カルテ02 前世の記憶
私には前世の記憶がある。
そこは医療が発展した世界。
私は白衣を着た、田舎の学校の生物学教師だった。
大学の専攻は遺伝子工学。
様々な細菌を培養し研究に明け暮れたのち、すでに獲得していた教員免許を使い教師となった。
教員となり二年。
恋人もでき、幸せな毎日を送っていた。
しかし、私の身体には病魔が巣食っていた。
『原発性悪性骨腫瘍』――。
右膝に発生した悪性の腫瘍は、すでに肺まで転移をしていた。
余命一年と診断され、教員を退職した私は療養生活を始めた。
最初は心配そうに見舞いに来てくれていた彼も、次第に連絡をくれなくなった。
でも、それでいいと思った。
新しい恋を見つけてほしいと、心から願った。
――そして、一年を待たずして私の二十五年の人生は幕を閉じる。
◇
「よっと。ええと、次の患者は……洋裁店のミーシャね」
気分が優れた私は、麻布で顔を拭き立ち上がる。
ケミル神父を覚醒魔法で起こし、洋裁店まで容態を見に行かないといけない。
大きく伸びをした私は、診療所の扉の前へと向かう。
「むにゃむにゃ……」
扉を開けるとララが寝台の横にある机で涎を垂らしながら眠っていた。
彼女もさきほどの戦闘で疲れきったのだろう。
私はソファの上に置いてあった毛布をララの背中に掛けてやった。
ララと初めて出会ったのは別の患者の治療を行っている最中だった。
彼女は大勢の敵に囲まれ、ひとり怯えていた。
何故、こんな場所に私以外の者がいるのだろうと不思議に思ったが、泣き喚く彼女を放っておけずに私は助けた。
彼女はサキュバス族といわれる魔族の子供だった。
悪戯好きのサキュバスは、時に人の体内にもぐり込み悪戯をするという話を聞いたことがあった。
問い詰めると、大泣きをしながら彼女は白状した。
そして二度と悪戯をしないと誓い、何故か私の使い魔となったのだった。
「ケミルさん、起きてください」
私は覚醒魔法を詠唱する。
ケミル神父の周囲に淡い光が集約する。
うっすらと目を明けた神父は、視線を私に向けニコリと笑みを漏らした。
私はそれに答えるように笑顔を返す。
「まだ少し麻酔魔法が効いているので、ぼーっとしちゃうかもしれませんけれど」
ゆっくりと起き上がる神父は、軽く首の骨を鳴らし、大きく欠伸をした。
特に異常は見られない。
恐らく転移もないから、治療はこれで終了だ。
「ありがとう、ミレイ。やはり君に頼んで正解だったようだ。さすがはこの街きっての薬師だ」
「褒めても何も出ませんよ、ケミルさん。歩けますか?」
まだ足元が覚束ない神父に肩を貸す。
少し照れ笑いをしながら、神父は私の肩に手を掛けた。
「患部が痛むことはないと思いますけど、いちおう二、三日は安静にしていてください」
「ああ、分かったよ。次はミーシャの所に行くんだろう? 私は大丈夫だから、早く彼女の店に行ってあげなさい」
扉の先まで付いて行った私は、神父の言葉で手をそっと離した。
少し頭を振った神父だったが、この様子だと一人で教会まで戻れそうだ。
「お大事に」
神父を見送り、私は部屋へと戻った。
◇
診察書を開き、記録をとる。
患者名、ケミル・クライネス――。
下腹部に違和感を感じ、来院。
症状は数ヶ月前からあり、食後に鈍い痛みが発生。
診断結果。
胃粘膜上皮における腫瘍。
進行度はステージⅠ。
原因箇所を切除。
「……腫瘍、か」
診察記録を閉じ、大きく息を吐く。
前世の記憶とはいえ、あの闘病生活を思い出すたびに気持ちが重くなる。
あんな思いはもう二度としたくはない。
そして、同じような思いを他者にもさせたくはない――。
「にゃむぅん……。そ、そんなぁ……。照れちゃいますぅ……むにゃむにゃ」
「ふふ、一体なんの夢を見ているのかしら」
幸せそうな表情で寝言を言っているララ。
このまま彼女に留守番を任せ、洋裁店に向かおうか。
ミーシャを診断したら、今日はもう予約は入っていない。
たまにはゆっくりララと一緒にご飯でも食べよう。
眠るララを起こさないようにそっと扉を開け、私は洋裁店へと向かった。
◇
ゆるい坂を下りながら、先程の神父の治療を思い出す。
私とララを襲った丸いスライムのような集団――。
あれは免疫細胞の一種である『好中球』だ。
免疫細胞には大きく分けて四つの種類が存在する。
『リンパ球』、『顆粒球』、『単球』、そして『肥満細胞』。
好中球は顆粒球の一種で、その中では最も数が多い免疫細胞だと言われている。
以前ララを襲ったのも、この好中球の集団だった。
人の体内にある免疫細胞は外部から異物が侵入すると、それを排除しようとする働きをする。
問題なのは、その『姿』だ。
何故、好中球がスライム型モンスターとなって、私達に襲い掛かってくるのか。
これは好中球だけに限らない。
マクロファージやキラーT細胞なども凶悪なモンスターとなって私達に襲い掛かってくる。
とくに厄介なのが、ヘルパーT細胞だ。
奴は他の仲間に指令を出し、サイトカインを放出して強化する、いわば『強化魔法系』のモンスターだ。
強化されたキラーT細胞に、私とララは何度殺されかけたことか。
……考えただけで気が重くなる。
「あら、ミレイちゃんじゃない。これからお出掛け?」
声を掛けられ思考を中断する。
笑顔でこちらに手を振っているのは雑貨屋の女主人であるジーノおばさんだ。
「こんにちは、ジーノさん。これからミーシャの所に診察に行くところなんです」
「ああ、あの変なくしゃみが止まらないっていうあれ?」
「ええ」
ジーノおばさんは心配そうに表情を曇らせた。
この街の人間は、皆お互いを心配して助け合っている。
だから私は王都への召集を断り、この街で細々と診療所などを開いているわけなのだが。
「大丈夫ですよ。きっと花粉症ですから」
「カフンショウ? 聞いたことのない病気だねぇ。最近、原因不明のくしゃみが流行っているけど、それなのかい?」
「うーん、それはまだ分からないですけど」
軽く首を捻りそう答える。
この世界には杉や檜は存在しない。
だが植物がある限り花粉は飛んでいるのだから、可能性としては大いにあり得る。
「あらやだ、こんな話をしていたら私まで何だか鼻がムズムズしてきちゃったわ」
鼻を鳴らしながらそう言ったジーノさん。
それから少し雑談を交わし、今夜の食材を買いに店に寄ることを約束した。
久々に料理でも作ろう。
ララの好きな南鱧瓜のスープと鵜鶏鳥の手羽先の唐揚げなんかもいいかも知れない。
私は足早に洋裁店へと向かった。




