第28話 休みの日
休みの日。
セレナはソファに沈んでいた。横になって、クッションを抱えて、ぐにゃぐにゃ。
レオンはソファの端に座って、本を読んでいる。魔法理論の本。分厚い。休みの日に読む本じゃない。
「……ねえ」
「はい」
「休みだよ」
「はい」
「本読むの?」
「読みます」
「……つまんない」
「セレナも読みますか」
「読まない。絶対読まない」
「そうですか」
レオンがページをめくる。長い指が紙の端を丁寧に押さえる。白銀の髪が少しだけ顔にかかってる。
……絵になるな。本を読んでるだけなのに。
「……ねえ」
「はい」
「昨日のさ」
「……何ですか」
「あの騎士」
「……」
レオンのページをめくる手が、一瞬止まった。ほんの一瞬。すぐ動いた。でも見逃さなかった。
「あの人、結構かっこよかったよね」
「……そうですか」
「背高かったし。肩幅広いし。顔もまあまあだったし」
「……そうですか」
二回目の「そうですか」。声が平坦。平坦すぎる。いつものレオンは「そうですか」にもう少し抑揚がある。
「……あんた、興味ないの?」
「何にですか」
「私が告白されたこと」
「……セレナの私事です」
「私事って。冷たくない?」
「冷たいつもりはありません」
「じゃあどういうつもり」
「……セレナの判断を尊重しています」
「尊重ね」
「はい」
「……ねえ、正直に聞いていい?」
「はい」
「昨日、嫉妬した?」
「していません」
「即答するの、逆に怪しいんだけど」
「……怪しくありません」
「昨日、耳赤かったよ」
「……日焼けです」
「朝から日焼けしないでしょ。ミラちゃんと同じこと言ってる」
「……誰ですか」
「知らなくていい。——で、嫉妬したの?」
「……していません。ただ」
「ただ?」
「……訓練の時間が近かったので」
「それはもういいよ。その先」
「……」
レオンが本を閉じた。膝の上に置いた。碧い目がまっすぐ前を見てる。横顔がきれい。朝の光が白銀の髪を透かしてる。
「……僕は、セレナの相棒です」
「うん。知ってる」
「相棒として、セレナの周りに不要な混乱が生じないようにするのは、当然のことだと思っています」
「不要な混乱」
「はい」
「あの告白が、不要な混乱だったと」
「……訓練前に集中を乱す行為は、不要だと判断しました」
「……ふうん」
不要な混乱、ね。告白を「不要な混乱」って分類するの、レオンらしすぎて笑える。
でも——本当にそれだけ?
それだけじゃない気がする。昨日の耳の赤さ。目の泳ぎ方。二回目の「そうですか」の声の柔らかさ。
全部、「不要な混乱」じゃ説明がつかない。
でも追求しない。追求したら、何か変わってしまう気がするから。今のままがいい。この距離がいい。
「……ねえ」
「はい」
「あんたって、誰かを好きになったことある?」
レオンの動きが止まった。今度は長く。
「……好き、というのは」
「恋愛的な意味で」
「……」
長い沈黙。レオンが少し考えてる顔をしてる。眉がわずかに寄ってる。本当に考えてる。演技じゃない。
「……分かりません」
「分かんないの?」
「好きという感情が、具体的にどういうものなのか。僕にはよく分からないんです」
「……あんたらしい」
「一般的な定義は知っています。でも、自分の中のどの感情がそれに該当するのか——判断がつきません」
「……それ、もしかして好きなのに気づいてないだけじゃない?」
「……可能性はあります」
「自分で可能性あるって言うんだ」
「否定する根拠がないので」
——この人は。
自分の感情すら、データで判断しようとする。「否定する根拠がない」って何。好きかどうかくらい自分で分かるでしょ。
……いや。私も分かってないか。
レオンの耳が赤くなるのを見て心臓がうるさくなる理由。この人が他の女の子を見てないことが嬉しい理由。上着を返したくなかった理由。
全部、「別にそういうのじゃない。たぶん」で片づけてきた。
……お互い様か。
「……ねえ」
「はい」
「お腹すいた」
「……話が変わりましたね」
「変えた。お腹すいた」
「買い物に行きましょうか」
「面倒。家にあるもので何か作ってよ」
「……僕がですか」
「あんた料理できるでしょ」
「……なぜ知ってるんですか」
「カイルが言ってた。各地の前線で自炊してたって」
「……余計なことを」
「できるんでしょ」
「……はい」
「じゃあ作って。団長命令」
「……また命令ですか」
「命令」
レオンが立ち上がった。台所に向かう。
——え、本当に作るんだ。
ソファから身体を起こして、台所を覗いた。
レオンがエプロンをしていた。
……は。
白いエプロン。白衣の上じゃない。私服の上に。白銀の髪がエプロンの紐にかかってる。袖をまくってる。腕が見える。細いけど、筋が通ってる腕。
なにこれ。なんでエプロンしただけでこんなにかっこいいの。おかしいでしょ。
「……何ですか」
「なんでもない。見てるだけ」
「見られていると、やりづらいのですが」
「じゃあ見ない」
嘘。見る。絶対見る。
レオンが野菜を切り始めた。包丁さばきが正確だった。当たり前か。器具を扱う手だ。手術みたいに正確に、均等に、野菜が切られていく。
「……うまいね」
「必要だったので」
「出た。必要だったので」
「事実です。一人で各地を回っていたので、自炊は必須でした」
「……三年間、一人でご飯作って食べてたの?」
「はい」
「……寂しくなかった?」
レオンの包丁が、一瞬だけ止まった。
「……食事は、一人でも可能です」
「聞いてるのはそういうことじゃないんだけど」
「……はい。少し」
少し。この人が「少し」と認めるのは、「とても」の意味だ。
「……私もだよ。三年間、一人でご飯食べてた。作る気力もなくて、パンかじってるだけの日もあった」
「……それは、栄養が——」
「栄養の話してないでしょ」
「……すみません」
「いいよ。——でも今は二人でしょ」
「……はい。二人です」
「だから美味しいもの作ってね」
「……善処します」
「善処じゃなくて確約して」
「……努力します」
「善処から努力に上がった」
「はい」
料理ができた。野菜のスープと、パンと、焼いた肉。シンプルだけど、いい匂いがする。
テーブルに並べて、向かい合って座った。
一口食べた。
「……おいしい」
「そうですか」
「おいしいよ。めちゃくちゃおいしい」
「普通に作りました」
「普通であんたこんなに上手いの。ずるい」
レオンが少しだけ口元を緩めた。あの微かな笑顔。この人にしか分からないくらいの。
「あんたの料理のほうがうまいかも。私のスープより」
「セレナのスープも美味しいです」
「お世辞いらない」
「お世辞ではありません。——あのスープは、特別でした」
「……特別?」
「はい。味ではなく——誰かが自分のために作ってくれたものを食べるのは、三年ぶりだったので」
——ああ。
またこれだ。この人は。こういうことを、こういう声で、さらっと言う。
泣きそう。泣かないけど。泣きそう。
「……ねえ」
「はい」
「毎日作ってよ。交代で」
「……毎日ですか」
「私が作る日と、あんたが作る日。交代」
「……いいですよ」
「即答するんだ」
「断る理由がないので」
「……ふうん」
嬉しい。単純に。ただ嬉しい。
毎日一緒にご飯を作って、一緒に食べる。普通の生活。何も特別じゃない。
でもこの三年間、ずっと欲しかったもの。
向かい合ってスープを飲む。レオンがパンを小さくちぎる。私は大きくちぎる。いつもの光景。
——この時間が、好きだ。
この人と一緒にいる時間が。ご飯を食べてる時間が。ソファでだらだらしてる時間が。
……別にそういうのじゃない。たぶん。
たぶんね。




