第3話「飲み込まれた言葉」
個別面談の季節は、教師にとって少し息が詰まる。
成績、生活態度、進路の希望。
用意された項目を一つずつ確認していく形式は、安心でもあり、同時に逃げ道でもある。
青木が面談室に入ってきたとき、私は意識的に普段通りを装った。
深刻な顔をすれば、こちらの構えが伝わってしまう。
「最近の学校生活、どう?」
「大丈夫です」
即答。
曇りのない声。
だが、私はそこで分かった。
――最初に飲み込まれた言葉がある。
それは声にならなかった。
喉の手前で止まり、飲み下されたまま、そこに残っている。
だが、私はその中身を知らない。
分かるのは、「言わなかった」という事実だけだ。
「授業、ついていけてる?」
「はい」
「クラスの雰囲気は?」
「普通です」
すべて、間違ってはいない。
だから、責めようがない。
私は一度、ペンを置いた。
「何かあったら、いつでも言っていいから」
青木は小さく頷いた。
それで面談は終わった。
――終わらせてしまった。
放課後、廊下を歩いていると、別の生徒が声をかけてきた。
昼休みに話しかけてきた生徒だ。
「先生、ちょっといいですか」
「どうした?」
周囲を気にしながら、彼は言った。
「青木のことなんですけど……」
私は足を止めた。
「青木、最近あんまりしゃべらなくなってて」
「前から、ああいうタイプじゃなかった?」
「そうなんですけど……前は、もう少し」
言葉を探している。
その探し方自体が、答えだった。
「俺たちが何か言ったわけじゃないです」
彼は慌てて付け足した。
「ただ……冗談とか、ノリとか」
私は何も言わず、続きを待った。
「笑ってるんですけど」
彼は困ったように眉を寄せた。
「笑ってるのに、なんか……」
そこで言葉が切れた。
違和感。
子どもが感じ取るには、十分すぎるほどの。
「ありがとう。教えてくれて」
私はそう言って、その場を離れた。
職員室に戻り、私は一人で考えた。
問題にするほどではない。
だが、放っておくには、もう遅い気もする。
――どこまで踏み込むべきか。
翌日の授業。
グループで意見をまとめる課題を出した。
青木のグループは静かだった。
誰も責めない。
誰も無視しない。
それが、余計に重い。
私は机間巡視のふりをして近づいた。
青木が出した意見は、的確だった。
「いい視点だね」
そう声をかけると、周囲が一瞬だけ青木を見る。
――その瞬間。
青木は、笑わなかった。
以前のように、笑う“ふり”すらしなかった。
視線を落とし、ノートに目を戻す。
私は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
放課後、私は青木をもう一度呼んだ。
今度は、職員室ではなく、空いた教室だ。
「さっきの意見、よかった」
「……ありがとうございます」
間が空いた。
その沈黙の中で、私は確信していた。
ここで何も言わなければ、私は見なかったことにする。
それでも、口が動いた。
「最近、無理してない?」
青木は、少しだけ驚いた顔をした。
そして、笑った。
「大丈夫です」
だが、その瞬間、
私にははっきりと分かった。
――最初に飲み込まれた言葉は、「やめてほしい」だ。
理由は分からない。
相手も、場面も、きっかけも。
ただ、その言葉が、ずっと胸の奥にある。
私は、続けるべき言葉を失った。
踏み込めば、青木は“守られる側”になる。
踏み込まなければ、私は“待つ大人”になる。
どちらも、正しい。
どちらも、間違う可能性がある。
「今日は、ここまででいい」
私はそう言った。
青木は一礼し、教室を出ていった。
一人残された教室で、私は椅子に腰を下ろした。
黒板には、まだ授業の跡が残っている。
――私は、正しい判断をしたのか。
その問いに答えは出ない。
ただ一つ分かっているのは、
飲み込まれた言葉は、消えない。
そして、それを見つけてしまった以上、
次に迷う場所は、もう一段、深いところになる。




