第19話 理由
夜。居間のソファ。
セレナはいつものようにごろんとしてる。レオンはいつものように端に座って資料を読んでる。
静かだ。時計の音が聞こえるくらい。
「……ねえ」
「はい」
「聞いていい?」
「何をですか」
「三年間のこと」
レオンの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……何が聞きたいですか」
「全部」
「全部は長いです」
「いいよ。時間あるし」
「……そうですね」
レオンが資料を閉じた。
「前に聞いたとき、各地の前線を回ってたって言ったよね」
「はい」
「なんで? 私の後ろじゃだめだったの?」
レオンが少し間を置いた。長い間。
「……一つ、聞いてもいいですか」
「なに」
「覚えていますか。僕が前線を離れる一ヶ月前の戦闘」
「一ヶ月前?」
「セレナが右翼で孤立した戦闘です」
——ああ。覚えてる。
「あのとき、私かなり危なかったやつだ」
「はい。危なかった。——僕のせいで」
「……え?」
「あの戦闘で、僕は判断を間違えました」
初めて聞いた。
「セレナが孤立したとき、後方の優先順位を誤りました。本来なら、左翼の負傷者を先に処置すべきだった。でも僕は——セレナを先に助けようとしました。他の負傷者より優先した。衛生兵として、あってはならない判断です」
「……」
「結果的にセレナは助かりました。左翼もぎりぎり間に合った。でも、間に合わなかった可能性のほうが高かった」
「……なんでそうなったの」
「セレナが危ないと思った瞬間、頭が真っ白になったんです」
「……」
「冷静に判断できなかった。いつもならありえないミスです。担当の命が危ないときこそ冷静でなければいけない。それが崩れた」
「それで気づきました。僕はセレナのことになると、正しい判断ができなくなる。セレナが自分にとって大きすぎるんです。大きすぎて、セレナが危機に陥ったとき、衛生兵としての判断より先に、感情が動いてしまう」
「……」
「確信しました。このまま後ろに立ち続けたら、僕の判断がセレナを殺す」
静かな声だった。
「……だから、離れたの」
「はい」
「『守れないものが増えるから』って、そういう意味だったの」
「はい。守れないものが増えた——のではなく、守り方を間違える自分が怖かった」
「……三年間は」
「セレナのいない環境で鍛え直すためです。セレナのことになっても判断が揺らがない自分を作るために」
三年間。各地の前線。一人で。
「強化の遠距離展開も?」
「はい。あれは三年かけて開発しました。セレナの近くにいなくても、冷静に判断できる距離から支えるために」
——ああ。
あの遠距離展開。この世界の常識ではありえない技術。三年かけて作った。私の後ろに戻るために。近すぎない距離から。冷静でいられる距離から。
「……全部、私のためだったんじゃん」
「……そうです」
「三年間離れたのも、強くなったのも、遠距離展開を作ったのも」
「はい」
「……じゃあ、聞いていい? もう一つ」
「はい」
「あの七日間。あんた、たまたまうちに配属されたんだよね」
「はい。命令でした」
「三年ぶりに私の後ろに立って、どうだった?」
「……やれると思いました。鍛え直した自分なら、冷静にセレナの後ろに立てると」
「……じゃあなんで永続で戻ってきたの。七日で終わって、それでよかったんじゃないの」
レオンが黙った。長い沈黙だった。
「……セレナが泣いたからです」
「……」
「あの日。天蓋の中で。セレナが泣いて、縋りついて、崩れ落ちて。——僕は知らなかった」
「何を」
「三年間で、セレナがどれだけ壊れていたかを」
レオンの声が、いつもより低かった。
「七日間、後ろに立って、戦場は回せました。セレナの前線指揮も見ました。強くなってると思ってました。一人でやれるようになってると」
「……」
「違った。全部違った。セレナは壊れていた。立ってただけだった。壊れたまま、折れないように踏ん張ってただけだった」
「……うん」
「あの日、初めて知りました。僕が離れた三年間で、セレナがどうなっていたか。死にたくなった夜があったと。治療棟にも行けなかったと。誰にも頼れなくなったと」
「……聞いてたんだ。全部」
「はい。全部聞いてました」
「……」
「聞いて——自分が何をしたのか、分かりました」
レオンの手が、わずかに震えた。
「僕は正しい判断をしたつもりでした。セレナを殺さないために離れた。それは間違ってなかったかもしれない。でも、離れたことでセレナを別の形で壊していた。それを、僕は知らなかった」
「……レオン」
「あの日の夜、申請を出しました。第五騎士団への永続入団。それと——セレナの担当医」
——え。
「あの日?」
「はい。セレナが泣いたあの日の夜です」
「……私が寝たあと?」
「はい」
「……あんた、あのあと何してたの」
「申請書を書いていました」
——ああ。
あの日。私が泣き疲れて眠って。レオンはその夜、申請書を書いてた。第五騎士団に入るための。私の担当医に戻るための。
私が「いかないで」って泣いた、あの日の夜に。
「……なんで言わなかったの。あのとき」
「まだ通るか分からなかったので」
「……あんたらしい」
「確実になるまで言いたくなかったんです」
「……そういうとこだよ」
「すみません」
「怒ってない。……ちょっと泣きそうだけど」
「……」
「泣かないよ。もう泣く分使い切ったから」
しばらく黙った。二人とも。
「……私たち、似てるね」
「……何がですか」
「あんたは私がいないとだめだった。私はあんたがいないとだめだった。お互い、相手なしじゃ不完全だった」
「……」
「あんたは離れて鍛え直した。私は——壊れた」
「……セレナ」
「でも立った。三年間、壊れたまま立った。それは、あんたが戻ってくるからって思ってたからだけど——結果的に、一人で立つ力はついたんだと思う」
「……はい」
「でも、もう離れないでよ」
「離れません」
「相棒なんだから。私たち、孤児院の時から」
「……」
「だめ?」
レオンが少し間を置いた。
「……相棒、ですか」
「そう。相棒。他に何て言うの」
「……分かりません。でも——悪くないです」
「出た。あんたの最上級」
セレナは笑った。ソファに横になったまま。
隣にレオンがいる。この人も三年間、一人で戦ってた。私のために。私を殺さないために。
そして——私が壊れてるのを見て、戻ってきた。
申請書を書いた夜のことを思う。私が泣き疲れて眠ってる間、この人は一人で書類を書いてた。もう離れないために。
なんだろう。泣かないって言ったのに、泣きそう。
「ねえ。あんたは三年間、寂しかった?」
長い間があった。
「……はい」
一言だった。でも十分だった。
セレナは目を閉じた。
隣に足音がある。呼吸がある。この人がいる。
——お互い、一人じゃだめだった。でも一人でいた三年間があったから、今ここにいる。
それでいい。全部、それでいい。




