神様なんて願えない
ごめんなさい、前後編の前編になります。ハッピーエンドまでもうちょっとかかります。
ふわふわと何枚も重ねたシフォン、細かな刺繍の施されたレース。
宝石なんて持ってないから、摘みたての花が色を添える。
真っ白なウェディングドレスは軽くてしなやかで、それでいて酷く冷たい。
多分幸福なんてこれっぽっちも感じないで身に付けてるからなんだろう。とロロナは小さく笑う。
なんにせよ、動きやすいのはいい事だ。これからの事を考えれば尚更に。
相手の男はどこぞの次男。
女子の間ではかなり評判の悪い女好きと有名な彼に嫁ぐ理由は、おかしな事に向こうの熱心な求婚によるものだ。
両親がどうしてなのかと首を捻りつつも受け入れたのは熱意に負けたから。
けれど、ロロナは知っている。その熱心な理由が、ロロナが相手の男に靡かなかった悔しさでしかない事を。
「それでも、結婚するのは仕方ないと思ったんだけどね」
なんだかんだ疑問を持ちつつも、両親はロロナが結婚する事を喜んでいた。それこそ即座にこのドレスを用意するほどに。
だから、この日までと決めて恋を諦めたのだ。
本当はまだ心の奥底が泣き叫んでいるけれど、両親が喜んでくれるなら諦めようと。
「でも、ね」
ひらりと動きを確かめて、最後の確認と鏡を覗き込んだ。
映った顔はとても花嫁とは思えぬ不敵な笑みを浮かべている。
「好きな人の迷惑になりたくはないもの。そんな人と幸せになんてなれないから、許してね」
本当についさっき、たまたま聞いてしまったのだ。
結婚相手の真の目的は、エヴァンを苦しめる為だと。彼への復讐の為に、エヴァンと関わりのある女性を片端から傷つけるその一人がロロナなのだと。
「そんなの、許せないじゃない」
だってエヴァンはロロナの事を好きではないのだ。恋人ならば巻き込まれてもまだわからなくはない、だけど一方的に想いを寄せられてるだけの女性の事にまで責任を負わせてしまうのは、おかしい。
「せっかくエヴァン様の中で気になる程度に綺麗な終わり方をしたのに、最低な思い出にされたらたまったものじゃないわ」
自分を好きだと言い続けた少女、ある日突然現れなくなって。それに気付いた時、ほんの少しでも気になったら充分だった。
それ以上は何も望まない。なのに、そのささやかな願いを最低なシナリオで上書きされるなんて。
そんなの、絶対に嫌だから。
「おとなしい女の子だなんて勝手に思い込んだ方が悪いって事で」
スカートをたくしあげて窓からひらりと外に出る。
幸いここは一階、たいした労力も必要ない。それよりも頭についたヴェールがひらひらと舞うのが少々鬱陶しいが、ひとまずは逃げるのが先だとそのまま裏門へと足早に進む。
物語なら王子様が現れてハッピーエンドになるのだろう。けれどここにエヴァンが現れるはずがない。恋人でもないのに願っても叶う訳がないのだから、未来を変えたいなら自分から動かなければ。
幸いこの時間裏門には誰もいないのはあらかじめ聞いてあった。だから、安心して逃げられるはずだった。しかし、近づくにつれて聞こえたのは男性の声。
まさか逃げ出すと見越して見張りでもいたのかと一瞬顔を強張らせ、だがすぐに聞き覚えのある声だと目を瞬いた。
エヴァンに会いに行くと時々一緒にいた騎士の声。そう思ったのと、門にいた人が振り返ったのは同時で。
「……ロロナ?」
「エヴァン、様」
今一番会いたくて、だけど同時に物凄く会いたくなかった人がいた。
どうして、と頭が真っ白になる。結婚するとは知らないはずだ、だからここにいるはずがない。いるはずがないのに。
「なん、で」
「それはこっちのセリフだ。どうしてここに」
驚きをあらわにしたエヴァンの傍らで、知り合いの男性が小首を傾げる。
「あれ、それウェディングドレスですよね。私達がこれから捕らえに行く奴は今日ここで結婚って話でしたが、もしかして」
「それがアストロの次男の話なら、結婚相手は私でした」
「ああ、やはり……どうします?」
最後の問いはロロナではなくエヴァンに向けたものだった。
「彼女も捕らえますか? 結婚相手なら加担している可能性は充分にありますが」
「馬鹿な、ロロナがそんな事出来る訳ないだろう。ロロナがどんな人物かは、俺が一番よく知っている」
ムッとした顔で男性に告げる断定に、ロロナは目を丸くしてからにこりと笑った。
「ありがとうございます、エヴァン様。ついでにそこを通して下さるとありがたいのですが。私今、逃げてる最中なので」
「逃げて?」
「ええ、結婚から。親が決めたので諦めてたんですけど、どうも貴方を苦しめる為だけに結婚するような話を聞いたので。ついでにこのままどこかの修道院に駈け込んで髪を切ろうかと」
「……修道院?」
にっこりと笑うロロナに何故か酷く狼狽した様子でエヴァンは視線を泳がせる。
「どうして……」
「だって好きでもない人と結婚したくないですから。こんな馬鹿みたいな事は一度で充分です」
そう言って顔を上げたロロナは、どこか辛そうなエヴァンに苦笑する。
「そんな顔をしないで下さい、エヴァン様。私が納得して選んでいるんです」
「だが」
「同情なんかで私と結婚するなんて言わないで下さいね? そんなものに意味なんてない、ただ虚しいだけですから」
何かを言い募ろうとしたエヴァンを先に牽制し、ロロナは笑う。
「好きな人に愛されて花嫁になれないなら、花嫁になんてならない方がずっと幸せです」
沈黙が流れた。これ以上ロロナが言うべき言葉はないが、何か言葉を探しているらしいエヴァンが退いてくれない為に動けない。
ぐずぐずしていたら、誰かロロナがいない事に気付いてしまうかもしれないのに。
「通して下さい、エヴァン様。もし、あなたの心にほんの少しでも私の存在があるのなら」
「君は……」
エヴァンが口を開くのと、怒号が響いたのは同時だった。
「いたぞ!! あそこだ!!」
「捕まえろ!!」
見つかってしまった。このままでは、よりにもよって好きな人の目の前で他の男の妻にされてしまう。血の気の引いた顔でロロナはエヴァンに懇願する。
「お願いです、通して!!」
無理にでも通り抜けようとした腕は、けれどエヴァンにしっかり掴まれて。
「悪いが、行かせられない」
耳元で聞こえたその言葉に、絶望のあまり目の前が暗くなった。
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