カルテ37 黒い悪魔の正体
ゆっくりと目を開ける。
微睡にも似た薄暗い環境。
私は幻獣のナイトメアを召喚し周囲の状況を確認する。
「ここは……どこかのリンパ節かしら」
まるで迷路のように入り組んだ通路の先に血管が繋がっているのが見える。
私は再び薬師魔法を詠唱し幻獣のリヴァイアサンを召喚する。
液性耐性を得た私は泳ぐようにリンパ管の中を探索した。
『どうじゃ? 何か見つかったか?』
しばらくすると体外からメリックの声が聞こえてきた。
あまり長居すると彼らに迷惑を掛けてしまう。
何かあと一つ。
決定的な痕跡さえ見つかれば、数ある選択肢の中から原因を選び出すことが出来るかも知れない。
「いえ、まだ特に何も――」
そこまで答えて私は騎士剣を抜いた。
ひだ状の壁の先にスライム型モンスターと大口型モンスターが周囲を警戒し巡回している。
私という『異物』が侵入したことを察知したのだろう。
免疫細胞らに取り込まれる前に擬態魔法を使いたいところだが、先のNK細胞の件もある。
あまり魔法を過信しすぎると痛い目にあってしまうという教訓だ。
『キキィ! ブギギィ!!』
幻獣のラフレシアを召喚しようとしたところで一旦詠唱を止める。
スライム型モンスターの様子がおかしいことに気付いた私は、ひだ状の壁に身を隠しモンスターらを観察した。
『ンゴ……ゴボボ……』
大口型モンスターが苦しそうに呻き声を上げている。
その周囲を取り囲み、しきりに警戒しているスライム型モンスターの群れ。
あれは一体何をしているのだろう。
同じ免疫細胞同士、争う理由など無いはずだ。
『ゴボ……ゴハアァァ!!』
「え……?」
急に大口から何かを吐き出し、その衝撃で周囲の壁に亀裂が走った。
傷ついたリンパ節の壁が崩れ、それを修復するために様々な細胞が集まってくる。
『ゴバァ!! ガアアアァァ!!』
「あれは……一体何を取り込んだの……?」
大口型モンスター、つまりマクロファージはその大きな口で異物を喰らい、その情報を周囲に知らせる習性がある。
だが、あれは明らかにその『異物』に身体を乗っ取られている状態だ。
『ピギ! ピギギィ!』
『ンゴ……ンゴゴ……』
「……? スライム型モンスターを、怖がっている……?」
周囲に群がるスライムの集団を明らかに警戒しているマクロファージ。
その間にも隙を見て、周囲の組織に攻撃を仕掛け続けている。
「……まさか……」
確かめなくてはいけない。
もしも、あのマクロファージの中にいるのが、あいつだったら――。
詠唱を再開し擬態魔法を唱える。
そして地面を蹴り、マクロファージの背後から騎士剣を斬り上げた。
『ゴハアァァ!!』
叫び声を上げたまま振り返ったマクロファージは、口から再び何かを吐き出した。
「ぐっ……!」
避け切れず、なんとか騎士剣で攻撃を凌ぐ。
ジュワッ……!
「剣が……溶けていく……! ちっ……!」
騎士剣を投げ捨て、後方に下がる。
あの攻撃を受けたら一巻の終わりだ。
チャンスは一度。
あの大口を開けた瞬間を狙えば――。
『ゴバァ!』
「はあぁっ!!」
再び攻撃を仕掛けようとしたマクロファージの口に魔法剣を投げつけた。
『!? ……ンガ……ガガ……』
口内に剣が刺さった瞬間、動きを止めたマクロファージ。
私は彼らを倒すのが目的ではない。
ただ、確認したいだけだ。
そして、私の予想が外れて欲しいと願うだけだ。
『…………フフ』
ゾクッ――!
大口の中から聞こえた、低く不気味な笑い声。
まるで死神が笑ったのかのような、絶望に満ち溢れた声。
『フフフ……。フフフフ……。フフフフフフフフ…………。
フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ…………』
這い出てきた化物には顔が無かった。
ただ不気味な笑い声だけが聞こえ、のそりと私に近づいてくる。
私は震える声で幻獣のアルキメテスを召喚した。
空間に描き出された計算式は目の前の敵を詳細に解析する。
すぐに宙から一枚の魔法書がひらりと舞い、私はそれを受け取った。
――解析結果は『測定不能』。
ドクン――。
それを見た瞬間、心臓の音が高鳴った。
これまでに得た情報が頭の中でひとつに繋がっていく。
二週間前にクルト村で発見された黒い悪魔。
全身が黒く焦げたような姿の不死者達。
行方不明になった脱税者達。
衛生状態の悪い村で起きたブラッディフリィという吸血モンスターによる被害。
ジャイアントブラックラットに付いていた噛み傷。
ドクン、ドクン――。
ラットのリンパ節内でマクロファージに潜んでいた化物。
その化物による二種類の攻撃は周囲の組織を破壊した。
好中球を嫌がるのも、恐らく彼らの中では生きられないからだろう。
過去に薬師教会により解析されたことがないはずだ。
この化物が世界中に溢れたら、何億という数の人間が死ぬのだから――。
「……でも、まだ分からないことがある。どうして『不死』なの……? その原因が分からない限り、黒い悪魔を抑え込むことはできない……」
何故、不死者として蘇るのか?
その理由だけがどうしても説明できない。
奇跡的に薬が作れたとしても、爆発的に増えていく不死者の数が一時的に収まるに過ぎない。
人はいずれ、必ず死ぬ。
『死者』を『不死者』として蘇らせてしまう根本的原因が解明されなければ、何も意味はない――。
『おい、ミレイ! そろそろこっちもやばい! 一旦戻って来るんだ!』
カイトの声が聞こえ我に返る。
今はすぐにでもこの事実を王都に持ち帰り、報告しなければならない。
私は目を閉じ、脱出魔法を唱えた。
◇
そっと目を開ける。
私を守るように背を向けているカイトとメリック。
周囲はジャイアントブラックラットの集団が犇めき、牙を剥き出しにしてこちらを警戒している。
「……これだけいたら、感染も広がるわけね。すぐに薬師教会に戻って、薬の作り方を探さないと……」
「感染じゃと? おぬし、何か分かったのか?」
メリックが驚いたような顔で私を振り返った。
私は何も言わずに首を縦に振る。
「とにかく、ここから逃げるぞ! 俺が奴らの気を引くから、その隙に村から出るんだ!」
「駄目よ。あのモンスターに接触したら駄目。メリック先生、どうにか切り抜けられないでしょうか?」
まだ薬も作れるか分からない状況でカイトに感染させるわけにはいかない。
あの牙を受けたら、恐らく体内に『奴』が侵入するだろう。
攻撃を受けなくても飛沫感染をする可能性も高い。
早く王都に戻りアースディバル公に報告し、旧レグノン合戦地跡で黒い悪魔と戦っているメンバーらを呼び戻し、然るべき場所に隔離しなければいけない。
「仕方ないのぅ。年寄りをあまりコキ使わんで欲しいんじゃが、今回だけは特別じゃ」
大杖を高々と天に掲げ、魔法を詠唱したメリック。
周囲に魔法陣が出現し、強い光が私達を包み込む。
「幻獣グリフォンよ。ワシらを安全な場所まで運ぶがよい」
「め、メリック殿……! この魔法は……うわあああああぁぁ!」
飛翔魔法が発動し、一瞬のうちに天高く舞い上がる。
そして急降下したグリフォンは、クルト村近くの草原に着陸する。
「ほれ、脱出成功じゃ。ついでに馬車とカルマも呼び寄せておいたぞ」
街の入口に置いたままの馬車と、車内で留守番をしていたカルマも私達と共に運ばれたようだ。
これですぐに王都に向かうことができる。
「メリック殿……。そのような便利な魔法があるなら、先に教えておいていただけると有難いのですが……」
尻餅を付いたままカイトが苦笑いをしている。
しかしすぐに表情を引き締め、私の説明を待った。
「さっき『感染』と言ったな。つまり、黒い悪魔の原因は新たな流行病のうちのひとつ、ということか?」
すでにメリックは勘付いているようだ。
今まで数々の病を治療してきた大司祭は、その重大さが分かっている。
「はい。しかも感染力が非常に高く、あっという間にラグレス皇国中に広がる恐れがあります。発生源は恐らくクルト村でしょう」
「その根拠は?」
「この病は元々は衛生状態の悪い村でネズミに流行するものです。人間に感染する場合、ノミが菌に感染したネズミの血を吸い、そして次に人間の血を吸った場合に広がります」
「あ……」
カイトも気付いたのだろう。
以前、この村にブラッディフリィによる吸血被害があったことを。
「つまり、最初にこの村で発見された黒い悪魔というのは……」
メリックが苦虫を噛み潰したような顔でその先の言葉を濁した。
私は小さく首を縦に振り、その言葉の先を続けた。
「……はい。彼らは行方不明になったのではありません。彼らが、黒い悪魔になってしまったのです。そして飛沫感染により周囲に広がり、この国はすでに二万人もの感染者で溢れ返っています」
「ちょ、ちょっと待て。黒い悪魔が、元は人間だというのか? 奴らは不死者だぞ? どうして感染者が不死者になっちまうんだ?」
カイトの質問に私は首を横に振るしか出来ない。
その理由はまだ解明されていないからだ。
「……分からない。感染して死んでしまった人間が不死者として蘇るのは、また別の原因があるとしか思えないわ。死者を蘇らせる方法があるとしたら、回復魔法ぐらいしか聖書に載っていないし、私の前世の記憶にある医療技術にも存在しないもの」
もしもこの世界に本当に回復魔法が存在したとしても、これでは死者を冒涜しているだけで医療には生かせない。
人間だった頃の記憶は無く、ただ他者を襲い喰らうだけの化物と成り果てて、何が奇跡の魔法だ。
「とにかく、じゃ。分かったことだけでも若様に報告せねばならん。時は一刻を争う」
馬車に乗り込んだ私達はすぐに王都に向け出発した。
そして、ふと思い出したようにメリックが髭を弄りつつ質問してくる。
「ミレイよ。そういえば、今回の流行病の名は何というのじゃ?」
私の膝の上に座るカルマが瞬きをしている。
彼女がこういう仕草をするときは、話している内容に興味があるときだ。
私は一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そしてこう答えたのだ。
「前世の記憶にある世界でも大流行した最悪の伝染病――――『黒死病』です」
――この日を境に、世界は死へと向かって行った。
第四章、完。




