第25話 血の誓い
休みの日。家。ソファ。
セレナはごろん。クッション抱えてぐにゃぐにゃ。レオンは端に座って資料——じゃなくて、今日は何もしてない。珍しい。
「ねえ」
「はい」
「今日、何もしないの?」
「たまには」
「へえ。あんたでもそういう日あるんだ」
「あります」
「……いいね」
二人とも何もしない。窓から日が差してる。静か。
レオンがソファに座ってる。白銀の髪が窓からの光に透けてる。私服姿。白衣じゃないレオンは、なんか新鮮で、ちょっとどきどきする。碧い目が穏やかに前を見てる。力が抜けてる顔。珍しい。この人がこんなにリラックスしてるの、あんまり見ない。
「ねえ、昔の話しよう」
「昔とは」
「孤児院の頃」
「……なぜ急に」
「暇だから。あと、最近思い出すんだよね。あの頃のこと」
レオンが少し考えてから頷いた。
「……いいですよ」
「覚えてる? 裏の木に登ったこと」
「覚えてます。セレナが一番上まで登って、降りられなくなった」
「降りられなくなってない。降りるのが面倒だっただけ」
「泣いてましたが」
「泣いてない」
「泣いてました」
「……うるさい」
「結局、僕が途中まで登って誘導しました」
「覚えてないけど」
「覚えてます」
「……ねえ、かけっこは?」
「何度もやりましたね」
「私がいつも勝ってたでしょ」
「……はい」
「あんた、足遅かったよね」
「遅くはなかったと思いますが」
「遅かった。いっつもビリから二番目」
「ビリではなかったので」
「ビリから二番目を誇るな」
笑った。二人とも。
「ねえ、あんたさ、昔からモテてたよね」
「……何の話ですか」
「孤児院の頃から女の子に囲まれてたでしょ。銀髪碧眼のおとなしい男の子、みんな好きだったよね」
「……記憶にありません」
「嘘でしょ。リリアンとか毎日あんたの隣に座ろうとしてたじゃん」
「……座りたい人が座ればいいと思ってました」
「そういうとこだよ。自覚ないの、ほんとに」
「自覚するようなことがないので」
「少年兵になってからもひどかったよね。後方の女の子たちがあんた見に来てた。訓練サボって」
「……それは知りませんでした」
「知らないわけないでしょ」
「本当に知りませんでした。仕事に集中していたので」
「今でも変わらないよね。食堂行くたびに見られてるし、誘われても全部断ってるでしょ」
「……はい」
「理由がいつも同じなんだよね」
「……」
「『セレナの相棒なので』って」
「……事実ですから」
「それ断る理由になるの?」
「なります」
「……ふうん」
意味が分からない。嬉しいけど。昔からそう。この人はいつもそう。
こういう話をするのが、なんか嬉しい。誰にも言えない、二人だけの記憶。孤児院の裏庭。小さかった頃。何も持ってなかったけど、二人でいた頃。
「……ねえ、一つ聞いていい?」
「はい」
「血の誓いって、覚えてる?」
レオンの動きが、一瞬だけ止まった。
「……覚えています」
「だよね」
「針を刺して、血を出して、重ねた」
「うん。一生の相棒だって誓い合った。子どもだったから、それが一番強い約束だと思ったんだよね」
「……はい」
「でもさ、そのあと二人とも意識失ったんだよね。気づいたら布団に寝かされてて」
「はい。大人たちがかなり慌てていました」
「なんで意識失ったんだろうね。ただ血を重ねただけなのに」
「……」
レオンが黙った。長い沈黙。考えている顔。いつもの「答えを探している」顔じゃない。もっと深い。何かが繋がろうとしている顔。
「……レオン?」
「……セレナ。一つ、聞いてもいいですか」
「うん」
「あのとき、何か感じましたか。血を重ねた瞬間に」
「……なんか、熱かった気がする。指先から身体の中に何か流れ込んでくるみたいな」
「……僕もです」
「同じだったんだ」
「はい。それから意識を失った」
レオンがソファから立ち上がった。部屋に行って、ノートを持って戻ってきた。ルクセンからずっと書いてるあのノート。
「……ねえ、なんで急にノート?」
「セレナに、話さなければいけないことがあります」
「……なに。怖いんだけど」
「怖い話ではありません。たぶん」
「たぶんって何」
レオンが話し始めた。
ルクセンで起きたこと。他の戦場では出なかった数値が出たこと。訓練で検証したこと。
セレナに強化魔法を繋げた瞬間、自分の魔力が跳ね上がること。セレナへの強化が他の兵の五倍以上効くこと。強く注げば注ぐほど、増幅されて返ってくること。
三年間、他の前線で一度も起きなかったこと。セレナがいるときだけ起きること。
「……え?」
「はい」
「私が原因なの?」
「はい」
「私、何もしてないけど」
「何もしていないのに、起きています。だからずっと理由が分からなかった」
「……で、今分かったの?」
「血の誓いの話を聞いて、一つ仮説が立ちました」
「仮説?」
「血液は、魔力の波長そのものです」
「……うん」
「幼い頃に血を重ねたことで、僕とセレナの魔力の波長が同調した可能性があります。だから魔法で繋がったときに、増幅が起きる。普通は起きないことが、波長が合っている二人の間でだけ起きている」
「……それで意識を失ったのも」
「幼い身体では、波長の同調に耐えられなかったんだと思います」
セレナはソファに座ったまま、レオンを見ている。
「……つまり、あの日からってこと?」
「はい。おそらく」
「子どもの頃に血を重ねたから、今こんなに——」
「はい」
「あんたのチートの理由、半分私だったってこと?」
「半分どころではないかもしれません」
「……なんで早く言わないの」
「確証がなかったので」
「……あんたらしい」
セレナは天井を見た。
血の誓い。子どもの頃に、何も分からないままやったこと。一生の相棒になろうって。
それが本当に、文字通り、二人を繋いでいた。
「……ねえ」
「はい」
「笑えるね」
「何がですか」
「子どもの頃の約束が、本当に一生ものだったってこと。魔法的な意味で」
「……そうですね」
「……ねえ、レオン」
「はい」
「もう一度やらない?」
「……何をですか」
「血の誓い」
レオンが少し目を見開いた。
「子どもの頃は身体が耐えられなくて意識失った。でも今は大人でしょ。魔力のコントロールもできる。もう一度やったら、もっと繋がりが強くなるんじゃない?」
「……その可能性はあります」
「じゃあやろう」
「……リスクが分かりません」
「分かんないことばっかりでしょ。今までだって」
「……それはそうですが」
「あんたが怖がるの、珍しいね」
「怖がってはいません。慎重なだけです」
「同じだよ。——やろう。私とあんたの相棒の証なんだから」
レオンが少しだけ笑った。珍しい。はっきりとした笑顔。碧い目が細くなって、口元が柔らかくなる。白銀の髪が夕日に透けてる。
——この顔。この笑顔。世界で一番きれいな顔。
「……はい」
針を出した。レオンが消毒した。さすが衛生兵。
「子どもの頃は消毒なんかしなかったよね」
「今は知識がありますから」
「あんたらしい」
レオンが私の右手を取った。
——え。
手を取られた。レオンの手。長い指。冷たい。でも丁寧。いつも器具を扱ってるあの手が、私の手を持ってる。
心臓がうるさい。魔法の前からうるさい。
「針を刺します。少しだけ痛みます」
「……うん」
レオンの指が、私の人差し指を支えてる。親指と人差し指で、そっと。
針が刺さった。ちくっとする。赤い珠が浮かぶ。
レオンが自分の指にも刺した。同じ右手の人差し指。赤い珠。白い肌の上に、小さな赤。
「……じゃあ」
「はい」
レオンが私の指に、自分の指を近づけた。
ゆっくり。丁寧に。あの長い指が、私の指先に触れる——
重なった。
——瞬間。
身体の奥で、何かが鳴った。
熱い。指先から全身に広がる。子どもの頃と同じ感覚。でも全然違う。あのときは何が起きてるか分からなかった。今は分かる。
レオンの魔力が流れ込んでくる。温かい。あの人の魔力は温かい。自分の中を通って、増幅されて、レオンに返っていく。レオンからまた来る。また増幅される。また返る。
ループしてる。二人の間で魔力が循環して、回るたびに強くなっていく。
でもそれより——レオンの指が、私の指に触れてる。
指先だけ。たったそれだけの接点。なのに全身が熱い。魔力のせい? それだけじゃない気がする。
「……っ」
「……セレナ、大丈夫ですか」
レオンの声が近い。碧い目がこっちを見てる。心配してる顔。近い。すごく近い。指が触れてるから、距離が近い。
「大丈夫。あんたは?」
「……大丈夫です。意識ははっきりしています」
「子どもの頃より、全然平気だね」
「ええ。ただ——すごい量の魔力が循環しています」
指先が熱い。でも痛くない。心地いい。この人の魔力が自分の中にある。自分の魔力がこの人の中にある。
混ざってる。二人の魔力が。境界が分からなくなるくらい。
——この人と、繋がってる。
指先の、たった一点。でもそこから全部が流れ込んでくる。レオンの全部が。温かくて、静かで、強くて、優しい。
……ああ、これがレオンなんだ。この人の魔力が、こんなに温かいんだ。
「……ねえ」
「はい」
「これ、すごいね」
「はい。すごいです」
「あんたが『すごい』って言うの、初めて聞いた」
「……それくらい、すごいということです」
レオンの碧い目が、まっすぐ私を見てる。いつもより柔らかい。魔力が循環してるせいか、碧い目の中に光が揺れてる。きれい。すごくきれい。
指を——離したくない。
もう少しだけ。もう少しだけこのまま。
「……セレナ」
「なに」
「そろそろ離しましょう。循環が安定したので」
「……うん」
指を離した。
——名残惜しい。
余韻が残ってる。身体の中にレオンの魔力の感触が残ってる。指先が、まだ熱い。レオンが触れてたところが。
「……どう? 何か変わった?」
「……明日の訓練で確認します」
「出た。検証」
「検証は大事です」
「分かってるけどさ」
セレナは笑った。レオンも少しだけ笑った。碧い目が細くなる。この顔好きだな。
「ねえ」
「はい」
「もう一回言っていい?」
「何をですか」
「相棒。私たち、相棒だね。魔法的にも」
「……はい。相棒です」
「子どもの頃から。ずっと」
「……ずっと」
窓から夕日が差し込んでいる。二人の指先に、小さな傷が残っている。
子どもの頃と、同じ場所に。
——指先がまだ熱い。レオンの温度が、まだ残ってる。
別にそういうのじゃない。魔力のせいだ。たぶん。




