第33話 誕生日
五日目。
部屋から出られなくなって、二日が経った。
ベッドに横になってる。カーテンを閉めてる。暗い。何時か分からない。分かりたくない。
レオンが朝、ドアの外から声をかけてくる。
「セレナ、朝食です」
「……いらない」
「食べてください」
「いらないって」
「……ドアの前に置いておきます」
足音が遠ざかる。玄関が閉まる音。レオンが訓練場に向かった。
一人になった。
ドアの前に置かれた皿を、しばらく見つめてた。パンとスープ。レオンが作ったやつ。
食べなきゃ。分かってる。でも起き上がれない。
——レオンが出て行く未来。ミラと暮らす未来。子どもができる未来。白銀の髪の子ども。碧い目の子ども。普通の家族。
そこに、私はいない。
同じ想像。同じ痛み。もう何十回目か分からない。
夕方。
玄関が開く音がした。レオンが帰ってきた。
「ただいま戻りました」
「……おかえり」
部屋越しに声だけ返す。ドアは開けない。
「……セレナ。少しだけ、出てきてもらえますか」
「……今日は無理」
「五分だけ。お願いします」
——お願い。
レオンが「お願い」って言うの、珍しい。あの人はいつも「してください」「しましょう」。お願いは、滅多に言わない。
「……五分だけ」
起き上がった。鏡を見る。ひどい顔。目が腫れてる。髪がぼさぼさ。ポニーテールが崩れて半分下ろした状態。
——こんな顔、見せたくない。
でもレオンが「お願い」って言った。
ドアを開けた。廊下。暗い。居間のほうに灯りが見える。
歩いた。居間に入った。
——え。
テーブルの上に、ケーキがあった。
小さなケーキ。苺が乗ってる。ろうそくが一本。火がついてる。オレンジ色の光がテーブルの上で揺れてる。
レオンが立っていた。白銀の髪。碧い目。白衣じゃなくて私服。少しだけいつもと違う、ちゃんとした服。
その手に、小さな箱を持ってる。
「……なに、これ」
「誕生日です」
「……え?」
「今日は、セレナの誕生日です」
——あ。
忘れてた。完全に忘れてた。五日間、暗い部屋で壊れてて、自分の誕生日を忘れてた。
「……今日?」
「はい。今日です」
「……ケーキ」
「はい。朝から作りました。——正確には、レシピをミラに教わりました」
——ミラ。
心臓が止まりかけた。
「……ミラに?」
「はい。僕は菓子を作ったことがなかったので。ミラが得意だと聞いて、教えてもらいました」
「……」
「買い物も手伝ってもらいました。材料の選び方が分からなかったので。カイルとミラに付き合ってもらいました」
——買い物。
あの日。ミラとレオンが並んで歩いてたあの日。
「……あの日の、買い物って」
「はい。ケーキの材料と、それから——」
レオンが小さな箱を差し出した。
「これを選ぶのを、手伝ってもらいました」
箱を受け取った。手が震えてる。
開けた。
ネックレスだった。
細い銀の鎖。小さなペンダントトップ。碧い石がはまってる。レオンの目と同じ色。
「……これ」
「ミラに相談しました。セレナに似合うものが分からなかったので。何軒か回って、ミラが『これがいいと思います』と」
「……ミラが」
「はい。選ぶのに時間がかかってしまって。何日かかけて——」
「……何日かかけて」
——あの日々。
レオンの帰りが遅かったあの日々。ミラと歩いてたのも。帰りが遅かったのも。
全部。
全部、これのためだったの。
全部、私のためだったの。
「……あんた」
「はい」
「あんたが最近帰りが遅かったのって」
「はい。プレゼントの準備です」
「ミラと歩いてたのも」
「はい。一緒に店を回っていました」
「カイルと買い物してたのも」
「はい。材料を——」
「……全部、私のため?」
「当然です。セレナの誕生日ですから」
——当然です。
当然、って言った。あの低い声で。あの穏やかな顔で。当たり前みたいに。
私がこの五日間、何を考えてたか。この人がミラのところに行くんだと思ってた。この家から出て行くんだと思ってた。普通の家族を作って、そこに私はいないんだと思ってた。
死にそうだった。消えたかった。暗い部屋で二日間動けなかった。
全部——全部、勝手な想像だった。
この人は、私のためにケーキを焼く練習をしてた。私に似合うネックレスを何軒も回って探してた。ミラに「これがいいと思います」って選んでもらってた。
全部、私のため。
涙が出た。
止まらない。止められない。五日分の全部が溢れた。
「……っ、ばか」
「……」
「ばか。ばかばかばか」
「……何か、間違えましたか」
「間違えてない。何も間違えてない。——私が、馬鹿だったの」
「……?」
「五日間。五日間ずっと、馬鹿なこと考えてた」
「……何を」
「言えない。絶対言えない。恥ずかしすぎて死ぬ」
「……そうですか」
レオンが困った顔をしてる。碧い目が少し泳いでる。泣いてる女の前で、何をしていいか分からない顔。
——この顔。この困った顔。好き。大好き。
「……ねえ」
「はい」
「ネックレス、つけて」
「……僕がですか」
「うん。あんたがつけて」
レオンが箱からネックレスを取り出した。銀の鎖が長い指に絡まる。
「……失礼します」
レオンがセレナの後ろに回った。近い。背中にレオンの体温を感じる。あの人の手が、首の後ろに触れる。長い指が留め具を留める。
冷たい。レオンの指。いつも冷たい。でもその冷たさが、今は心地いい。
「……できました」
首元に、銀の鎖の重み。小さくて、軽い。でも、ちゃんとある。
碧い石が、胸元で光ってる。レオンの目と同じ色。
「……ねえ」
「はい」
「似合う?」
レオンが正面に回った。セレナを見た。碧い目がまっすぐ。
——あ。
レオンの表情が、変わった。いつもの穏やかさとも、困った顔とも違う。
見惚れてる。
この人が。あのレオンが。私を見て、一瞬、見惚れてる。
「……似合ってます」
声が、少しだけ低かった。いつもより。
「……ありがとう」
「誕生日おめでとうございます。セレナ」
——ずるい。こんなの、ずるい。
五日間の地獄が全部吹き飛んだ。暗い部屋も、泣いた夜も、消えたかった朝も、全部。
この人が「おめでとうございます」って言っただけで。碧い目で見つめられただけで。全部、消えた。
「……ケーキ、食べていい?」
「はい。そのために作りました」
「一緒に食べよ」
「……はい」
ろうそくを消した。二人でケーキを切った。レオンが切った。正確に。均等に。
一口食べた。
「……おいしい」
「ミラの指導が良かったので」
「あんたが作ったんでしょ。あんたのケーキだよ」
「……そうですか」
「そうだよ。——ねえ」
「はい」
「ありがとう。本当に。ありがとう」
「……はい」
レオンが少しだけ笑った。碧い目が細くなる。あの顔。世界で一番好きな顔。
ケーキを食べながら、涙が止まらなかった。嬉しくて。ただ嬉しくて。
——私は馬鹿だ。世界で一番馬鹿だ。
この人が、私以外のところに行くわけないじゃん。
……いや、分からない。分からないけど。でも今日、この人は私のためにケーキを焼いた。私のためにネックレスを選んだ。私のために「おめでとうございます」って言った。
それだけで十分だ。今は。
————
翌朝。
セレナは六時に起きた。シャワーを浴びた。髪を結んだ。ポニーテール。鏡を見た。
ネックレスが光ってる。胸元の碧い石。
——よし。
台所に行った。レオンがまだ寝てる。珍しい。いつもレオンのほうが先に起きるのに。
朝食を作った。パンとスープ。レオンに教わった切り方で野菜を切った。下手だけど。
レオンが起きてきた。パジャマ姿。白銀の髪が寝癖で跳ねてる。
「……おはようございます。……セレナ?」
「おはよう!」
「……元気ですね」
「元気だよ! 朝ご飯作ったよ!」
「……セレナが?」
「私が! 食べて!」
レオンが少し目を丸くした。碧い目が、少し戸惑ってる。
——そりゃそうだ。五日間死んでた人間が、朝六時に起きてシャワー浴びて朝食作ってるんだから。
「……何かあったんですか」
「何もない。元気になっただけ」
「五日間、部屋から出なかったのに」
「出た! 今日出た! 世界って明るいね!」
「……はい。明るいですね」
レオンが困った顔をしてる。いつもの困った顔。でも少し嬉しそう。碧い目が柔らかい。
朝食を食べた。セレナが作ったスープは薄かった。でもレオンは全部飲んだ。
「……味は」
「悪くないです」
「出た! 『悪くない』! 最高の褒め言葉!」
「……テンションが高いですが」
「高い! 今日は世界一テンション高い!」
「……そうですか」
訓練場。
セレナが歩いてきた。五日ぶり。ネックレスが胸元で揺れてる。
「おはよう!!」
全員が振り返った。
「だ、団長?」
トーマが目を丸くしてる。
「元気になったよ! ごめんね休んでて!」
「い、いえ! よかったです!」
マルクが腕を組んで見てる。
「……なんだ。生きてたか」
「生きてる! めちゃくちゃ生きてる!」
「テンションおかしくねえか」
「おかしくない! 世界が明るい!」
「……いや、おかしいだろ」
リーゼが静かにセレナの胸元を見た。ネックレス。碧い石。昨日までなかったもの。
「……解決したようですね」
「リーゼ! なんか相談ある? 乗るよ?」
「……いえ、大丈夫です」
「遠慮しないでよ! 何でも聞くよ!」
「……本当に大丈夫です」
リーゼが少しだけ笑った。この人が笑うの、珍しい。
後方で、カイルがナタリーに言ってる。
「五日間死んでたのに、なんであんな元気なんですか」
「ネックレスしてるでしょ。あれレオンさんが贈ったやつだよ」
「……ああ。あの誕生日プレゼント」
「大成功じゃん」
「成功の反動がデカすぎませんか」
「恋する乙女ってそういうもんだよ」
「乙女って。あの人、全戦無敗の女英雄ですよ」
「女英雄でも乙女は乙女だよ」
ミラが横で聞いてた。少しだけ唇を噛んだ。でもすぐに顔を上げた。
「……セレナさん、似合ってますね。あのネックレス」
「ミラちゃん……」
「私が選んだんですよ。レオンさんに似合いそうなの聞かれて。——よかったです」
ミラの目が、少しだけ潤んでた。でも笑ってた。強い子だ。
ナタリーがミラの肩を叩いた。何も言わずに。
ユーリが黙って包帯を巻いてた。
訓練が始まった。
セレナが剣を振る。速い。強い。五日間のブランクが嘘みたいに。
「団長、今日めちゃくちゃ強くないですか!?」
トーマが一合で吹っ飛んだ。
「ごめんごめん! 力入りすぎた!」
「いつもより三倍くらい速いんですけど!」
「そう? 身体が軽いんだよね今日!」
マルクが横で呟いた。
「……恋のパワーか」
リーゼが小さく頷いた。
「……恋のパワーですね」
「あいつ自覚あんのか?」
「ないでしょうね。あの人たち、お互いにない」
「……地獄絵図だな」
「地獄絵図ですね」
後方でレオンが強化を展開してる。いつも通り。穏やかに。静かに。
セレナに繋がった瞬間——跳ね上がった。いつもより。明らかに。
「……カイル」
「はい」
「今日の数値、記録してください」
「はいはい。——また上がりました?」
「……はい。セレナの状態が良いと、数値が上がるようです」
「セレナさんの状態が良いと、ね」
「……何ですか、その言い方」
「いえ。何でもないです」
カイルが笑ってる。
第五騎士団。今日も平和だった。




