第13話 距離
戦闘が終わって、一時間が経った。
後方治療天蓋に行かなきゃいけないのは分かってる。戦闘後の負傷報告を受けるのは団長の仕事だ。
でも足が動かない。
あの人がいる場所に、行きたくない。行ったら——何かが崩れる気がする。
せっかく固めた「信じない」が、溶ける。
「団長、後方の報告なんですが」
「……うん。行く」
歩いた。ゆっくり。
後方治療天蓋の入り口に着いた。
中にレオンがいた。器具を片づけている。戦闘の後処理。いつもの動き。静かで、無駄がない。白銀の髪が天蓋の薄暗い光に浮かんでる。
——三年前と同じ。七日前と同じ。何も変わってない。
それが嬉しくて、それが怖い。
「……レオン」
振り返った。目が合った。
レオンの表情が動いた。少し驚いて、それからいつもの顔に戻って——でも目の奥が、少しだけ柔らかくなった。
「セレナ」
名前を呼ばれた。三年前と同じ声。七日前と同じ声。
胸が痛い。
——だめだ。反応するな。
「負傷者の報告」
「はい。重傷者二名、中傷者五名、軽傷者十一名。全員処置済みです。重傷者は明日まで安静が必要ですが、他は明日の戦闘に復帰できます」
「了解」
それだけ言って、踵を返そうとした。
「セレナ」
足が止まった。
「……なに」
「怪我はありませんか」
——その言葉。
その一言。いつもの、あの一言。階級が上がっても、周りが離れても、いつも同じ声で聞いてきたあの言葉。
「……ない」
「嘘ですね」
「……」
「右腕、庇ってます。見せてください」
「いい」
「見せてください」
「いいって言ってる」
「セレナ」
静かな声だった。命令じゃない。お願いでもない。ただ、当たり前のこととして言っている。君の身体は僕が診る。それが当然だ、という声。
……ずるい。
「……すぐ終わる?」
「すぐ終わります」
座った。右腕を出した。
レオンの冷たい指先が、腕に触れた。
——ああ。
この感触を知ってる。冷たくて、正確で、一度も迷わない手。長い指。この手に触れられるだけで、身体が勝手に力を抜いてしまう。
触れられた瞬間、身体が勝手に安心する。頭が「信じるな」と叫んでるのに、身体が勝手に力を抜いてしまう。ずるい。この手はずるい。
「……浅い傷です。治癒は必要ありません。消毒だけします」
「うん」
「包帯は」
「いらない」
「巻きます」
「いらないって」
「巻きます」
「……あんた、ほんとに変わんないね」
言ってしまった。七日前と同じセリフ。
レオンが少しだけ笑った。
「よく言われます」
——やめろ。同じやりとりをするな。前回と同じ空気にするな。
セレナは立ち上がった。包帯はまだ巻き終わっていない。
「もういい」
「まだ途中です」
「もういいの」
声が硬かった。自分でも分かる。冷たい声だ。
レオンの手が止まった。セレナを見ている。いつもの静かな目。でもその奥に、何かが揺れた。
「……セレナ、何か——」
「何もない」
嘘だ。全部ある。全部ありすぎて、何も言えない。
聞きたいことがある。あんた、いつまでいるの。何日。七日? また七日?
聞けない。聞いたらカウントダウンが始まる。
「報告ありがとう。明日もよろしく」
それだけ言って、天蓋を出た。
背中にレオンの視線を感じる。
「セレナ」
足が止まった。振り返らない。振り返ったら全部溢れる。
「……包帯、続きは明日巻きます。逃げないでください」
——ずるい。
逃げないで、だって。逃げてるのは私だって分かってるくせに。あの低い声で、そんなこと言わないでよ。
振り返らなかった。「うん」とだけ言って、歩いた。
天幕に戻って、鎧を外して、ベッドに座った。
右腕を見る。途中まで巻かれた包帯。レオンの手で、途中まで。
自分で外そうとして、止まった。
外せなかった。
レオンが巻いた包帯を、外す気になれなかった。
——最悪だ。
信じないって決めたのに。距離を取るって決めたのに。
包帯一つ外せないくらい、まだこの人に縋ってる。
セレナは途中の包帯を見つめたまま、目を閉じた。
明日も戦闘がある。明日もあの人が後ろにいる。明日もこの幸せと恐怖の中で剣を振る。
いつまで。
聞けないまま、夜が来た。




