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おちる  作者: 石子
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執着

 さなえが俺の胸を包丁で刺すまでの動作がやけにゆっくりに感じた。



 俺は彼女に俺の状況を打ち明けただけだ。

 彼女の判断は早かった。静かに台所にあった包丁を握り、

「私に出来ることはこれだけですね」

 そう言った。

 さなえは俺の気持ちをいつでも一番に汲み取ってくれる。今回も例に漏れず俺の望み通りの行動をしてくれた。

 俺には、彼女の父親を殺すという選択肢もあったが、何を優先させたいかと考えた時の答えは彼女の中の俺の存在が一番であることだった。

 どこで計画が狂ったのだろう。

 順調だと思ったのは見せかけで、本当はさなえに近づいたあの時から俺の運命は決まっていたのかもしれない。




 優雅な音楽が奏でられ、華やかな衣装をまとった人々が楽しそうにダンスを踊る。

 俺は、そんな人の波を縫うように少しずつそちらに近づいていった。起業家としての俺の知名度はそこそこあるようで、次々に取引先の人間や、どこぞの令嬢達が声を掛けてくる。

 焦る必要はない。

 声を掛けてくる人々皆にそつなく笑顔で対応する。女にダンスを申し込まれることもあったが、苦手なんですよ、と困った笑顔で返す。代わりにまたの機会にお会いしたいですね、などと言って名刺を差し出せばその場を凌ぐことができた。

 そして、ホールの隅で一人ぽつんと立っている地味な女に目を移す。

 おうとつの少ないはっきりしない顔立ちが派手なドレスには不似合いで、滑稽な置物のようにも見えた。

 それがさなえだった。俺が狙っている財閥の令嬢。

 それなりの格式のある家の娘とあって、あいさつやお世辞を言いに最初は人が集まっていたが、一通りそれが終わると一気に人が周りから去っていった。

 その状況を見つつ、俺は通りかかった給仕の盆からグラスに入ったシャンパンを二つ貰い受けると、さりげない風を装って近づく。

「楽しんでおられますか?」

 にっこりと笑いかけながらさなえの前にグラスを差し出した。

 彼女は急に自分に掛けられた声に驚いたように俺の方を見る。そしておずおずと、目の前のシャンパングラスを受け取った。

「すみません。驚かせてしまいましたか? 貴女と一度お話ししてみたいと思っていたんですよ」

 俺のその言葉に、彼女が訝しげに思っているのがよくわかった。造りのよい顔ではない。男が容姿に惹かれて声を掛けることはまずないだろう。さらに、今徐々に財界での力を失いつつある彼女の父の財閥との繋がりを求める人間も減っていることは周知の事実。彼女もそのことをよく理解しているのだろう。

「私など……」

 硬い声音で応じる彼女。自分では気付いていないのだろうが、そんな警戒感まるだしの態度をとっていれば周りに人が寄り付かなくなるのも無理はない。

 会話が続かないことにちょっと苛立ちを覚えたが、しゃべりすぎる女よりはましだろう、と気を取り直して、俺は言葉を続けた。

「もっと、貴女と色々とお話をしたいなぁ。今度改めて食事にお誘いしてもよろしいですか?」

 それを聞いて、動揺しているのかさなえは忙しなく目線を左右に行き来させる。

「私なんてお誘いになっても、あなた様がきっと楽しめませんわ……」

 自覚しているのは結構だが、断るにしてももっとうまいやり方があるだろう。

 そんな風に思ったことはおくびにもださずに、俺は言い募る。

「本当にそんな風にお思いなんですか? 貴女のように素敵な方がご自分のことをあまり卑下なさるものではありませんよ。……あ。僕との食事、お嫌ですか?」

 俯き気味だった彼女が顔を上げて俺の方を見る。大袈裟にならないように不安げな表情をつくった甲斐があるというものだ。

「いえ。嫌だなんて、そんなことありません」

「よかった。じゃあ、決まりですね」

 俺は再びにっこりと笑ってみせる。

 彼女は顔を赤くして俺から視線を外したが、小さく「はい……」というのが聞き取れた。




 俺は順調にさなえと彼女の親に取り入ることに成功した。

 プライドだけが高い財閥の一家。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続ける俺の会社の財力は魅力があったはずだし、俺は事業の拡大のために財閥の格式が必要だった。

 そのために繋ぎ役になる人間など誰でもよかったのだが、でしゃばることのないさなえの性格は好都合だった。

 いかにも外の世界を知らないお嬢様らしく、他人から家族のことを悪く言われたりすると感情的になることもあったが、そうでなければただ穏やかな女だった。

 こういう女と付き合ったことがなかったので、最初は気味悪くすら思うことがあったが、どうやら彼女は俺に尽くすのが楽しいらしい。

 うわべだけやさしくするのはたいして苦にならない。徐々に、たまに自然な笑顔になることがあるからか、不細工な顔も気にならなくなってきた。

 彼女の父や母も俺の事を信用しきっている。




 そんな風に月日が流れ、俺はさなえと結婚をし、財界の人間たちとの繋がりを広げていった。

 ただそこで問題になったのが彼女の父親だ。最初こそ俺の事業に口を出すことはなかったが、拡大とともに野心が出てきたのかでしゃばってくるようになった。

 邪魔にならなければ別にいいと思っていたが、俺が懇意にしている取引先に不利になるような契約を、俺の知らないところで進めているらしい。

 俺を陥れようなんて気はないようで、彼の旧知の会社との取引を優先させたいだけのようだったが。

 どうしようかと様子を見ていた時、俺の取引先の人間からその父を殺してしまおうという提案を受けた。

 合理的な方法だ。俺が直接手を下すわけでもない。

 彼女の父を殺すことは俺にとっても財閥の実権を握れるというメリットがある。




 俺はその計画を躊躇した。

 俺はその頃には、さなえに会いに家に戻る頻度が増えていた。結婚してからも長らく家でゆっくりすることなどほとんどなかったのだが、驚いたことに、俺は彼女と過ごしたいと思うようになっていた。

 いつでも静かにただ寄り添ってくれるこの地味な女に安らぎを覚えるようになった。

 父親が死ねば、さなえはどう思うだろうか?

 さなえはカンがいい。

 恐らく俺が関わったことに気付くだろう。

 多分さなえは、俺が犯罪を犯そうが他人を殺そうが黙ってついてくる。しかし、彼女の父や母への愛情はそれに勝るほど深い。

 彼女の気持ちが俺から離れてしまうことが恐ろしくてならなかった。

 このままでは俺の中で色々なことが破綻してしまう。

 俺は父の殺害に手を貸さなければ今の地位をなくすくらいに追い込まれていた。




 彼女が父親を殺されるのを見逃せるわけはないし、俺の仕事の邪魔をするような女でもない。

 それをわかった上で俺はさなえにすべてを話したのだ。


 君の父を殺すか、俺を殺すか。


 俺の中にそれ以外の選択肢はなかった。

 刺された胸の辺りから、どんどん血が出てくる。

 さなえの悲しみに満ちた黒い瞳に映った俺は晴れやかな笑みを浮かべている。

 俺のために一生後悔すればいい。

 彼女にはその覚悟がある。

 彼女の記憶から俺が消えなければそれでいい。

「君は僕のものだ」

 俺のその呟きが彼女の耳に届いたかはわからないが、俺は満足して目を閉じた。

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