第1話 女英雄は、ひとりで立っている
全戦無敗の女英雄。——ねえ、聞いてくれる? 全部嘘なんだよ?
本当はもう一人で戦いたくない。毎朝そう思ってる。剣を持つたびに指が震えるし、前に立つたびに膝が笑う。
後ろにいてくれた人がいたの。白銀みたいな髪と、吸い込まれそうな碧い目をした人。背が高くて、細身で、立ってるだけで目を引く人。声が低くて、静かで、でもその声を聞くだけで安心できた。戦場にいるのが間違いみたいに綺麗な人だった。
その人が三年前に「必ず戻る」って言って消えた。まだ戻ってこない。
三年も待ってるの。馬鹿みたいでしょ。笑っていい。でも待つのをやめたら、今度こそ本当に死ぬ気がするから。
だから今日も、ひとりで前に立つ。あの人が戻ってきたとき、恥ずかしくないように。
今日も戦場。今日も最前列。一人で前を見て、一人で後ろも見て、一人で全部。三年間ずっと。
あの人がいた頃は違ったの。私は前だけ見てればよかった。後ろのことは全部あの人がやってくれた。負傷者が出た瞬間に、迷いなく、正確に。あの人が後ろにいるだけで、全部がうまくいった。
今は全部自分。それでもあの人がいた頃より半拍遅い。この半拍で人が死にかけるの。三年間、ずっと。
疲れた。本当に疲れた。でも止まったら終わるから、止まれない。
——で、今日も敵が引いた。生き延びた。また無敗が一つ増えた。嬉しくもなんともない。
笑ってみせる。「お疲れ様です、団長」って言われるから、「うん、みんなもね」って返す。三年間ずっと同じ。作り物の笑顔。もう上手になっちゃった。
あの人がいたら「怪我してますよね。見せてください」って言うんだろうな。私が隠しても見つけて、あの長い指で傷を確かめて、黙って治療して、「無茶しないでください」って静かに怒る人。あの低い声で。あのずるいくらい綺麗な顔で。
——やめよう。いない人のこと考えても仕方ない。
って思ったのに。
ふと、身体が軽くなった。
理屈じゃない。戦場の空気が変わった。さっき下げた負傷兵が、もう列に戻ってる。包帯巻かれてるのに、歩き方が軽い。
早すぎる。おかしい。
——知ってる。この感覚。あの人が後ろにいた頃、いつもこうだった。
やめろ。期待するな。三年間、何度この感覚に騙されたか。あの人の気配を感じるたびに、違った。いつも違った。期待して、裏切られて、そのたびに少しずつ壊れていった。
副官が言った。「後方が妙なんです。負傷者の復帰が異常に速くて——まるで誰かが全体を指揮してるみたいに」
心臓がうるさい。止まれ。止まってよ。
確認しなくていい。確認して、違ったときの自分が怖い。また期待して、また裏切られて、また壊れるのが怖い。
——そのせいだ。一瞬だけ意識が逸れた。あの人のことを考えてた。
敵の刃が横から来た。気づいたときには遅かった。胸に衝撃。深い。息が止まる。剣が落ちる。膝が折れる。
あ、やば。
約束、まだなのに。待ってたよって、言ってないのに。
あの人の顔が浮かんだ。白銀の髪。碧い目。静かな声。
——ねえ。もし本当に来てくれてたなら。お願い。助けて。
————
目を開けた。天幕。白い。
身体が重い。でも——痛くない。
胸に包帯。血が滲んでない。傷が、もう塞がってる。
……は?
治癒魔法の痕跡。しかも精度がおかしい。普通の衛生兵なら半日かかる傷。それが二時間で終わってる。
——こんなこと、できる人間は世界に一人しかいない。
副官に聞いた。「知らない男がいて、何も言わず治療して、消えた」って。声が低くて、静かで。指示が異常に的確で。いた間だけ後方が完璧に回ってたって。
一人しか知らない。そんな人間は、一人しか。
でも——消えた。確認できない。夢だったのかもしれない。
手が震えてる。止まらない。胸の傷は塞がってるのに、胸の奥が痛い。
「団長、一つだけ」
副官が言った。
「さっきの男ですが、東の第二治癒天蓋のほうで今朝見かけたという兵がいます。まだ前線にいるかもしれません」
心臓が跳ねた。
まだいる。まだいるかもしれない。
——明日、確かめに行ける。
怖い。確かめて、違ったら。あの人じゃなかったら。また期待して、また壊れるだけだったら。
でも。
あの声が聞きたい。あの目が見たい。あの人に「怪我してますよね」って言われたい。
全戦無敗の女英雄は、今日も折れなかった。
折れなかっただけだ。でも明日——確かめに行く。




