第30話 距離
翌朝、訓練場。
いつも通りレオンと並んで歩いた。半歩前と半歩後ろ。いつもの距離。
——でも今日は、半歩が遠い。
「今日の訓練は模擬戦中心で行きます。強化は通常展開で」
「……うん」
「セレナ?」
「なに」
「……いえ。何でもありません」
レオンが私を見てる。碧い目が何かを探ってる。昨日の夕食から、私がおかしいことに気づいてるんだろう。
この人はいつも気づく。私の変化に。表情に。声のトーンに。
——だったら、あの子と歩いてるとき、私がどう思うかも気づいてよ。
……違う。気づく必要がない。だって私とレオンは相棒だから。相棒が誰と歩こうが、関係ない。
関係ないのに、胸が痛い。
訓練が始まった。
後方でレオンが衛生兵たちに指示を出してる。いつもの光景。
ミラがレオンの隣にいる。ノートを持って、真剣な顔で聞いてる。レオンが何か説明してる。ミラが頷く。レオンが「そうです。よくできました」と言う。
ミラの顔がぱっと明るくなった。嬉しそう。すごく嬉しそう。
——「よくできました」。
レオンが他の人を褒めてる。あの低い声で。あの穏やかな声で。
私以外の人を。
「団長?」
トーマが目の前に立ってる。模擬戦の相手だ。
「……ごめん。始めよう」
「はい! 今日こそ——」
踏み込んだ。トーマの剣を弾いた。一合。
「……え、団長、今日速くないですか」
速い。力が入りすぎてる。自分でも分かる。苛立ってるから。
もう一合。二合。三合でトーマが吹っ飛んだ。
「つ……っ、強……」
「……ごめん。力入れすぎた」
「い、いえ! もう一回お願いします!」
マルクが横で腕を組んで見てる。
「……団長、今日荒いな」
リーゼが隣で小さく言った。
「後方を見てましたね。レオンさんとミラさんのほう」
「……」
「何かあったんですか」
「知らねえよ。俺に聞くな」
「聞いてません。独り言です」
マルクが溜息をついた。リーゼは静かに訓練場の端を見てる。
昼休み。
いつもならレオンと食堂に行く。
「セレナ、食堂——」
「今日はいい。一人で食べる」
「……一人で?」
「うん。ちょっと考えたいことあるから」
「……そうですか」
レオンの碧い目が、ほんの一瞬揺れた。何か言いたそうだった。でも言わなかった。
「分かりました」
その声が、いつもより小さかった。
——ごめん。でも今、あんたの隣にいると苦しい。理由が分からないまま苦しいの。
一人で食堂の隅に座った。スープを飲む。薄い。いつもと同じ味のはず。でも美味しくない。
窓の外を見た。レオンが食堂の別のテーブルにいる。カイルと。
——私が「一人で食べる」って言ったから。別のテーブルに座ってる。
言ったのは私なのに。離れたいって言ったのは私なのに。
レオンがカイルと話してる。カイルが何か言って、レオンが少し頷く。穏やかな顔。
……あの顔。私の前でも、カイルの前でも、ミラの前でも、同じ顔なのかな。
違う顔だと思ってた。私の前でだけ、少し柔らかくなると思ってた。
——思い上がりだったのかもしれない。
午後の訓練。
後方からレオンが強化を展開した。いつも通りの強化。体が軽くなる。
——この魔法が、私だけに特別なんだと思ってた。
私に繋がると魔力が跳ね上がるって、レオンが言ってた。私がいるから強くなるって。
でもそれは魔法の話でしょ。魔力の波長が合ってるだけでしょ。血の誓いのせいでしょ。
——別に、私じゃなくても。
もし他の誰かと血の誓いをしてたら、その人とも同じことが起きたんじゃないの。
私が特別なんじゃなくて、血の誓いが特別だっただけ。
……やめよう。こういう考え方、三年前と同じだ。レオンがいなかった夜に、ぐるぐる回ってた思考と同じ。
分かってるのに止められない。
訓練が終わった。
帰り支度をしてたら、レオンが来た。
「セレナ」
「なに」
「今日の訓練、少し気になることがありました」
「何」
「セレナの動きが荒かったです。いつもの精度じゃない。何か——」
「別に。ちょっと集中できなかっただけ」
「……何か、僕が——」
「あんたは関係ない」
——嘘。全部あんたのせい。あんたがミラと歩いてるのを見たせい。あんたが「よくできました」って他の女の子に言ったせい。
でも言えない。言ったらおかしい。相棒が後輩を褒めて何が悪いの。一緒に歩いて何が悪いの。何も悪くない。悪いのは私。勝手に痛がってる私。
「……セレナ」
「なに」
「帰りましょう。一緒に」
「……今日は、先に帰って」
「……」
「先に帰ってって言ってるの」
冷たい声が出た。自分でも分かる。あの日と同じ。グラオヴァントで信じないと決めたあの日と同じ冷たさ。
レオンの碧い目が揺れた。痛みに近い何かが浮かんだ。
「……分かりました」
レオンが先に歩いていく。白銀の髪が夕日に光ってる。あの背中。あの立ち姿。
——行かないで。
そう思った。思ったのに、声に出さなかった。自分で「先に帰って」と言ったくせに。
あの背中が角を曲がって消えた。
一人になった。
訓練場に夕日が差し込んでる。誰もいない。
胸が痛い。ずっと痛い。三年間の空白とは違う痛み。もっと鋭くて、もっと近くて、もっとどうしようもない痛み。
——ねえ、これなんなの。
教えてよ。この痛みに、名前をつけてよ。
誰も答えてくれない。答えは自分の中にある。分かってる。分かってるけど、認めたくない。
認めたら、全部変わってしまうから。
セレナは一人で帰った。半歩後ろに、足音がない道を。




