第5話 救いとはなにか
「げほっ……! く、ぁ……」
男に連れ去られたハスティリアスの母・サルジュは、石造りの地下牢で西洋風の女から、拷問を受けていた。女の持つムチが、ちょうどサルジュの肋骨に当たった。折れた肋骨が肺に突き刺さり、こみ上げる吐き気に耐えられず、ぼたぼたと血を吐き出した。
『ちょっと~、汚いんですけどぉ? 服に血が付いたんだけど、どうしてくれんのぉ?アンタが新しい服でも買ってくれるの?」
けらけらと笑う女は、異国の言葉を話していて何を言っているのかは、まったくもって理解できなかった。しかし、自分が侮辱されているということだけは、サルジュにも理解できた。
サルジュは反論しようと何度か息を吸ったが、そのたびに血液が肺胞の中に入り込んで、さらなる痛みと息苦しさを引き起こした。
「メア、奴らが来た」
『え~、もう? ちょっと早すぎない?』
メアは、ぱっと顔を上げると床に鞭を投げ捨てて、男に正面から抱き着いた。あまりの品の無さにサルジュは下を向いたまま顔を顰めた。
『……何よその目。あんた、自分の立場分かってんの? あんまり生意気な態度とってると、うっかり殺しちゃうかも』
サルジュの態度に腹が立ったのかメアは、ヒールを履いた自身の足を振り上げた。メアのヒールの先は、サルジュの目のすぐ下に当たり、皮膚が切れて血が流れた。
目の下は血流が多く、他と比べて出血が止まりづらい。流れ落ちた血がぽたぽたとサルジュの服に滴った。
「おい、そのくらいにしておけ。その女は人質だと言ったはずだ、あんまり傷をつけるんじゃねえ」
男がサルジュの目元の血をぬぐいながらそう言った。
「はっ! 何を馬鹿なことを……わたくしごときが、カマルシヤー様への人質になれるわけがないでしょうに」
サルジュとカマルシヤーは戦略結婚で結ばれた夫婦であり、サルジュは愛のない結婚だと思っている。しかし、カマルシヤーはただ単に、愛情表現と人付き合いが壊滅的に下手くそなだけで、ちゃんとサルジュのことを愛している。
「え、はぁ? お前それ、まじで? あー……いや、何でもねぇ……」
こりゃあ当主サマにもどーじょーするわぁ……と男はぼやくが、サルジュには男の言葉の意図がつかめず、首を傾げた。
「まじ、とはどういう意味でしょうか? わたくしとっ……ぐ、カマルシヤー様は戦略結婚です。それに、カマルシヤー様には、わたくしと婚姻を結ぶ前、はぁ……っ、思う人がいたと、聞きます。げほっ、わたくしなど、愛されなくて当然などです」
喋る度に息を荒げ、苦痛に顔をゆがめつつもサルジュはそう言い切った。口の端から血を流しながらも決して男から目を離さなかった。
男はため息を吐くと、扉の方へ向かいカギを開けた。床に落ちた鍵がカロンと状況に見合わない軽やかな音を立てた。と、同時に扉が大きな音を立てて開いた。
「サルジュ! 無事か!?」
「ヒーロー様は、遅れて登場ってか?」
男が皮肉ったように笑った。床に倒れこんで、目元が血で汚れているサルジュを見つけると、カマルシヤーは慌てて駆け寄った。
「あぁ……サルジュ、血が……」
「このくらい、何も問題ありません。それよりも、どうしてここにカマルシヤー様が……?」
目元に滲む血を袖で拭って、サルジュは不思議そうに尋ねた。
「妻を助けに来ない夫など世界中どこを探してもいるものか。サルジュ、教えてくれ。これは誰にやられた?」
「……これは、そこのメアと、げほっ……!」
肺がずきりと痛んだ。喋りすぎたせいか再び自身を襲う嘔吐感にサルジュは瞬時に反応ができなかった。ぽたぽたと血か滴り、石造りの床に血だまりができていく。
「サルジュ!」
「お母さま!」
すぅ、と血の気が引いていく感覚がして、サルジュはそのまま意識を手放した。瞼が完全に落ちきる前に、こちらに駆け寄ってくるハスティリアスの姿がぼんやりと瞳に、映り込んだ。
「お母さま! お母さま! やだやだ! 死んじゃだめ!」
意識を失い、ぐったりと床に倒れ伏すサルジュに縋り付きながら、ハスティリアスは泣き叫んだ。
「奥様は気を失っているだけです。大丈夫ですよ、お嬢様」
ハルムがそっとサルジュを抱き上げた。そして、ハスティリアスを慰めるかのように、頭を撫でた。
「ついて来てください」
とそれだけを言うと、いつの間にかいなくなっていたカマルシヤーの声が聞こえてくる方へ、向かっていった。
「はー、執着が過ぎるぜ? ご当主様よぉ」
「黙れ。お前ごときに私とサルジュの何が分かるというのだ」
おー、こわいこわいと、男はおどけて言った。その軽薄な態度にカマルシヤーは腰の剣に手をかけたその時、メアが後ろからカマルシヤーにぎゅっと抱き着いた。
「カマルシヤーさま、おねがいします。メアをたすけてください! ざつようでも、しごとのおてつだいでも、なんでもします! そっちのおせわでも、なんでもですよ……?」
メアがカマルシヤーの耳元でそう囁いた。次の瞬間メアの体は、床に叩きつけられていた。
「私に許可なく触れていいのは、サルジュとハスティリアスだけだ。貴様のような売女に、私の妻が務まると思うな」
「ひっ! え、あ……」
氷のように冷たい視線を、カマルシヤーに向けられたメアはようやく自分が、カマルシヤーに言ってはいけないことを口にしてしまったのだと、気が付いた。
「ハルム、この女を始末しておけ」
「承知致しました旦那様。どのような方法で始末いたしましょうか? 旦那様の望むままにいたします」
ハルムは腕に抱いていたサルジュと傍にいたハスティリアスを、カマルシヤーに引き渡して聞いた。
「方法など何でもよい、お前に任せる。だが、その女はサルジュとハスティリアスを愚弄した。楽には逝かせるな」
「はい、承知いたしました。ではそこの女、覚悟はできておりますか? ……出来ていようがいまいが関係など、ありませんが」
ハルムは懐から短刀を取り出すとまず一本、メアの右肺をめがけて刺し込んだ。皮膚を突き破って肉に刃が食い込む感覚が、短刀を通してハルムの手に伝わった。
『いぁ……⁉ 痛い、痛い‼ 嫌ぁ! 助けて‼」
「痛いですか? 苦しいですか? ……うんうん、痛いですよね。でも、お前は奥様に同じことをしたはずだ。それならば、これはお前への報いだ」
痛い痛いと泣きじゃくるメアにハルムは冷たく言い放った。
『い、嫌っ‼ あやまるっ、あやまるからっ。お願い! 殺さないで……っ! 助けて!』
「……旦那様は、楽に逝かせるな。とおっしゃいました。つまりそれは、苦しませて殺せということ。私は、旦那様一家の利になることしか、致しません。ご理解、いただけましたでしょうか?」
二本目の短刀を取り出したハルムは、メアの眉間に向かって、投げた。本来なら頭蓋骨に阻まれて、脳まで刃は届かない。だがハルムは、自他ともに認めるギフテッドだ。ハルムの投げた短刀は、弾丸にも劣らない速度でメアの額に突き刺さった。
『あんた……! 人間じゃないわよ! 人の心ってもんがないの⁉ ほんと、さいてっ⁉ い……』
「あ……またやってしまいました……。苦しませて殺せと、言われましたのに……どうしてこうも、人は脆いのでしょうか」
頭がガクンと落ちたことで、メアが死んだことを理解したハルムは、刺さったままの短刀を引き抜いた。その瞬間、傷口から真っ赤な鮮血が勢い良く噴き出し、ハルムの右半身に、びしゃりとかかった。
「……こんなにも、血が出るのですね」
頬に付いた血を身に着けていたエプロンで拭いながら、ハルムはさっきメアに言われた言葉について考えていた。なぜならあの言葉は、ハルムを幼いころから縛り付けてきた呪いの言葉に等しかったから。
「今、考えることではありませんね。早く旦那様方のところまで、お戻りしないと……」
そう呟いてハルムは、微かに死臭が漂う地下室を後にした。
ハルムが邸宅に戻ったころ、サルジュはすでに医師による手当を、受け終わっていた。
「旦那様、お嬢様。ただいま戻りました」
「ハルムっ! 良かった、生きてる!」
ハスティリアスは、帰ってきたハルムに走って抱き着こうとし、ハルムもそれを受け止めようとした。しかし、直前で自分が返り血を浴びたことを思い出したハルムは、走ってくるハスティリアスの脇の下に手を差し込み、サッと持ち上げた。
「いけませんお嬢様、お召し物が血で汚れてしまいます」
「そんなのどうでもいいの! ハルムがなかなか帰ってこないから、ハルムまでいなくなったら、わたしは……っ」
泣き始めてしまったハスティリアスの涙を拭おうと、ハルムは手を伸ばしたが、その手が血にまみれていることを思い出して、動きを止めてしまった。
「……、お嬢様、申し訳ございません。私はこれで、失礼します」
こんな、血にまみれて人を殺めて、汚れきった私がお嬢様に触れていいわけがない。そう思い直したハルムは、廊下に座り込んだハスティリアスをそのままに、姿を消してしまった。
「ハル、ム……? あ、……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……――」
置いて行かれた、見捨てられた。そう感じたハスティリアスは、その場で泣き続けた。




