カルテ18 神授祭
酒場を出た私とジル、そしてクライムの三人はその足で町長の家に報告に向かった。
東通りをまっすぐ進んだ先にある大きな屋敷。
屋敷のすぐ傍にある展望台からは街全体が見渡せる。
報告を聞いた町長のアーノルドは満面の笑みで二人を祝福した。
子供の少ないこの辺境の街で、子は宝のように扱われる。
少し照れくさそうな顔をしていたジルだったが、まだ酒の抜けていないクライムを横目に小さくため息を吐き、私と目が合った瞬間にお互いに苦笑した。
明日には二人の神授祭が行われる。
神授祭とはいわゆる結婚式のことだ。
この世界の神である女神アルテナの祝福により二人は永遠に結ばれ、子は病魔に侵されることなく、無事に成長できるように祈願する。
回復魔法の存在しないこの世界で、人々は神に祈るしかないのだ。
自身の命の存続を。
未来永劫に渡る子孫の繁栄を。
そして二日が経ち――。
「じゃあな、短い間だったけど世話になったな」
荷物をまとめ、ギルドから出発しようとするカイト。
まだ早朝だというのにギルド長のグランを始め、他のギルドメンバーも見送りに駆けつけてくれた。
「もう少しゆっくりしていけば良いのに。昨日の神授祭だって、だいぶ飲んでたんでしょ?」
腰に手を当てたままジルがカイトに詰め寄った。
昨日行われたジルとクライムの神授祭は深夜遅くまで続いたのだ。
南通りにある飲食街全てが二人のために解放され、街の人々は宴に酔いしれていた。
「ああ。でも、お前らの神授祭に参加出来たんだ。これでもうこの街に思い残すことは無い」
詰め寄るジルに苦笑いでそう返したカイト。
「思い残すことは無い、ねぇ……」
「な、何だよ。その含んだ言い方は……」
カイトの質問に何も答えず口笛を吹くだけのジル。
そしてそのまま振り返り、後ろに立っていた私の腰を軽く小突いた。
「ちょ、ちょっと……ジル!」
急にカイトの前に立たされ、慌てふためいてしまう。
もうすでに私はカイトにお別れの挨拶を済ませている。
今更、何も言うことなど無いというのに。
「……お前には本当に世話になったよ。いずれまた礼を言いに、この街に必ず来る」
「……うん」
じっと私を見つめてくるカイト。
でも私はその目を直視出来ないでいる。
「お、王都にはメリック先生がいるはずだから、この前渡した薬が無くなったら先生に頼んで。きっと力になってくれるはずよ」
「分かった。それとお前の言いつけ通り、あの芋虫が現れたらなるべく戦わずに回避する。同行する仲間にも薬を持っていてもらうさ」
そう答えたカイトは他のギルドメンバーにも別れの挨拶を済ませた。
グランに大きく背中を叩かれ、メンバーからは笑いの声が漏れる。
――これで、良いんだ。
彼もいつかまた、この街に立ち寄ってくれると言っていた。
その日を楽しみに待っていればいい。
それまでに医療の技術をもっと高めておこう。
一人でも多くの人々を救えるように。
彼の背中を見送りながら、私は一人静かに決心をしていた。
◇
診療所に戻り暖炉に火を灯す。
湯を沸かし、熱々の珈琲をカップに注いだ。
珈琲を冷ましつつ、診察書をペラペラと捲る。
洋裁店のミーシャの花粉症状は多少収まりつつある。
乳製品の継続的な摂取が功を奏しているのだろうか。
雑貨店のジーノの便秘症状は、黄鋸葉と呼ばれる植物の葉を乾燥・粉砕したものを処方した。
黄鋸葉は王都にある薬師教会の本部で学んだ、教会に伝わる民間薬だ。
恐らく主成分はセンノシドのようなものなのだろうが、それを調べる術は無い。
過去の薬師が経験に則り作り出した、この世界独特の薬というわけだ。
書士のヴィレンヌは腰痛に悩まされているらしい。
長時間の座り仕事による坐骨神経痛と判断。
魔法針に効力を薄めた麻酔魔法を付与し、鎮痛剤として利用。
そして薬師教会に伝わる來麦の胚芽に闘争魔法を付与し、疑似的な活性型ビタミンB12(=メコバラミン)として処方した。
要、術後の経過を観察。
冷ました珈琲に口をつけ、椅子に背を預ける。
そろそろ朝食の準備をしなければいけない。
ララを起こし、手伝ってもらおうか。
診察書を閉じ、書棚に戻す。
すると奥の寝室の扉が開き、眠い目を擦りながらパジャマ姿のララが登場した。
「ミレイ様ぁ……。もうお帰りになられてたんですかぁ……?」
大きく欠伸をしたララは焦点の定まらない目で私を見上げている。
私は彼女を抱き上げ、椅子に座らせてやった。
「うん。今さっき戻ってきたところよ。カイトも見送ったし、今日からまた頑張らなきゃね」
「カイトさん、やっぱり帰っちゃったのですねぇ。あの大きな手で頭なでなでされるの、好きだったのですけれど……」
悲しそうな表情でそう答えたララ。
台所に向かった私はもう一度湯を沸かし、彼女の分の珈琲を淹れてやる。
「珈琲を飲んだら、朝食を作るの手伝ってくれる? ララ」
「もちろんであります! しっかりと珈琲で目を覚ますのであります!」
ビシッと敬礼のポーズでそう答えたララ。
まだしっかりと目が開いていない状態でのポーズに、私は苦笑してしまった。
診療所の開店と同時に、また街の人々が大勢診察に訪れてくるだろう。
そろそろ私とララの二人で回していくのは厳しいかもしれない。
治療に多大な時間と精神力を必要とするリンクに頼らず、もっと魔法針を効率的に利用できる治療法の確立が急務だ。
そのためには民間薬を推進する薬師教会との連携が必須だろう。
「(いずれメリック先生にも相談しなくちゃいけないわ……)」
淹れたての珈琲を懸命に冷ましているララを眺めながら、私は朝食の準備に取り掛かった。
 




