カルテ16 女神アルテナと薬神パテカトラ
街の中央に聳え立つ魔術学園。
その広大な敷地内にケミル神父が司祭を務める教会がある。
魔術学園のオーナーであるモルディ伯爵はアルテナ教の敬虔な信者だ。
同じ教会でも薬神パテカトラを崇める薬師教会とは規模も寄付金の額も大きく違う。
言い伝えでは女神アルテナは薬神パテカトラとは不仲であったが、神々の戦争で勝利したアルテナが世界を支配するに至ったらしい。
その際にパテカトラを配下として迎え、戦争で傷ついた神兵らを治療させたのだという。
つまり薬師教会はアルテナ教の傘下でもあり、力関係もおのずとそういった形となる。
「……ど、どうなんですか? 私、赤ちゃん出来ちゃってるんですか……?」
ひっそりと静まり返った教会でジルの声が響き渡った。
私は彼女に寄り添いながらケミル神父の言葉を待つ。
「気持ちは分かるが、そんなに急かさんでくれ。もう少しで終わるから」
苦笑いをしたケミル神父だが、その顔は穏やかでジルの気持ちを察してくれているように見える。
ジルの腹部に翳した手から暖かな光が零れ、薄暗い教会内全体を照らし出している。
『女神の祝福』。
ケミル神父の唱えた魔法により、ジルが妊娠しているかどうかが判明する。
「……おお、やはりミレイの予感は当たったようだ。性別はまだ分からんが、すくすくと育っているよ」
ジルから手を放したケミル神父はにっこりと笑いそう答えた。
その瞬間、ジルが椅子から転げ落ちそうになる。
「ちょっと、ジル。大丈夫?」
「あ……ごめん。ショックで眩暈がしちゃって……」
彼女の身体を支え、もう一度しっかりと椅子に座らせてやる。
女性が子を身籠ったのだ。
動揺するのも無理はない。
「父親はクライム君だろう? 魔道師と舞闘士の子だったら、さぞ優秀な魔法闘士に育つのだろうな。将来が楽しみだよ」
「はぁ」
ケミル神父の言葉が耳に入って来ないのか。
うわの空のまま適当に返事をするジル。
「町長にも報告に行ったほうが良い。それから、しばらくは安静にすること。お腹に子を抱えたままモンスターと戦うなど言語道断だ」
「町長の家には、これから私も一緒に付き添って向かうつもりです。彼女の今後のケアは私にお任せください」
放心状態のジルに代わりケミル神父にそう答えた私は、椅子からジルを立たせた。
そして深く頭を下げ、彼女と一緒に教会を後にする。
魔術学園の校舎裏を歩き、片隅にあるベンチに座る。
ようやく現実を認識し始めたのか、ジルが私に向き直り口を開いた。
「…………はあぁぁぁ~~~。赤ちゃん……赤ちゃんかぁ~~。まあ、やることやってるし、そりゃまあ出来るよね。はぁ……」
「ジルは嬉しくないの?」
頭を抱えたままのジルに優しく質問する。
望まれない子供だとしたら、こんなに悲しいことなどない。
「ううん、そうじゃないんだ。あいつとは付き合いも長いし、いつかこうなるかなー、とも思ってたし。でも……」
「でも?」
彼女は何か不安を抱えている。
私が出来ることと言ったら、話を聞いてあげることくらいしかない。
「……あいつ、喜ぶかな。ミレイも知っているでしょう? あいつの浮気癖。いままでに一体何度、大喧嘩したことか。はぁ……」
再び頭を抱えたジル。
確かにクライムの浮気話は今までに何度か聞かされてきた。
その度に喧嘩をし、診療所に愚痴を言いに来ていたくらいだ。
「男の人は、子供が出来たと知ったら変わるんじゃないかな。きっと喜んでくれると思う」
「本当? あのクライムが? ぜんぜん、まったく、これっぽっちも信じられないんだけど」
はっきりとそう言い切るジルだが、何だかんだ言いながらこの二人は仲が良い。
そのことを街の皆は知っているのだ。
つまり、彼女は『自信』が欲しいのだと思う。
『勇気』と言ってもいい。
愛する人の子を身籠ったことを、本人に伝えるための勇気――。
「クライムさん、酒場にいるのよね。ちょうどカイトもそこにいるみたいだし、町長さんの所に行く前に寄って行かない? 私も付き添ってあげるから」
「うわ、それすごい助かる! 修羅場になったらカイトと二人で止めてね! 主に私を!」
急に元気になったジルは勢い良くベンチから立ち上がった。
これくらい冗談が言えるようだったら、恐らく大丈夫だろう。
クライムも浮気性だが薄情な男ではない。
それが分かっているからこそ、ジルは彼を愛しているのだから。
校舎裏を出た私達は中央通りを南に進み飲食街へと向かう。
鍛冶店の前を通りかかると、店内から店主のザザノさんが笑顔で手を振ってくれた。
終焉のダンジョンから帰った後、拾った素材をすべて彼に譲ったのだ。
もちろん魔法剣のお礼なのだが、あれ以来良く診療所にも訪ねてくるようになった。
笑顔で彼に手を振り返す様子をジルが興味深そうに見ている。
「……イケメンで敏腕な鍛冶店の店主と、ツンデレで大柄な熟練重剣士。ミレイちゃんは一体、どっちを選ぶのかな?」
「だから! 違うって言っているでしょう!」
ジルの言葉で一気に顔が赤くなってしまう。
何だか声も上ずってしまった。
「あんたねぇ……。人の恋を心配する前に、自分の恋をどうにかしないとね」
「どうにか、って言われても」
彼女の言いたいことがいまいち理解できない。
私の恋はすでに終わっているのだ。
前世で愛する人に捨てられ、病魔にこの身を喰らい尽くされた、その時に。
「……よし。私の件が終わったら、次はミレイだね。どっちを選ぶにしろ、全力で応援するよ。ミレイを泣かすようなことがあったら、私の拳が火を噴くぜ……!」
大きく拳を握り締め、天高く掲げたジル。
その様子を店内から不思議そうに眺めているザザノ。
「もう、いいから……! 早く酒場に行きましょう!」
慌ててジルの背中を押して南通りを小走りに進む。
――でも、彼女の言うとおりかもしれない。
終わったのは『前世の恋』であって、今ではない。
そろそろ私も一歩、踏み出す時期なのかもしれない。
彼女の背中を押しながら、私はまた頬が赤くなっていることに気が付いた。




