第4話 食堂
食堂は空いていた。
朝の早い時間帯。数人の兵が端のほうで食事をしているだけで、奥のテーブルは誰もいない。
「ここでいい?」
「はい」
向かい合って座る。
——ああ、この距離。テーブル一つ分。レオンの顔がちゃんと見える距離。碧い目が、朝の光で少しだけ薄く見える。白銀の髪が、いつもより柔らかく揺れてる。
三年間、この距離がなかった。
「……久しぶり」
「何がですか」
「こうやって、向かい合って食べるの」
レオンは少し考えてから、頷いた。
「……そうですね」
「三年分だからね。三年間、ずっと一人で食べてた」
「それは」
「あ、別に責めてない。事実を言っただけ」
「……はい」
配膳が来た。スープと、硬いパンと、何かの煮物。前線の食事にしては悪くない。
セレナはスープを一口飲んで、顔をしかめた。
「……薄い」
「前線ですから」
「知ってる。でも薄い」
「塩を足しますか」
「いい。文句言いたかっただけ」
「そうですか」
レオンが自分のパンをちぎる。小さく、均等に。長い指が丁寧にパンを割く。昔からこの食べ方だった。
「あんた、まだそうやって食べるんだ」
「癖なので」
「知ってる」
知ってる。全部知ってる。パンのちぎり方も、スープを先に飲むことも、食事中に姿勢が崩れないことも。
三年経っても、何も変わっていない。
それが嬉しくて、少しだけ泣きそうになる。もう泣くのは終わりだって決めたのに。
「……ねえ」
「はい」
「あんたさ、三年間何してたの」
「各地の前線を回っていました。衛生体制の再編のために」
「ふうん。忙しかったんだ」
「はい」
「楽しかった?」
「……楽しいという感覚は、あまり」
「でしょうね」
セレナはスープをもう一口飲む。
「私はね、全然楽しくなかった。毎日地獄だったよ」
軽く言った。笑いながら。
レオンは何も言わなかった。否定も、謝罪も。ただ、少しだけ碧い目を伏せた。
それで十分だった。この人はそういう人だ。言葉じゃなくて、目で伝える人。
「でもまあ、もういいよ。終わった話」
「……はい」
「これからは二人でやるんだから」
セレナはそう言って、パンを大きくちぎった。レオンの倍くらいの大きさで。
「食べ方、相変わらず大雑把ですね」
「うるさい」
二人とも、少しだけ笑った。
天幕の隙間から朝日が差し込んでいる。食堂の空気はぬるくて、少しだけ油っぽい匂いがする。
きれいな場所じゃない。特別な食事でもない。
でもこの三年間で一番美味しい朝ごはんだった。
「おかわりいる?」
「大丈夫です」
「少なくない? 昨夜からずっと治療してたんでしょ」
「慣れています」
「それ、慣れちゃいけないやつだからね。人のこと治す前に自分の面倒見なよ」
「セレナに言われたくはないですが」
「……それはそう」
二人とも、少しだけ笑った。
「……ねえ」
「はい」
「ここの衛生兵、ひどいでしょ」
「ひどいですね」
あっさりだった。
「やっぱり。あんたから見てもそう」
「昨夜のような夜が続けば、いずれ死者が出ます」
「……分かってた。でも私じゃどうにもできなくてさ」
「団長が後方まで見る必要はありません」
「でも見てた。あんたがいなかったから」
「……はい」
「もう見なくていいんだよね」
セレナは、レオンを見た。碧い目を、まっすぐ。
「後方は任せていい?」
レオンは一瞬、何か言いかけた。口が開きかけて、閉じた。
「……ええ。任せてください」
その間は、セレナには分からなかった。
「よし。じゃあ今日から私は前だけ見る。後ろは全部あんた」
「はい」
「三年ぶりだよ。後ろを気にしなくていい戦場」
セレナは笑った。三年間で一番軽い笑い方だった。
「……楽しみ」
そう言ったセレナの顔を、レオンは静かに見ていた。何を考えているか、分からない表情で。
食堂を出ると、外はもう明るかった。
兵たちが動き始めている。朝の点呼の準備をする声が聞こえる。
「じゃあ、私は本隊に戻るね。午後の前線に出る準備がある」
「前線はだめだと言いました」
「明日の前線の準備だって。今日は出ないよ」
「……本当ですか」
「本当。団長は嘘つかない」
「三年前にもそう言ってましたが」
「覚えてんの? 性格悪いね」
「記憶力がいいだけです」
セレナは笑って手を振った。背を向けて歩き出す。
——数歩で、振り返った。
レオンがまだ立っている。見送っている。白銀の髪が朝日に光ってる。
……ずるい。なんでこの人はこう、何気なく立ってるだけで絵になるんだろう。
「……なに?」
「いいえ。何も」
「変な人」
「よく言われます」
今度こそ背を向けて歩く。足取りが軽い。三年間、こんなに軽く歩いたことはなかった。
レオンが帰ってきた。もう一人じゃない。後ろが空いていない。明日から、また二人で戦える。
今日は、いい日だ。三年ぶりの、本当にいい日。
セレナは鼻歌を歌いそうになって、やめた。さすがに団長が前線で鼻歌はまずい。
でも、口元は緩んだまま歩いた。
セレナが去ったあと、食堂の入り口で副官のエリクがすれ違った。
レオンに軽く敬礼して、何気なく言った。
「お疲れ様です。——ああ、そういえば配属期間の書類、明後日までに確認印お願いしますね」
「……分かりました」
エリクはそのまま食堂に入っていった。
レオンは、セレナが歩いていった方向を見ていた。
しばらく、動かなかった。




