第2話 探さない
朝が来た。生きてた。
天幕の中で目を覚まして、最初に確認したのは胸の傷。塞がってる。痛みもほとんどない。
——夢じゃなかった。誰かが治してくれた。ありえない精度で。
天幕を出た。
探すつもりはなかった。昨夜、エリクに「確認しなくていい」って言ったのは本心。確認して違ったときの自分が怖い。三年間、何度もあの人の気配を感じて、何度も違って、そのたびに少しずつ壊れてきた。
だから探さない。今回も期待しない。
なのに、足が後方に向かってる。
……最悪。身体が言うこと聞かない。あの人のことになると、いつもこう。頭で決めたことを身体が全部裏切る。
後方治療天蓋は、いつもと様子が違った。
静かなの。いつもの朝なら、昨夜の負傷者の処置で慌ただしいはず。それが今日は、全員がもう座ってる。仕事が終わってる顔。
こんなの、見たことない。いや——一度だけある。三年以上前。あの人が後方にいた頃。あの人がいるだけで、後方は魔法みたいに静かに回ってた。
「あ、団長。もうお身体いいんですか」
若い衛生兵が声をかけてきた。
「うん。大丈夫。——ちょっと聞いていい? 昨夜の後方、何があったの」
衛生兵の顔が変わった。困惑と、畏怖に近い何か。
「……正直、何が起きたのか分からないんです。気づいたら知らない男がいて、何も言わずに指示を出し始めて」
「何も言わず?」
「名乗りもしませんでした。ただ声がすごく静かで、低くて、でも全部聞き取れるんです。一回も聞き返す必要がなくて。気づいたら全員がその人の指示で動いてました」
——低くて、静かな声。安心する声。世界で一人しかいない、あの声。
心臓がうるさい。
「……その人の見た目は」
「えっと……背が高めで、髪が白っぽくて——銀色? あと目がすごく綺麗だったって、他の衛生兵が言ってました」
白銀の髪。綺麗な目。碧い目。
止まれ。心臓、止まれ。
「治療は」
「それが——信じてもらえないかもしれないんですけど」
衛生兵が声を落とした。
「あの人、治癒魔法を天蓋全体に展開してたんです」
「……全体に?」
「はい。負傷者全員に、同時に。一人ずつじゃなくて、全員に。しかも傷の深さに合わせて回復の強さが違ったんです。重傷の人には強く、軽傷の人には薄く。全部同時に、全部正確に」
——ありえない。治癒魔法は一人に全力で向き合って、やっと傷が塞がるもの。全体に同時展開なんて、聞いたこともない。
「それだけじゃないんです。片手で治癒魔法やりながら、もう片方の手で止血して、口で衛生兵に指示出してて。同時にいくつやってたか分からない。あの手……長い指が全部別々に動いてて……」
——知ってる。あの手を知ってる。冷たくて、正確で、一度も迷わない手。
「私、十年衛生兵やってますけど、見たことないです。あの精度は人間がやっていいレベルじゃなかった」
衛生兵の目が、畏怖の色をしていた。
「正直——怖かったです。すごいとかじゃなくて、怖かった。あの人が天幕にいた二時間で、負傷者が全員復帰したんです。全員ですよ。死にかけてた団長も含めて」
衛生兵が少し考えてから言った。
「あの人にとっては、全部当たり前みたいでした。息をするみたいに、人を治してた」
——ああ。
知ってる。私は、それを知っている。
白銀の髪。碧い目。静かな手。低い声。息をするみたいに人を治す、世界でたった一人の人。
三年間、ずっと後ろにいてほしかった人。
「……その人、名前は」
「聞いてないんです。終わったら、もうここにはいなくて——」
心臓が沈んだ。やっぱり消え——
いや。昨夜、エリクが言ってた。東の第二治癒天蓋のほうで見かけたって。まだいるかもしれない。
「ありがとう」
それだけ言って、歩き出した。
歩いて、すぐに走り出してた。
探さないって決めたのに。確認が怖いって、ついさっき思ったのに。
でも、もう分かってる。治癒魔法の全体展開。同時に全員。精度が完璧。白銀の髪。碧い目。低い声。息をするみたいに人を治す。
そんな人間は世界に一人しかいない。
レオンだ。
レオンが、帰ってきたんだ。
走りながら、涙が出た。止められない。止める気もない。
三年間待ってた。「必ず戻る」って言ったあの人が、本当に戻ってきた。約束、守ってくれたんだ。
嬉しい。嬉しくて、苦しい。胸の奥が爆発しそう。
——言いたいことがありすぎる。
つらかった。ほんっとうに、つらかった。
毎朝、剣を持つ手が震えた。後ろに誰もいない戦場が怖かった。
一人で判断して、一人で叫んで、一人で全部背負った。
「強い」って言われるたびに、叫びたかった。強いんじゃない。止まったら死ぬから走ってるだけだって。
誰にも言えなかった。団長だから。英雄だから。
夜、眠れなかった。朝、起き上がれなかった。死にたくなった日があった。
それでも前に立った。あんたが戻ってくるまで恥ずかしくない自分でいようって、それだけで。
全部言う。全部ぶつける。怒って、泣いて、殴るかもしれない。
——そのあとで、ちゃんと言うんだ。おかえり、って。
あの声が聞きたい。あの碧い目が見たい。あの人に「怪我してますよね」って言われたい。
東の第二治癒天蓋。もうすぐだ。もうすぐ会える。
セレナは泣きながら走って、三年ぶりに笑っていた。
——「レオン・グラハム 配属期間:七日間」。天幕のテーブルに置かれたままの配置記録を、セレナはまだ読んでいない。




