっとより添う弘兄と美喜さんがいた。
『言っただろ?都市伝説なんかじゃないって』
静止画のように同じポーズで留まる、
両親。
いとこ。
おじさん。
おばさん。
葬儀屋さん。
美喜さんーー。
土砂にふさがれて、悪夢のような光景は消えた。
親指の間で、何かがカラカラと嗤っている。
やがて、それも聞こえなくなった。
※親指を隠さなかったからといって、現実でこういうことは起こりません。多分…。コメントいただけると嬉しいです。読んでいただきありがとうございました。
怖い話って、書くの難しいですね…。