第34話 二人の叙勲
朝、エリクが封筒を二つ持ってきた。
「団長、これが届いています。レオンさんにも」
受け取った。ずしりと重い。
紙が違う。普通の通達書じゃない。厚くて、硬くて、表面が少し光ってる。最高級の紙。金の箔押しで紋章が入ってる。ヴァルトハイム帝国の国章。
戦線への配属命令なら、こんな紙は使わない。くたびれた茶封筒に、ぺらぺらの紙一枚。それが戦場への切符だ。何度も受け取った。
これは違う。
「……招待状だ」
封を開けた。
『第五騎士団団長セレナ・ヴァレンティス殿、ならびに同騎士団衛生兵長レオン・グラハム殿。ヴェルデン、グラオヴァント、ルクセン各戦線における卓越した功績を称え、暁星勲章を授与する。つきましては、叙勲式典へのご出席を——』
レオンも自分の封筒を開けてる。長い指が丁寧に紙を広げる。碧い目が文字を追ってる。
「……叙勲ですか」
「うん。二人とも」
「……同時に」
「同時に」
レオンが少しだけ目を上げた。碧い目がこっちを見た。
「……前回の叙勲は」
「うん。一人だった。最悪だった」
「……はい」
「今回は二人だよ」
「……はい」
——前回は一人だった。ヴェルデン奪還の功績。トイレの個室で泣いた。勲章が涙で濡れた。あれは褒美じゃなかった。罰だった。
今回は違う。招待状が二枚ある。同じ紙。同じ紋章。同じ重さ。
「……ねえ」
「はい」
「嬉しくないの?」
「……嬉しいかと聞かれると、よく分かりません。ただ」
「ただ?」
「セレナと一緒なら、悪くないです」
——出た。「悪くない」。この人の最上級。
嬉しい。前回のあの地獄が嘘みたいに、今は嬉しい。だって隣にこの人がいるから。
式典場は前と同じだった。
高い天井。磨かれた床。並ぶ文官と騎士たち。前回と何も変わってない。
——でも私が変わった。
正装を着た。白い礼服。前回は鏡に映った自分が知らない人だった。目の下に隈。頬が痩けてた。
今日は違う。顔色がいい。ちゃんと食べてるし、ちゃんと眠れてる。胸元にはネックレス。碧い石が礼服の白に映えてる。
「……セレナ」
「なに」
「正装、似合ってます」
振り返った。
——は。
レオンが正装を着てる。
白い礼服。白衣じゃない。私服でもない。正式な軍の礼服。肩章がついてる。金のラインが入ってる。
白銀の髪が礼服の白に溶けてる。碧い目がいつもより深く見える。姿勢がいい。背が高い。細身だけど、礼服が肩にぴったり合ってる。
——なにこれ。反則でしょ。
この人に正装を着せちゃだめだ。かっこよすぎる。普段の白衣でもやばいのに、礼服なんか着せたら——
「……セレナ?」
「……なに」
「固まってますが」
「固まってない」
「固まってます」
「……あんたの正装が目に毒なだけ」
「……目に毒ですか」
「毒。猛毒。致死量」
「……大げさでは」
「大げさじゃない。——行くよ」
並んで歩いた。式典場の廊下。前回は一人でここを歩いた。握手して、笑って、期待に応えて、トイレで泣いた。
今日は隣にレオンがいる。
——それだけで、こんなに違う。
廊下ですれ違う人たちが、二人を見てる。レオンを見てる。当然だ。あの正装のレオンを見て目を引かない人間はいない。
文官の女性が二人、すれ違いざまにレオンを振り返った。ひそひそ話してる。
——また。どこ行ってもこれだ。
でも今日は腹が立たない。だってこの人は私の隣にいるから。隣にいて、「セレナと一緒なら悪くない」って言ってくれたから。
「……ねえ」
「はい」
「文官の人たち、あんたのこと見てるよ」
「……そうですか」
「気にならないの?」
「なりません」
「なんで」
「今は式典に集中しているので」
「……ふうん」
——この人は本当に周りが見えてない。いや、見えてないんじゃなくて、興味がないんだ。他の人に。
……私にだけ興味があるって思っていい?
——いや、思わない。思わないけど。思いたいけど。
名前が呼ばれた。二人同時に。
「第五騎士団団長、セレナ・ヴァレンティス。同騎士団衛生兵長、レオン・グラハム」
前に出た。並んで。半歩前と半歩後ろ——じゃなくて、今日は横並び。同じ高さ。同じ位置。
偉い人が何か言ってる。功績がどうとか。ヴェルデン奪還、グラオヴァント制圧、ルクセン制圧。戦線の名前が並ぶ。全部勝った。全部、二人で。
「前衛と後衛の連携において、類を見ない戦果を挙げた」
「治癒と強化の同時展開による後方革新は、軍の歴史に残る功績である」
「ここに、両名に暁星勲章を授与する」
——最高武勲章。
前回の勲章より、ずっと大きい。ずっと重い。
胸元に留められる。金属が触れた瞬間——
前回は、息を吸い損ねた。重さに潰されそうだった。
今日は——重い。でも、隣に同じ重さを背負ってる人がいる。
レオンの胸にも同じ勲章が留められてる。白い礼服の上に、金色の勲章。
——綺麗だな。この人の胸に勲章があるの。似合ってる。
拍手が鳴った。大きい。前回と同じ。でも今回は、拍手が二人に向けられてる。
「素晴らしい」
「前衛と後衛、両輪の英雄だ」
「全戦無敗の女英雄と、伝説の英雄医。まさに帝国の宝だ」
——帝国の宝、ね。大げさ。でも、嫌じゃない。
隣を見た。レオンが静かに立ってる。碧い目がまっすぐ前を見てる。表情は変わらない。穏やかで、静かで。拍手も称賛も、この人の中を素通りしてる。
でも——ほんの少しだけ、口元が緩んでる。私にしか分からないくらい。
あの微かな笑顔。この人なりの「悪くない」の顔。
嬉しい。一人で貰う勲章は罰だった。二人で貰う勲章は——ちょっとだけ、誇らしい。
式典のあと。
前回と同じ。上官に呼ばれた。式典場の裏。人の少ない廊下。
でも今回は、レオンも一緒だ。
ヴァイスが待っていた。師団本部の上級参謀。訓練場に視察に来たあの男。
「おめでとうございます。お二人とも」
「ありがとうございます」
「では、本題に入らせていただきます」
地図が広げられた。
前回もこうだった。グラオヴァントの地図。赤い線。青い線。あのときは、ここで死ぬと思った。
今日の地図は——違う場所だった。
大陸の西側。山岳地帯。国境の向こう。
「フェルゼン王国です」
ヴァイスの指が地図の上に置かれた。
「現在、帝国とフェルゼンの国境線は膠着状態にあります。フェルゼンは山岳地帯を利用した防衛戦に長けており、過去に三度侵攻軍を送り、三度とも撤退しています」
「三度……」
「はい。フェルゼンには優秀な指揮官がいます。ガルド・シュタイナー。通称『岩壁のガルド』。百戦錬磨の将軍です。この男がいる限り、通常の戦力ではフェルゼンは落ちません」
ヴァイスの目がセレナとレオンを見た。
「ですが、お二人の戦力は通常ではない」
「……」
「ヴェルデン、グラオヴァント、ルクセン。全て数日で制圧。後方支援の質が異常。前衛と後衛の連携が完璧。——この戦力であれば、フェルゼンの防衛線を突破し、王都を制圧することが可能だと判断しています」
「王都の制圧……」
「はい。戦線を超えて深く攻め入り、フェルゼン王国を帝国の支配下に置く。第五騎士団を主力として編成します」
セレナはレオンを見た。レオンもセレナを見た。碧い目が静かにこっちを見てる。
「……どう思う?」
「……データが必要です。フェルゼンの地形、兵力、ガルド・シュタイナーの戦術傾向。全て確認してから判断したい」
——この人はいつもこうだ。感情じゃなくて、データで判断する。それが正しい。それがかっこいい。
「資料はご用意します。検討期間は二週間。その間に、お二人で判断してください」
「お二人で、ですか」
「はい。今回は命令ではありません。打診です。お二人の判断に委ねます」
——命令じゃない。打診。
前回は命令だった。断れなかった。期待に応えるしかなかった。
今回は選べる。二人で。
「……ねえ、レオン」
「はい」
「二人で決めていいんだって」
「はい。二人で決めましょう」
——二人で。
この言葉が、こんなに心強いとは。
「ヴァイス参謀。資料をお願いします。二週間で結論を出します」
「承知しました。——期待しています」
期待。
前はこの言葉が一番重かった。勲章より重かった。
今は——少しだけ、背負える。隣にこの人がいるから。
廊下に出た。二人で歩く。正装のまま。勲章が胸元で揺れてる。
「……ねえ」
「はい」
「前に叙勲されたとき、トイレで泣いたって話したよね」
「……はい」
「今日は泣かなかった」
「……よかったです」
「あんたがいたから」
「……」
「あんたが隣にいたから、泣かなかった。それだけ言いたかった」
レオンが少し間を置いた。碧い目がこっちを見てる。あの穏やかな目が、ほんの少しだけ温かくなった。
「……僕も、隣にいられてよかったです」
——ずるい。その一言で、勲章の重さが半分になった。
並んで歩く。正装の二人。白い礼服と白い礼服。胸元に同じ勲章。
式典場の窓から、夕日が差し込んでいた。二人の影が、廊下に長く伸びている。
同じ高さで。同じ方向に。




