カルテ07 ギルドからの手紙
書棚に本を仕舞い、ふと気付くとすでに夕方になっていたことに驚く。
読書に耽っていると時間が経つのが本当に早い。
何冊か脇に抱えた私は、ヴィレンヌさんのいる受付まで足早に向かった。
「お疲れ様。貸し出し期間はいつものとおり一週間ね」
「有難う御座います。お仕事、頑張ってくださいね」
退館手続きを済ませた私は彼女に手を振り、図書館を後にした。
ジーノさんの雑貨店に向かい、今夜の食材を調達する。
昨日は少し豪勢だったから、今日は軽いもので大丈夫だろう。
中央通りを抜け、西にある緩い坂を上る。
診療所の前に着くと、ララが顔を輝かせて出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、ミレイ様ぁ!」
そしてそのまま私のおなかに抱きついてきた。
両手が塞がったままの私は顔だけをララに近付け頬ずりをする。
「ただいま、ララ。今夜はパスタと昨日の残りのスープでいい?」
「おお、パスタですか! 大好物であります!」
私から身体を離したララは買い物袋を持ってくれた。
そして二人で診療所の中へと向かう。
◇
「ぷはあぁ……! 今夜もおなかいっぱいなのですぅ……!」
おなかを擦り満足気にそう言ったララ。
結局パスタを二杯おかわりして、昨日の残りのスープも全て平らげてくれた。
満足した私は珈琲を用意し、食卓へと着く。
「今日は図書館に行かれたのですよねぇ? どんな魔法を習得してこられたのですか?」
熱々の珈琲にふーふーと息を吹きかけながらララが尋ねてくる。
「忘却魔法よ。治療に必要だと思って」
ララの真似をし、珈琲に息を吹きかけつつ答える私。
二人とも猫舌なのに珈琲は熱々で淹れないと駄目という、謎のルールが存在することに笑ってしまう。
「忘却魔法、ですかぁ? またマイナーな魔法を習得されたのですねぇ……。でもミレイ様のことだから理由がおありなのでしょうけれど……あちち!」
冷ますことに失敗したのか。
ララが舌をちょろっと出し声を上げた。
「うん。最近は患者さんも増えてきて、同じ人が何回も来院してくれるようになったじゃない? だから『獲得免疫』の対処が必要だと感じてたから」
「カクトク……メンエキ?」
舌を出しながら首を傾げつつ尋ねてくるララ。
その姿に笑顔を返し、ララでも分かるように説明をしてやる。
免疫系は大きくわけて二つ存在する。
二つとはすなわち『能動免疫』と『受動免疫』だ。
その中で能動免疫はさらに『自然免疫』と『獲得免疫』に分かれる。
獲得免疫とは、一言で言えば『免疫細胞の記憶』だ。
一度体内に入ってきた外敵に対し、二度目以降の侵入で素早く対応する防衛反応――。
同じ外敵が侵入した瞬間に、ヘルパーT細胞から『サイトカイン』と呼ばれる特殊なタンパク質が放出され、各免疫細胞はそれにより強化され、一斉に外敵に襲い掛かかる。
大剣を構えた大型モンスターの『キラーT細胞』や、口だけの化物のような『マクロファージ』が強化状態で襲い掛かってくるだけでも厄介だというのに、機械のような姿のモンスターである『B細胞』から次々と放射されるホーミングミサイルの標的にまでされてしまうと、ほぼ気持ちが折れかけてしまう。
「う……。た、確かにあれは酷かったですよねぇ……。リンクを開始した早々、四方八方からミサイルが飛んできて……。ああ、思い出したくもないですぅ……」
「でしょう? だから忘却魔法が必要なのよ。そんなに精神力を使用しないで使えるから、擬態魔法の効果が薄くなったときに役に立つと思って」
ベッドの横に丁寧に畳まれている白衣を指し、そう答える私。
自動発動するように魔法の糸で編みこまれた紋章の効果も、永久に持続するわけではない。
免疫細胞が集まっているど真ん中で効果を消失してしまったら、それこそ命取りだ。
「でも、あのミサイルって何なんですかねぇ。そんなに威力はない感じですけれど、なんかベトベトしてるし、他のモンスターを引き寄せちゃうし……」
「うん。まあ、その辺はララは知らなくても大丈夫よ。『そういうものだ』という知識と経験のほうが大事だから」
B細胞が放出するのは『抗体』と呼ばれる粘性の高いミサイルだ。
それが身体に付着すると精神力を吸収されたり、行動を抑制されたりする。
そして何より怖いのが『オプソニン化』だ。
抗体が付着した身体は免疫細胞らに『非自己』として認識(=オプソニン化)され、大剣の化物や口だけの化物を大量に呼び寄せることにも繋がってしまう。
そうなってしまったら、もう防ぎ切れない。
精神力がある程度残っているうちに、すぐに脱出魔法を唱えて逃げ出さないと大変なことになってしまう。
「ぶーぶー。ミレイ様ったら、また私のことを馬鹿にしてぇ。ぶーぶーぶー」
どうやら不貞腐れてしまった様子のララ。
ぷいっと顔を背けて頬を膨らませている。
「そうじゃないわ。上手く説明できない私が悪いの。機嫌を直して、ね?」
ララの近くに寄り、彼女を抱っこする。
少しこちらに向き直ったが、私と目が合った瞬間にまた顔を背けてしまった。
「どうしたら許してくれる?」
優しい言葉で語りかける。
するとララはゆっくりと顔色を窺うようにこちらに向き直った。
「むむぅ……いいでしょう。今夜もおフトンで抱っこしながら一緒に寝て、頭を撫でてくれて、『ララちゃんはできる子。良い子』って言ってくれたら考えてあげます」
「はいはい。お姫様のご要望どおりに」
私の返事で顔を輝かせたララ。
彼女のお願いは大体いつも同じものだ。
手料理を食べたいと言うか、甘えたいと言うかのどちらかでしかない。
それから一時間ほどララと遊んだ私は約束どおり、彼女を抱っこしベッドへと向かった。
満足そうに胸の中で眠るララに毛布を掛け、私は書庫へと向かう。
本棚から日記帳を取り出し、今日の出来事を記載する。
久々の休日を満喫できたこと。
新たな魔法を習得したこと。
でもきっと、明日からまた忙しくなる――。
帰宅した際に発見した、ポストに投函されていた一枚の手紙。
差出人はこの街のギルド長からだ。
私は封を切り、内容を確認する。
隣町に向かう途中に佇む、踏破された古いダンジョン。
そこの最下層で新たに見つかった隠し通路。
手紙に書かれていたのは、それらの簡易情報と探索メンバーとしての召集依頼だった。
とっくに踏破されたと思っていたダンジョンに未踏破エリアが出現したのだ。
当然、何が起こるか予想がつかないギルドは、この街唯一の薬師に声をかけるだろう。
「はぁ……。断るわけにはいかない、か」
そっと手紙を閉じた私は椅子の背もたれに寄りかかり、溜息を吐く。
この街のギルドの人間は恐らく、私の過去を知らない。
毎年数十万という人間が冒険者として登録をしているのだ。
過去に登録を抹消された元冒険者を覚えている者などいるはずもない。
それが辺境の街のギルドならば尚更のことだ。
――正直、断りたい。
過去の記憶が蘇る。
私のせいで死んでいった仲間達の怨念が、いつでも私の寝首をかけるようにと狙っている。
そんな風に考えてはいけないと思いつつも、過去の過ちからは逃れられないことを知り、絶望する。
大きく息を吐いた私は照明を消し、寝室へと戻った。
そこには静かに寝息を立てて眠っているララの姿があった。
私はそっと彼女を抱き、不安を打ち消すように彼女の額にキスをする。
守るべき者、救うべき命。
今の私には、それがある。
――だから、私は死ねない。
強く心にそう願った私は、ララを抱いたまま就寝することにした。