四、王の元へ
城から寄越されたという乗り物は格別豪華なものではなく、車を引く魔物も表の通りでよく見かけた首無馬が繋がれていた。
先方にとっても秘密裏にことを進めたいのだろう。目立ちたくないグラトニーにとってもありがたい状況なので、文句もなく開かれた車の扉をくぐる。
「よいしょ、と」
「イーダちゃんお隣、失礼するわね」
「はいどうぞー」
当然のような顔をしてイーダが後に続き、ラストも自然な動作で少女の隣に腰を下ろす。
ひとり怪訝な顔をしているのは、グラトニーだけ。
「なんでお前らも乗ってくるんだ」
じっとりと見てくる彼の視線を丸っと無視したラストは「どうぞ、出してちょうだい」と御者に告げて扉を閉めた。
ごとごとと走りだした馬車の窓から、通りに並ぶ露店を眺めて物欲しそうな顔をするイーダの口に飴玉を放り込んで、ラストは長い脚を組む。
「アタシは王に取り次いだ者として、アンタが無礼を働かないか目を光らせてなくちゃ」
「わたしは、王城のスペシャルなご馳走が食べられる可能性を信じています!」
きりっとした顔をしたイーダの発言に、グラトニーは思わず頭を抱えた。
「お前、さっき腹がいっぱいだとか言ってなかったか」
「王族の食べる物を味わえるかもしれない、またとない機会にそんな軟弱なことは言っていられません! 王様に会えたら、小腹に収まる甘味をお願いする所存ですっ」
それぐらいの余裕はあります、と立ち上がり胸を張ったイーダは平らになった腹をなでさすってみせる。あれほど丸々と膨らんでいた腹の中身はどこへ行ったのやら、グラトニーは呆れて背もたれに身体をあずけた。
「好きにしてくれ」
諦めたように目を閉じたグラトニーと、高級な菓子と言えば何が思い浮かぶかという話題で盛り上がるラストとイーダを乗せて、馬車はごとごとと王城を目指していた。
ひっそりと城の裏手に回った馬車を降りて、案内されたのは一見するとなんの変哲もない部屋。
「ここ、はじめて通されるお部屋ね」
警戒するようなラストの発言を聞いたグラトニーは、魔人としての感覚を研ぎ澄まして部屋の周囲をぐるりと確認する。そして異常を見つけ、けれどグラトニーはためらいもなく部屋の中へと足を進めた。
「ちょっと!」
「良い、この部屋に通されたっていうことはそういうことだ」
入り口で立ち止まったラストが声をかけるが、グラトニーは振り返りもせず進んで行く。そして彼が正方形の部屋の中央へたどり着いたとき。
キィン!
硬質な音を立てて赤い閃光がグラトニーの腹を四方から貫いた。
「グラトニーさんっ!」
慌てて駆け寄ろうとしたイーダの肩をラストが掴んで、入り口に引き留める。
「行っちゃダメ、部屋の周囲にも攻撃用の魔核が仕込まれてるわ。それにあの子はあれぐらいじゃ死なないもの。死なないけれど、ずいぶんな歓迎ねぇ、王サマ?」
白い歯を剥きだしに笑うラストの視線の先、壁の一部が回転して姿を現したのは赤い髪の青年だった。年若い容姿にはいささか荘厳に過ぎる衣服を身に着けているが、衣装に着られるでもなく着こなしていると感じさせるのは堂々とした態度のためだろう。
自身の身体が串刺しにされても動じなかったグラトニーが、その顔を見て目を見開く。
「ぁ、アルフ……?」
ごぽ、と赤黒い血を吐きながらつぶやいたグラトニーの声は小さかったけれど、青年には届いたのだろう。片眉を跳ねるように上げた青年は、腕を組んで背中を壁に預けた。
「私は建国王にそれほど似ているか、魔人よ」
尊大な態度と不遜な物言いに、次はグラトニーが眉を寄せる。
首を振ろうとして、身じろげば腹の傷から血が溢れるのに気が付いたのだろう。口をへの字にしたグラトニーは口を開く。
「いや、似てないな。赤毛と黒い瞳は似ているが、あとは年齢ぐらいか。あいつは王らしくない王だった」
「ほう……?」
遠い記憶に想いを馳せるよう宙を見つめるグラトニーは、腹に大穴が開き口の端から血を流しているとは思えない穏やかな表情を浮かべている。ラストに王と呼ばれた青年はそれが気に食わないらしい。
何気ないしぐさで持ち上げた手がパチンと音を立てると同時、グラトニーを貫く赤い光がひときわ強く輝いた。
「があぁっ!」
強さを増した光線が魔人の胸に埋まる竜核に迫る。
「グラトニーさん!」
「ちょっと! いくら魔人だからって無抵抗の相手をいたぶって良いと思ってるわけ!?」
これしきの攻撃で壊れる竜核では無い。けれど存在の根幹と言える核を炙り続けられて平気なほど、魔人は無敵でもない。たまらず漏れたグラトニーの苦悶の声に、イーダが悲鳴をあげラストが王をにらみつける。
それでも王は表情を変えずグラトニーを見据えたまま。
「どうした、お前の権能ならばこれくらいの魔核、喰えるのだろう? なんなら部屋ごと喰ってみせろ、お前の首に嵌った首輪は人を喰わないように制限するだけの制約しか課してはいないはずだ!」
魔人の細い首にぶら下げる首輪をにらみながら吠える王を相手に、暴食の魔人は静かにまぶたを下ろした。
ただ自身を苛む魔核の光を受け入れ、少なくない血で部屋の床を赤く染めていく。
腹を貫く魔核の光に抗う様子も、権能を発現させようと足掻くそぶりも見せない。城に招いておきながら罠にはめるような真似をする王に憤るでもなく、恨み言のひとつもこぼさずに呼吸を弱めていく。
じりじりと焼け焦げていくグラトニーの身に、先に沈黙を破ったのは王だった。
「……なぜ権能を使わない。首輪があっても制約が及ぶのは『人を喰わない』ことだけのはず。それにそんなちゃちな制約の首輪など、魔人の力の前では首飾りにもならんだろう。死ぬ気か?」
嘲るような声音で問われて、グラトニーはかすかにまぶたを持ち上げる。
「ああ、そうだ。終わらせられるならそうしてくれ」
静かな肯定に動揺を見せたのは、若い王だけだった。
ラストは形のいい眉を寄せ、イーダは寂しさをこらえるように唇を引き結びはしたけれど、何度も耳にした暴食の魔人の終わりを望む思いが嘘では無いとすでに知っている。
止める様子のない二人に焦れたように、王は苛立った声を上げた。
「色欲といい暴食といい、お前たち魔人はなぜその力を振るわない! 不死の身を持ち、強大な力を持つ魔人のくせに死を望むのはなぜだ。その力があればすべてを意のままに、自由に暮らせるというのに、なぜ!!」
気づけば、若い王は腹の内にずっと抱えていた思いを吐き出していた。
記録に残る建国王とよく似た容姿の彼に、先王の病死により若くして王位に着いた彼の年齢が建国王と近かったことに、王都の人々は理想を重ねる。
曰く、魔人を封じ込め強大な帝国を滅ぼした建国王のように、いかなる脅威からも国を守ってくれるだろう。
曰く、荒地に都を築いた建国王のように、王都をますます栄えさせてくれるだろう。
曰く、路頭に迷う人々を希望で照らした建国王のように、人々の暮らしをますます豊かにしてくれるだろう。
その期待のすべてが重かった。けれどその辛さをわかってくれるだろう父はすでに亡く、父王の代から王家を支える忠臣も、弱音を吐く彼を諫めはしてもなぐさめはしない。
溜まりに溜まった幼い鬱憤を建国王を知るだけの第三者へとぶつける行為は八つ当たり以外の何物でもなかったけれど、グラトニーは笑いもせず「なぜ、か」とつぶやく。
「なぜ、帝国は魔人を作る時に自我を残したんだろうな。力が欲しいだけなら、心なんて壊してくれればよかったんだ。便利な道具が欲しいだけなら、命令に従えない心をどうして潰してくれなかったんだろう」
たらたらと口の端から血をこぼしながら、グラトニーがうつろな目で王を見る。
「なあ、あんたも人の上に立つ者なんだったら、理由がわかるか……?」
「……いや」
虚無に満ちていながら切望のこもった昏い目だ。
あまりに昏いグラトニーの目に気圧されて、王は知らず後ずさる。王らしくあることを求められ、自身も王らしく振舞うことを心がけていた彼はその瞬間、王ではなくひとりの人間として目の前の絶望に慄いていた。
彼がこれほどに深い絶望に触れたのはそれが初めてだった。
人の生では想像もつかない長きに渡り、煮詰められてきた深く濃い絶望をグラトニーはそっとまぶたの向こうに隠す。
「そうか」
落胆をするほど期待もしていなかったのだろう。平坦な声でつぶやいたグラトニーはそれきり沈黙した。じりじりと腹を焼く音だけが部屋のなかに広がる。
イーダとラストが息を殺して見守るなか、若い王が口を開いた。
「王は」
言葉を切った彼は唇を噛んでためらい、視線をさ迷わせ、何かを恐れるようにしながらもささやいた。
「建国王には、問わなかったのか」
「聞いたさ」
「では、なんと。建国王はなんと答えたのだ……?」
疑問の形でありながら答えを懇願するような声の響きに、グラトニーは目を閉じたままかすかに口角を上げる。
「『知らねえ』」
ぶっきらぼうに、けれど思い出をなぞるように記憶のなかの言葉を声に出す。
「『俺以外のやつの考えたことなんて知らねえ。けどお前がもう何も喰いたくないっていうなら、俺が静かに寝られる場所を用意してやる』そう言って、アルフはこの首輪に人を喰わない制約をかけて封印したんだ」
「知らないと……建国王が。建国王が、知らないと? あの、聡明で勇猛な賢人とうたわれる建国王がそのような、乱暴な返事をするなど……」
信じられないと言いたげな王の反応に、グラトニーは薄く目を開け「くくっ」とのどを鳴らした。
「あいつは王というより荒くれ者と言われたほうが納得できるような奴だぞ。言動はいい加減で面倒はすぐ人に任せるし戦うよりも逃げるほうが得意で、悪ガキがそのまま大きくなったようなものだった」
「建国王が、悪ガキ」
「ああ。あいつよりあんたのほうが、よっぽど立派な王様らしい振る舞いをしてる」
グラトニーの言葉に王は呆然と目を見開く。
言われた内容を咀嚼しているのか、しばし黙り込んだあと不意に笑った。
「は、ははっ。そうか、悪ガキか」
顔を覆い隠し、けれど笑いをこらえることはできないらしい。うつむいたまま肩を揺らす。
笑っているのか泣いているのか、肩を震わせていた王はふと動きを止めて体を起こした。仏頂面に涙はなく、次の行動が読めない施政者の顔にイーダとラストは警戒を抱く。
とはいえ部屋をぐるりと覆うように張り巡らされた魔核の光線が、二人の行動を阻むなかでは動きようがない。
「くそっ、王都に居座る代わりに都を治める者には権能を使わないなんて契約、するんじゃなかった!」
悪態をつくラストをよそに、王の手が動いて壁に触れる。そこに部屋に仕掛けられた攻撃用の魔核の操作盤があるのだろう。今度こそ終わりだとイーダは悲し気に眉を寄せ、ラストは歯を食いしばり、グラトニーはようやく訪れる終わりにそっと目を閉じてその時を待った。
ぱちん。
ひどく軽い音とともにグラトニーの腹を貫いていた光線が、消えた。
崩れ落ちたグラトニーが自身の血だまりにばちゃ、と倒れ込むのと、イーダが部屋に駆け込むのはほぼ同時。
「グラトニーさん!」
その叫び声を聞いて、ラストは部屋を囲む光線もまた消えていることに気が付いた。
イーダの腕のなか、抱き起こされたグラトニーが呻く。まだ息があることに胸をなでおろしつつ、ラストは足早に部屋の中へ歩を進める。
「どういうつもりかしら」
立ち止まり、彼が胸を張ったのは王の前。グラトニーとイーダを背にかばう形で立ったラストにちらりと視線を向けて、王は壁に寄りかかる。
「まだ使える道具を壊すのも馬鹿らしいだろう。道具は使ってこそだと思ってな」
「なんですって?」
眉を吊り上げたラストに対して、王はにやりと口の端を吊り上げた。
「人のために造られた魔人ならば、人のために役立ててこそだろう。どうだ、暴食の魔人。これが私の答えだ。お前の願いを叶えるのは、そのあとだ」
胸を張り、ひどく尊大な態度で告げた王にグラトニーは疲れたように息を吐く。
「また死に損なったのか、それに封印も後回しなどと……。魔人を手駒にしようなんて、あんたはやっぱりあいつよりよっぽど王サマらしいな」
返事はなく、けれどにやりと笑った若き王は、どこか吹っ切れたような顔をしている。
その顔は遠い昔の友、今や建国王と称えられているらしい彼によく似ていると感じたグラトニーであったが、すんなりと眠らせてはくれない若き王にそれを伝えることはしなかった。




