第26話 注目
翌日。訓練場。
指先の傷が、まだ少しだけ熱い。昨日の血の誓いの余韻。
「いくよ」
「はい」
訓練が始まった。いつもの配置。セレナが前、レオンが後方。
レオンが他の兵に強化をかける。——普通だ。いつも通り。
セレナに繋げる。
——桁が違った。
昨日までの増幅と、次元が違う。身体の奥から爆発的に力が湧き上がってくる。魔力が溢れてる。制御しないと溢れ出す。
「——っ、なにこれ」
セレナが思わず声を出した。身体が勝手に動く。剣が軽いなんてものじゃない。空気を斬ってる感覚。
「レオン、強すぎない!?」
「……こちらも驚いています」
レオンの声が、珍しく揺れてる。
模擬戦の相手が、一合で吹っ飛んだ。文字通り。剣ごと弾き飛ばされて三歩下がった。
「え……?」
「だ、団長? 今のなんですか?」
「ごめん。力加減ミスった」
ミスったんじゃない。力が出すぎてる。昨日の血の誓いで、繋がりが深くなった。増幅率が跳ね上がってる。
他の兵への効果も凄まじい。セレナに繋がった瞬間から、訓練場全体の空気が変わった。全員の動きが鋭くなってる。
「今日、なんかやばくないですか」
「俺もう一段階強くなった気がする」
「レオンさんの強化、昨日と全然違うんだけど」
兵たちがざわついてる。
カイルがレオンの横で目を丸くしてる。
「レオンさん。これ、昨日の数値と比較して——」
「はい」
「倍じゃ利かないですよね」
「……三倍以上です」
「三倍!? 昨日から何があったんですか」
「……少し、調整しました」
「調整でこうなります?」
「なります」
「絶対嘘ですよね」
レオンは答えなかった。ノートに数値を書き込んでる。手が少しだけ震えてる。興奮してるんだと思う。この人がこうなるのは珍しい。
訓練が終わった。
圧倒的だった。模擬戦はセレナの全勝。しかも相手が一合も持たない。兵たちの動きも過去最高。負傷者ゼロ。
「……今日のは、さすがにやりすぎました」
「やりすぎたね」
「次からは加減します」
「加減って。昨日まで全力だったんでしょ。今日は全力以上ってこと?」
「……そうなります」
「チートがさらにチートになったってこと?」
「……否定できません」
セレナは笑った。レオンも少しだけ笑った。碧い目が細くなる。この顔好きだな。
問題は、そのあとだった。
「団長、少しよろしいでしょうか」
訓練場の端に、見慣れない男が立っていた。軍服。階級章は——上級参謀。師団本部の人間だ。
「……どちら様ですか」
「師団本部のヴァイス参謀です。本日は第五騎士団の訓練を視察に参りました」
視察。聞いてない。
「……事前通告はなかったと思いますが」
「急な視察で申し訳ありません。——ですが、見に来てよかった」
ヴァイスの目が、鋭い。セレナを見てる。それからレオンを見た。
「素晴らしい練度ですね。ヴェルデン奪還、グラオヴァント制圧、ルクセン制圧。全て初日、もしくは数日での完全勝利。この記録は、師団本部でも注目されています」
「……ありがとうございます」
「特に後方支援の質が異常だと報告を受けています。治癒と強化の同時展開、しかも遠距離で。今日の訓練を見て確信しました。——報告通り、いや、報告以上だ」
ヴァイスがレオンのほうを見た。
「あなたが英雄医のレオン・グラハムですね」
「……はい」
「噂は聞いています。各地の戦線を立て直してきた伝説の衛生兵。——ですが、今日見た限り、噂を遥かに超えている」
レオンは何も答えなかった。
「団長」
ヴァイスがセレナに向き直った。
「近いうちに、師団本部からお呼びがかかると思います。第五騎士団の今後の運用について、上が関心を持っています」
「……運用、とは」
「今のままでは、もったいない。あなた方の力は、一つの戦線に留めておくには大きすぎる」
それだけ言って、ヴァイスは去っていった。
セレナとレオンが残された。
——足が、冷たい。
あの日と同じだ。叙勲の日。式典場で勲章を留められて、「次の戦線も」と言われた日。廊下で地図を見せられて、「あなたなら可能だと判断しました」と言われた日。
トイレの個室で泣いた。正装のまま。勲章が涙で濡れた。あれは褒美じゃなかった。罰だった。期待に応えてしまった者への、終わらない命令。
また来る。同じものが。もっと大きな形で。
手が震えそうになった。握りしめて止めた。
「……セレナ」
レオンの声。気づいてる。この人はいつも気づく。
「……大丈夫」
「顔色が——」
「大丈夫って言ってる」
嘘だ。大丈夫じゃない。
でも——あのときとは違う。あのときは一人だった。今は隣にこの人がいる。
いるのに怖い。レオンがいても怖い。三年間の傷は、隣に誰かがいるだけでは消えない。
でも、一人で怖がるのと、隣に人がいて怖がるのは、全然違う。
「……ねえ」
「はい」
「面倒なことになりそうだね」
「……そうですね」
「……やだな」
「……はい」
「……でも、まあいいか」
「いいんですか」
「面倒なことになっても、二人でしょ」
「……はい。二人です」
少し間があった。それからレオンが言った。
「セレナが前に立つなら、僕が後ろに立ちます。規模が変わっても、それは変わりません」
——この人は。
こういう一言を、こういう声で、こういうタイミングで言う。叙勲のフラッシュバックで震えてた心臓が、その一言で静かになった。ずるい。
「……じゃあ、なんとかなるよ。——食堂行こ」
「……はい」
並んで歩く。半歩前と半歩後ろ。
スケールが変わり始めてる。一つの戦線じゃなくなる。もっと大きなものが動き始めてる。
でも足元は同じだ。半歩前と半歩後ろ。食堂に行って、スープを飲む。
何が変わっても、これだけは変わらない。




