第12話 信じない
朝が来た。最初の戦闘の日。
鎧を着けて、剣を握って、天幕を出る。
兵たちが整列している。緊張した顔。怯えた顔。
何も感じない。緊張も恐怖もない。感じる部分が、もう壊れてる。
「団長、前線動きます」
「了解」
最前列に立った。ここが私の場所だ。ここで倒れる。それだけ。
敵が来た。数が多い。ヴェルデンの比じゃない。
踏み込む。斬る。戻る。
重い。身体が重い。剣が重い。いつもより遅い。食事をまともに取ってないせいだ。
「団長、左!」
「見えてる」
見えてる。でも身体がついていかない。半拍遅れる。
味方が崩れた。二人同時に。
「二人下げて!」
後方が動く。
——速い。速すぎる。二人同時に処理してる。しかも正確だ。
嫌な予感がした。いや、嫌じゃない。懐かしい予感だ。
後方から光が見えた。治癒魔法。範囲が広い。複数に同時展開してる。
振り返った。
後方治療天蓋に、白衣の人影が立っていた。遠い。顔は見えない。
でも動きで分かる。あの所作。あの立ち方。遠くても分かる。白銀の髪が天蓋の光に浮かんでる。
世界に一人しかいない。
——レオン。
心臓が跳ねた。全身が反応した。三年間で何百回と騙された感覚が、今また来てる。でも今回は本物だ。あの動きを間違えるわけがない。
でも、次の瞬間、胸の奥が冷えた。
……また来たのか。一時配属で。また七日間とかで。
前回あんなに泣いたから。あんなにみっともなく縋りついたから。情けで来てくれたんだ。
——やめろ。期待するな。
信じて、喜んで、全部本気で幸せになって——それが終わったときの地獄を、もう知ってる。
だから信じない。振り返るのをやめた。前を向く。後ろは関係ない。どうせ消える。
——そう決めた直後だった。
後方から、別の光が来た。
治癒魔法の光じゃない。もっと硬くて、白に近い、鋭い光。
地を這うように前線に伸びてきて——身体に触れた。
——は。
熱い。身体の奥から力が湧き上がる。疲労が消える。剣が軽い。足が速い。視界が広い。
強化魔法。治癒と同時に。前線全体に。
ヴェルデンと同じだ。
信じるなと決めたのに。——でも身体が、勝手に動く。
さっきまで重かった剣が嘘みたいに軽い。踏み込みが深い。判断が速い。前線が、一気に押し返し始めた。
「——え、身体が軽い。なんで——」
「後方だ! 後方から強化が来てる!」
「嘘だろ、強化魔法って触れないとかけられないはずじゃ——」
「ヴェルデンと同じだ! あのときと同じ! 英雄医がいるんだ!」
兵たちの動きが変わる。速くなる。強くなる。恐怖が消える。
負傷者が出ても出ても、後方で治されて、強化されて、戻ってくる。
ヴェルデンと同じ。倒しても倒しても立ち上がる化け物の軍団。
敵が怯み始めた。
後方から、あの声が聞こえた。低くて、静かで、戦場のどんな音よりもはっきり通る声。
「前線、下がらなくていい。後ろは全部回っています」
——ずるい。その一言で全部安心してしまう。
「全隊、押し込め!」
セレナが叫んだ。声がよく通る。
前線が一斉に動いた。敵が退いていく。崩れていく。
——押し返した。
レオンがいるだけで。あの人が後ろにいるだけで、死ぬはずだった戦場の初戦で、押し返してしまった。
私の墓場になるはずだった場所で、まだ立っている。
——この人がいると、立ててしまう。どんな戦場でも。
それが嬉しくて、同時に怖い。
この人がいなくなったら。また消えたら。そのとき私は、前より深いところに落ちる。ヴェルデンのときより、もっと。
だから信じたくない。信じたら終わりだ。
なのに。
剣を下ろした手が震えてる。嬉しいから? 怖いから? 分からない。全部だ。
「お疲れ様です、団長」
「……うん」
笑えなかった。笑いたいのに笑えない。嬉しいのに嬉しいと認めたくない。
後方を見た。白衣の人影はまだそこにいた。
何日いるんだろう。三日か。五日か。七日か。
聞きたくない。聞いたら数え始めてしまう。残り何日。残り何時間。そうやってカウントダウンしながら幸せを味わうなんて、もう二度と嫌だ。
だから聞かない。信じない。期待しない。
——でも、幸せだ。
レオンがいる戦場は幸せだ。死ぬはずだった場所で勝ててしまうくらい、圧倒的に。
それだけが、どうしようもなく、本当だった。




