4. 男
「失礼いたします」
扉が開いて秘書の佐脇が入ってきた。
「専務。午後の予定が変更になりました」
木頭貴弘きとうたかひろはモニターから目を離さずにあいまいに頷いた。
「昼は?」
「はい。木崎コーポレーションとの会食は予定通りです。その後高杉グループの方との合併交渉の会議がありましたが、あちらの会長の体調が優れないとのことで来週に延期をさせていただきたいとのことです」
「来週か。予定は?」
「問題ございません」
佐脇の答えに軽く頷いて了承を返すと、貴弘は目を上げた。
「…どうだ?」
その問いに佐脇は目を伏せた。
「申し訳ございません。」
そうか、とため息をつきながら貴弘は頬杖をついた。
彼女はどこにいるのだろう。
貴弘は物憂げに目を細めた。
あの日あきが遭遇し、逃げ出した男性はこの男だった。
男はMASAKIグループ会長真崎武の甥でそのグループ会社のMTインターナショナルの専務だった。
MASAKIグループといえば誰でも知っているといわれるほどの大企業である。
その中でも半導体、電子部品などの製造、販売部門が独立したのがMTインターナショナルだ。
かつては社内の一部門でしかなかった事業だが、最近の世情と社内での技術研鑽と販売戦術により今やグループ内の3分の1以上の利益を占めている。
貴弘が今年専務についた時には、他社のお偉い様方からは、「若造が…」という無言の空気がそこかしこからもれていた。
入社したばかりのころは、会長の教育方針もあり、貴弘も全くの平社員からはじめた。
自身の実力で3年で誰の反対もなく課長へ抜擢され、8年目の今は専務についている。
最初は会長の親族であることも秘密にしていたが、自身の実力が認められ、誰の反感をもはねつけられるように実力を見せてきた結果、30の若さで専務という立場についていても社内に反感の目を向けるものはいない。
実際、貴弘が専務になってから社の売り上げは2倍に伸びたといわれている。
そのやり手ぶりと貴弘の容姿があいまって、今や独身女性からは「結婚するならことの人ベスト5!」に入るといわれている。(事実女性雑誌にそんなテーマで取り上げられたことがあるのだ)
本人の意思とは無関係に見合いを勧めてくる他社の社長は引きもきらない。
貴弘とてまんざらではないが、結婚には今のところ興味がない。
恋愛も仕事に影響を与えない程度に、というほどの関心しかなかった。
幸いにも寝る女性には事欠かないし、それでも注意してあとくされのない女性ばかりを選んで付き合ってきた。
なのに。
なのに、だ。
あの日であったいかにも平凡、といった感じの彼女が頭から離れないのだ。